2011年3月4日金曜日

[diary]やる気のでないサマルカンド

やる気のでないサマルカンド

2009/01/25(日) 曇り 日中10℃前後
[Samarqand:O'zbekiston]
※レート:1米ドル=1540スム(ブハラの闇両替で)

・バザール
・宿で
・チケットを買いに
・夜のおしゃべり再び

7時頃、起床。部屋は暖房が効いていてちょうどいい具合に暖かいが、乾燥しているため朝起きると喉がからからに乾燥している。外はまだ暗い。

8時、宿の朝食。パンとチーズとサラミとヨーグルトなど。同じ宿に泊まっている日本人3人が明日タシュケントに行くということで一緒に移動することを確認。列車のチケットを昼に一緒に買いに行くこととし、午前中は各自で動くことにする。

朝食後、近くのバザールに行く。8時半とまだ早かったが、すでに店は開き、路上も屋内の各コーナーもにぎやかだった。

ここのバザールの建物は新築のようで、とてもきれい。建物と言っても大きな屋根(バスケットコート4つ分程度)にカウンターだけなのだが、各売場の上部には「Vegetable」「Fruit」など売っている物の名前が書かれている。英語でも表記されているところが観光地っぽい。ただ客はここよりも路上の方が多い。きっとあっちの方がやすいのだろう。

ヨーグルト売場はドア付きのプレハブのような小さな建物内にあって30人くらいの人がそれぞれのヨーグルトを売りに来ている。売り方がおもしろくて、ヨーグルトは容器に入れられて売られているのではなく、タイル張りのカウンター(台)に直接ヨーグルトを乗せて売っている。言い換えればカウンターにヨーグルトをわざわざこぼしているのである。ヨーグルトと言っても水分がかなり少ないからどちらかというと見た目はクリームチーズのように半固形状の物のように見える。タイルに接していない部分は、まぁ衛生的に思えるが、タイルに接している部分はどうなんだろうと気になる。毎朝消毒しているのか?

他に野菜コーナー、チムチ(キムチ)&総菜コーナー、米コーナー、パンコーナー、香辛料コーナーがあり、売られているものはヒヴァやブハラと変わりない。野菜はじゃがいも、タマネギ、かぼちゃ、人参(黄色とオレンジ)、辛み大根?(緑色をした大根)、キャベツ、紫色のカブ(?)、かぶなど。チムチや総菜も他で見たものと同じものばかり。パンはブハラなどとは違ってある種のケーキのような形をしている。

ヒヴァやブハラではバザールを歩いていると、盛んに声をかけられたが、ここではたいして声をかけられることはない。また、各店の客引きもほとんどない。

バザール内の一部通路には物乞いの人らが数人いて、路上に座り込んだりしてカネを乞うている。車いすに乗っている女性もいた。またパンコーナーを歩いているときに小さな男の子(1歳くらい?)を抱えた女の人が近づいてきて、カネをくれとしつこく言ってくるので、パンを買って渡したところ、それでも不満のようでさらにしばらく付きまとわれる。

また敷地内の別のところでは、見た目は物乞いにはまったく見えないおばさんが、突然カネをくれと言ってくる。

チムチ&総菜コーナーで牛モツのサラダと春雨サラダを買う。100g程度ずつ買い、それぞれ1000スム(約60円)。

しばらくバザールをふらついてから、この先にあるという廟群に行こうかと思っていたのだが、見に行く気が失せたので宿に戻る。サマルカンドはあまりに道路がだだっ広く、まっすぐきれいに整備されているからなんだか歩く気が失せる。先が見えて退屈になる。イエメンやシリアの一部のまちのようにごちゃごちゃしている方が歩く気が出る。歩く気がしないというのは、トルクメニスタンから入って最初に泊まったまちであるヌクスなどもそう。つまりは旧ソ連的まちで共通して起こる反応。自転車があればまた違うのだろうが。

空は曇天。

11時頃、宿に戻り、ティールームでお茶を飲みながら、さっきの総菜を食べながら読み物をする。

ウズベキスタン在住の人が書いたもので経済の話(ウズベキスタンにはウランや天然ガスがあり、アメリカやロシア、中国が進出してきていること。また天然ガスはロシアには単位あたり100米ドル程度で売っているのだが、ロシアはそれを250米ドルでヨーロッパに売っているといった話。それから計画経済は続いているといった話)や結婚の話題(親が結婚相手を探す話や相当のカネがかかるという話、相続話など)など、ただ通り過ぎるだけのぼくのような旅行ではなかなか知りえないことがいっぱいでおもしろい。

