2011年3月4日金曜日

[diary]カザフビザ受け取り

カザフビザ受け取り

2009/02/05(木) 晴れ
[Bishkek:Kyrgzstan]
※レート:1米ドル=41ソム(両替屋にて)
1米ドル=90円

•夕方まで宿
•カザフビザの受け取り

今朝も7時過ぎには起床。今日も例のごとく歩き回る気にはならないので、宿にいることにする。

午前中から夕方近くまで書き物したり、おしゃべりしたり。

同じ部屋の人(以下、Aさん)の話がおもしろい。その人がビシュケクのまちを歩いていたときのこと、なにがきっかけだったか、キルギス人のおじさんとしゃべることになったという。おじさんはAさんに、”キルギスはどうだ?”と聞いてきたと言う。本心は言えないのでAさんは、”ビシュケクいいよ!”と答えたところ、おじさんはこう言ったという。”俺たちって愚かだろ”。この言葉にはさすがに困ったようで、適当に話をずらして、おじさんのその言葉については肯定も否定もしなかったという。

Aさんの話では4~5年前に来たときは、夜のまちにはけっこう人出が多かったらしい。最近では警察がうじゃうじゃいるためすっかり人がいなくなったらしいのだが、その頃は道ばたで殴り合いの喧嘩している人がいたり、女の子同士が喧嘩していて、片方が片方をぶん投げたり、といった光景を見ることがあったらしい。

またAさんが話したことのあるロシア系の女性の話によれば、彼女の旦那は喧嘩でこめかみにパンチを受け、それで命を落としたという。旦那は30歳。子どももいるという。ここでは稼げないため1ヶ月ほどしたらロシアに稼ぎに行くと話していたらしい。

昼過ぎ、この宿の孫が学校から帰ってくる。聞くと年齢は16歳。10年生だという。日本とは教育システムが違うようで、高校は2年間で、彼はその1年目らしい。彼の両親はビシュケクから60kmほど離れたまちに住んでいるが、彼は勉強のために今はおばあちゃんがいるこの家に住んで学校に通っているらしい。

彼は英語がぼくと同程度(あるいはそれ以上)にできたので、英語で会話。高校卒業後のことを聞くと、できれば外国の大学に行きたいと考えているらしい。外国の大学の方が、いろんな経験ができるし、より高い教育を受けられるからというのが、その理由らしい。

外国の大学に行きたいと考えている友達はけっこういるのかと尋ねると”一部(some)”と答える。でも、行けるかどうかは親の収入などに依ると付け加える。なお、高校の授業料は毎月650ソム(約1500円)らしい。

15時を過ぎた頃、カザフビザを受け取りに行くため外出。途中、ネット屋に寄ってカザフ情報を集める。1時間40ソム(約90円)。

また同宿の人から借りたロンプラ中央アジア版のカザフ部分をコピー。コピー代1枚2ソム(約5円)。

17時頃、カザフスタン大使館に到着。18時半に取りに来いと言われていたが、早く行ってももらえるだろうと見込み行ったところ、他にもビザを受け取りに来た人が入り口に並んでおり、しかもタイミングの良いことに今開いたところだった。

すんなりパスポートは受け取ることができ、一応、ビザを確認。

宿近くに行くマルシュートカが走っている通りまで歩いて戻る。途中、道ばたでサラダを売ってたおばちゃんからサラダを買う。今度のおばちゃんは正直者のようで、バザールのサラダ屋のおばちゃんの半値。だいたい200gくらいで20ソム(約50円)。

宿にもどって、サラダとパンで夕食。サラダは人参がふんだんに使われており、というか、人参ばかり。

本を貸してくれた別の部屋に泊まっている日本人男性とおしゃべり。彼はロシア語の勉強にキルギスに来ているようでもう半年くらいここにいるらしい。

彼に聞くと、やはりここではロシア系の人はキルギス人をバカにしているらしい。またキルギス人の方もロシア系に対してはなんらかの敵意を持っているらしい。彼が通っている語学学校には中国人や韓国人、トルコ人などが来ているらしい。また試験のシーズンになるとロシア語の試験対策のためにキルギス人学生も来たりするという。

彼の話でも中央アジアで言うと、キルギスが一番警官の質が悪いらしい。彼の中ではタジキスタンが一番良かったらしい。彼もキルギスで警官に250米ドル取られたりした経験があるという。3年ほど前にトルコからこの一帯を旅行したときは、ウズベキスタンでもタジキスタンでも警官がカネをせびってくるようなことがあったが、最近はそうしたことはなくなったらしい。だが、ここだけはなくなるどころか増える一方じゃないかと言う。

ウズベク人とキルギス人はとりわけ仲が悪いようで、あるウズベク人は”キルギス人は全部殺したいね”とまで言っていたという。また最近ウズベキスタンに行ったときには、キルギスに今住んでいると言ったところ、ウズベクの人から”なんで? なぜウズベキスタンに住まないのか?”と聞かれたらしい。

彼がキルギスでロシア語を勉強しているのは、ビザが不要でかつ物価が低く、衛生状態もそこそこいいからということらしい。ウズベキスタンはビザ面で厳しいし、タジキスタンは水の衛生状態が悪いらしい。またウズベキスタンについて言えば、言論の自由、とりわけ政治的な話は基本的にできない状態。そうしたことからキルギスを選んだらしい。

ソ連時代を懐かしむ人はいるかと尋ねたところ、中年以上の人は「みんな」ソ連時代が良かったと言うらしい。理由はやはり仕事らしい。仕事がみなにあって、生活もそれなりに良かったらしい。アパートももらえたりしたという。それが今は仕事がない。カネがない。以前は年寄りは無料だったバスも今では払わないといけない。そういったことでけっこうきついらしい。グルジアのトビリシのネリ・ダリ(ぼくも泊まった宿の主)もずっと”ソ連時代は良かった”と言っていたらしい。

ロシア語がしゃべれれば、ぼくもあちこち言ってソ連時代の話を聞いて回りたいのだが、そのためにはもっと勉強しなければならない。

互いの旅話になったときぼくがキューバの話をすると、彼はゲバラ関係の本はたいてい読んだがフィデルカストロについてはよく知らないと言う。

キルギスの腐った警官(おそらく政府も十分に腐っているだろう)などの話をさっきしたことから、ぼくが「今もしゲバラが生きていたらきっとキルギスに来るはず」なんて言うと、彼も「絶対に来ますね」と応える。

またここの宿のオーナーの話になったとき、聞いてみたらオーナーはしばらく前からアフガニスタンの米軍基地の売店に出稼ぎに言っているという。そこではキルギス人の他にフィリピン人や中国人、日本人も働いているらしい。給料は3000米ドルほどらしい。アフガニスタンまではここから米軍機に乗って行くという。ただ当然のことながら基地の外にはまったく出られない生活らしい。

そんな話をして23時前に部屋に戻り、あとは寝る。

Fin

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