待ち合わせ時間の13時になったが、1人だけ現れなかったため、また夕方に待ち合わせを変更。ぼくは依然として出かける気にならなかったので、宿で書き物。

16時すぎになってようやく全員集合。まちを歩いていたら出会ったという別の宿に泊まっている日本人1人が新たに加わる。

総勢5人でティムールの墓でもあるグーリ・アミール廟まで歩いていって、そこを見学。さらにティムールの巨大なモニュメントの前で記念撮影。なんだか修学旅行みたい、などという反応あり。

そうしてから列車のチケットを買いにサマルカンド駅に行く。マルシュルートカで行こうと思っていたが、乗りたい番号のマルシュルートカは客がいっぱい。数台見送り、空っぽの車が来たので尋ねると運賃1人600スム(約40円)だと言う。400スムが通常の値段だが、タクシーのように他の乗客は乗せないからというような事を運転手は言う。たいした額ではないので5人で乗り込む。

駅には30分足らずで到着。昨日も見た異常に豪勢な駅舎に行き、窓口でチケットについて聞く。聞き役はウイグル語=ウズベク語ができるA君。窓口の男性は愛想も何もなく、机からちょっとひいたところに座ったまま表情を変えることなく面倒くさそうに答える。

ぜんぜん発券する準備をしたりしないので不思議に思っていたらA君が、「今日は切符を売らないと言っています」と言う。加えて明日の8時に来るよう言われたらしい。他の国でもそういうことがたまにあるとガイドブックで読んだが、ブハラでは前日に買えたので、ここでもそうだろうと思っていた。が、やる気がないのか、そういう仕組みになっているのか、とにかく今日は切符を買えないらしい。別の窓口で聞いてみたが、その男性の窓口に行くよう言うだけで埒が明かない。

しょうがないので切符の購入は諦め、宿に戻ることにする。外はすっかり暗くなる。

帰りはマルシュルートカ。各自400スム(約30円)を払う。レギスタン広場前で車から降り、夜のマドラサを見る。ライトアップされているが、光の量はかなりおさえめ。写真を撮ろうと思って絞りを最大に緩くしてもほとんど写らないほど暗い。

そこへどこから制服を着た警官が現れる。一緒に動いていたうちの二人が警官にミナレットに上れないかと交渉している。本来は禁止されているのだが、警備している警官にカネを払えば上れるらしいことはガイドブックに書いてあったので知っていた。

交渉は彼らにまかせる。結局ミナレットに登るなら一人3000スム(約200円)だかを払えというので、それは高いと拒否。ただ、マドラサの中に入るだけなら一人500スム(約30円)でいいというので、マドラサの中に入ることにする。警官はいくつかの日本語を知っていて、それをときおり発する。

警官はマドラサの入り口の鍵を開けて、照明をいくつか付ける。夜は夜でなかなか雰囲気がある。また警官は英語を解したので、マドラサの一角には偉人達の銅像が展示されていて、それを指さしながらこれはそれぞれの名前を言う。その銅像のコーナーは昼間は立ち入り禁止でもちろん銅像にも触れないのだが、警官は自らそこに踏み入り、銅像にもたれかかってみせる。一緒にいた女子学生は、「えー、そんなことしていいの?」と苦笑。

というわけで、ここで警官も交えて記念撮影。

そうしてマドラサを出る。さてカネを払おうかとなったとき、警官は一人500スムと言っていたのを突然5000スム(約350円)だと言い出す。みんなでブーイングとなり、一人500スムずつを渡そうとするが、彼は結局何も受け取らず。しかも、これは良くないことだ、などと言い出す。まったくわけがわからん。

歩いて宿に戻り、晩飯。今晩は宿の飯は食べないつもりだったが、ポロウ(炊き込みご飯的なもの)がうまそうだったので、食べる。が、これが失敗。味は良かったがご飯が芯が残っていていまいちだった。付け足しとして緑大根の短冊切り(だっけ?)が出る。ぼくのものは辛みはなかったが、女子学生のものは辛み大根並みに辛かった。「辛い、辛い」と言っていたら同じくティールームにいた台湾人のYさんが不思議そうに見るので、彼女にも食べさせるが、なんともないと言う。そして、きっと私と日本人では味覚が違うのだと言う。が、たまたま彼女が食べた部分が辛くなかったというだけではないかという疑念が消えず、何度か食べてもらうが何ともないという。不思議だ。

フランス人カップルもその場にいて、参加するが大根は不発。

食後はまたおしゃべり。

台湾人のYさんは歴史教師(高校で歴史を教えている)らしく、フランス人カップルにフランスの歴史教育について尋ねる。言葉は英語にて。

ぼくはそれを脇で聞いていたのだが、フランス人カップルによればフランスでは高校までの歴史ではもっぱらフランスの歴史を中心としたヨーロッパの歴史(植民地も含む)を学ぶだけでアジアのことについては、まったくと言っていいほどやらないらしい。これにはYさんもぼくも驚く。

Yさんによれば台湾も日本と同じく、自国(中国を含む)の歴史はもちろん、ヨーロッパなど全世界の歴史を学校で学ぶらしい。細かいことは聞いていないのでおそらくアフリカや中南米はそこまでやらないのではと想像するが、少なくともヨーロッパの歴史については日本と同じようにやるらしい。だから、あまりに範囲が広すぎて嫌になる学生が多いと彼女は付け加える。

フランス人カップルの女性の方は、大学で歴史を専攻していたらしいのだが、彼女が研究していたのはアラブ世界の歴史や労働者の歴史(社会史)など4つのテーマに沿った歴史がメインでアジアの歴史についてはやっていないと言う。

当然、中央アジアのこともやらないので、地理的にも中央アジアにどんな国があるのか知らない人は多いらしい。フランス人の彼の話では、彼が旅に出る前、友人だか知人だかに中央アジアに行ってくると言うと、その人は”じゃあ、タイとかベトナムに行くんだな”といった反応だったらしい。まぁ、これは日本も似たようなものかもしれないけど、でも国名はわからなくてもだいたいの位置はわかりそう。

またYさんはフランスの試験などについて尋ねる。フランス人カップルによれば、歴史の試験では何年に何が起きたかとか、○○年に起きた○○について説明せよ、といった具合の質問が多いらしい。彼女が付け加えて言うには、日本の試験と同じように細かい年代や人物名などを教えるばかりで、例えばその時代をどう思うかとか、当時の人のライフスタイルなどについては一切教わらないらしい。

それを聞いてYさんは、自分はヨーロッパの教育はもっとクリエイティブで自由(free)なものだと思っていたと言う。それを聞いてフランス人の二人は「Why?」と苦笑いしながら聞き返す。まぁ、ヨーロッパと一口で言ってもいろいろだし、フランスはまた独特だし、どちらかと言えば、Yさんのイメージに合うのは北欧の国々の教育の方だろう。

ちなみに台湾の状況についてフランス人が尋ねると、彼女は、今は各種ゲームとかがあって子ども達は勉強よりもそっちに一生懸命で、授業中寝ていたり、落ち着かなかったりして、非常に授業はしにくいと言う。これについてはフランスも同じだと二人は言う。日本とも同じだろう。

また社会福祉の話になり、Yさんはヨーロッパは福祉が充実していると聞いてるがどうか、というようなことを聞く。フランス人カップルは、以前はそうだったが、今は違うという。シラク以後、またサルコジに至っては、いろんな社会福祉策を切りまくって、以前よりも状況は悪くなっているという。二人は厳しくサルコジについて批判し、彼の方は国民はみんな頭にきているから、そのうちフランスではなんらかの行動を起こすだろう(※彼が言った正確な英語を覚えていないので言い回しは違っているかもしれないが、意味合いとしてはこういうことを彼は言った)と言う。

何かが起こるだろうと言う彼の言葉に、ぼくは日本とフランスとの違いを強烈に感じずにはいられなかった。ひどい状況は日本も同じだが、国民の多くが困窮して頭にきているからなんらかの変化を起こす(!)だろう、なんて思っている日本人はほとんどいないのではないか。と、ふと思う。

フランスに留学していた友人からも聞いたが、フランスでは本当にしばしばストライキが起こり、交通機関が麻痺したりするらしい。そうした文化が根付いているからこそ、政治がダメなときには、それに頭に来ている人がいれば、そうした人が立ち上がるだろうと確信を持って言えるのではないか。

フランス人カップルは、”ぼくらはシンプルな暮らしがしたいだけで、そんなに多くの物はいらない。ただ、今の社会はたくさんの物を作り、消費させるために、たくさん働かないといけないような仕組みになっている。地球には限界があるのだし、こんな暮らしは長く続かないだろう(※これも意訳)”というようなことを言う。

ぼくは彼らが「simple life」と言うのを聞いて、その暮らしの様子が想像できたが、Yさんはそれが想像できないようで「simple life」の「simple」はどういうことか尋ねる。彼らの説明はぼくの想像通りのものだった。日本でそういう系統の雑誌が打ち出しているライフスタイルと同じ。

フランス人カップルが日本はどんな状況なんだと話を振ってくるので、同英語で説明しようかと思案した後、でたらめ英語で回答。

自動車を買わない若者達の話とそれに対する自動車会社の反応、また出世を望まない若者たちの例を挙げ、具体的な部分は違うと思うけれども、どちらかと言えばシンプルライフ指向が強くなっているように思うと説明。しかし、政治を変えたり、経済システムを変えたりする取り組みが活発にならない(また功を奏していない)ため、なかなか変わらないというのが現状だろうとも説明する。

だいたい意図は通じたようで、フランスも似たようなところがあるという反応を得る。

まぁ、そんな話をあれこれしているうちに23時を過ぎたのでお開き。

部屋に戻って明日の出発の準備をしてから寝る。

Fin

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