2011年3月4日金曜日

[diary]サマルカンドからタシュケントへ

サマルカンドからタシュケントへ

2009/01/26(月) 曇り タシュケントは15℃前後
[Samarqand→Tashkent:O'zbekiston]
※レート:1米ドル=1402スム(タシュケントの銀行で)

・鉄道での移動からタクシーでの移動に
・移動の道にて
・タシュケントの第一印象
・タシュケントの安ホテル
・両替をしに

サマルカンドの宿。暖房良好。

6時頃起床。

鉄道駅に8時に行くことになっていたので、通常8時の朝食を7時にしてもらっていた。荷支度をしてからティールームに行く。まだ誰も来ていない。

朝食はすでに準備されていたので、早速食べ始める。今日、一緒に移動する同宿の日本人女子大生2人がまず起きてきて、それからやはり一緒に移動する日本人男子学生1人が起きてくる。

朝食はパンとチーズとヨーグルト飲料と薄い焼きたてのクレープ。

一足先に食事を済ませ、部屋に戻り、それから精算。2泊分の宿代20米ドルと2食分の晩飯代6000スム(約4米ドル)を払う。

8時前、ここまで移動などで一緒だった台湾人のYさんも一緒にタシケントに行くことにしたということで、5人で宿を出て、近くのマルシュートカ(乗り合いバン)に乗り込み、駅に向かう。ちょうど外は明るくなり始めた頃だった。運賃は400スム(約20円)。

8時20分頃、マルシュートカは駅前に到着。夜行列車が着いたばかりなのか、駅舎からたくさんの人が出てくる。歩いて駅に向かっていたら通りすがりの若いにいちゃんが写真を撮ってくれと言い出す。なので、彼と彼と一緒にいた少女の二人を写真撮影。写した写真を見せたら「スパシーバ」と言って去っていった。

さて、駅舎に入り、チケット売場の窓口に行き、ウズベク語ができるH君がタシケント行きのチケットについて聞く。運賃は11000スム(約800円)。高い。宿の人の話では7000~8000スムだろうとのことだったが、急行列車だからだろうかちと高い。窓口横の紙にタシケント行きの列車の発車時刻などともに運賃みたいなのが書いてあったので、この値段(4500スムほどだった)ではないのかと聞くが、それは荷物の値段だと言う。

出発時刻はやはり11時。意外に高かったこともあり、ちょっと考え込む。乗り合いタクシーは一人2万スム(約1300円)と言っていたから、それを値切ってすぐに出た方が早くタシケントに着くからそっちの方がいいんじゃないと提案。ただ乗用車に5人乗れるかどうかが問題ということになる。

列車のチケットは買えそうなので、とりあえず駅前のタクシーに聞いてみようということになり、また5人でぞろぞろと移動。フロントガラスにタシケントと書いたカードを掲げていたタクシーに近づいていき、運転手らしき人に尋ねる。交渉はウズベク語ができるH君がやる。

一人1万5千スムでどうかと言ったら運転手はあっさりオッケーする。そして、すぐに車に乗るように促す。トランクに5人分の荷物はぴったり入り、助手席にぼくが、後部座席に女性3人とH君が乗り込む。だいぶ後ろはきつそうだが、5人乗ることができる。

そしてすぐに出発。時刻は9時15分。

20分も走ると車は家もまばらな郊外に出る。そしてガソリンスタンドに入る。そして運転手は4万スム(約2500円)くれと言い出す。ガソリン代をぼくらが払う運賃から出すらしい。この際だからみな運賃を払ってしまおうかという話も出るが、先に全部払うとどこで降ろされるかわからないため、とりあえず3人分だけ払い、ガソリン代にあててもらう。運転手もそれ以上は要求せず。

再び走り始めてから1時間近くたった頃、うっすらと雪のある地帯に出る。どういうわけかたいして雪は多くないのに沿道の木々は樹氷の一歩手前の状態になっている。北の方からになるのか、吹き付けられた雪が枝の幅だけ積もり、ちょうど3D文字を書いたときの奥行きの部分になっている。不思議な光景。

その不思議な光景はほんの300mほどだけで、その区間を抜けるとそうした木はもとより雪もまったく消えてしまう。

車内ではH君に中国、中国語話を聞かせてもらう。やはり中国内では言葉でその人の出身地がわかるらしい。特に台湾人の言葉は確実に聞き分けられるらしく、しかもそれをまねしてバカにするような人もいるらしい。また内地の人間は自治区の人たちを見下す傾向は強いらしい。

おもしろかったのが彼がウルムチで中国語を勉強しているとき、最初は彼の中国語は中国南部の人が話すような中国語だと言われ、それからだんだん北上し、最後には上海の人が話す中国語だと言われるようになり、しまいにはなんでウルムチで中国語を勉強しているのに上海の中国語をお前はしゃべるのだと言われたりしたと言う。

また一緒に中国語を勉強している中央アジア出身者からは、ペーパーテストの旅に、”お前はいいよな、漢字があるから”などと羨ましがられたと言う。彼が言うには中央アジア出身者は中国語をぺらぺらしゃべることができても、文章を読ませたり、書かせたりするとまるっきりダメだったりするらしい。そういうことを考えると、文字に苦労しないという点では日本に生まれて良かったと思うと彼は言う。

車は140km/時で走る。

13時前、タシュケントと書いた大きな看板が見え、運転手が日本語で「コンニチワ タシケント」と言う。そして、何か日本の物を「スーベニール」(プレゼント)としてくれないかとねだり始める。女子学生の一人が持ってきていた柿の種を渡すが、運転手は不満のようで他に何かないかとしつこくねだる。日本製のボールペンなどがないかと言われるが、誰も何も持っていない。

13時半前、タシュケントのサービル・ラヒーモフ・ターミナルに到着。これからファルガナに行く台湾人のYさんだけここで降りて、残りは中心街まで乗せてもらおうと運転手にその旨伝えるが、中心部までは別料金だと言い出したので、みなで降りる。

ここでYさんとは別れ、4人で地下鉄の駅に行く。タシュケントの地下鉄は警察が多くて、しばしばパスポートチェックなどをするため面倒だと聞いていたが、さすがに4人でいたからかホームの警察は何も聞いてこなかった。

さすがに地下鉄に乗るとここは確かに首都であり、国内最大の都市なのだなと感じる。旧ソ連らしくホーム内の壁の装飾はなかなか凝っている。グルジアのトビリシの地下鉄と違って車両内の電気はちゃんとついていて明るい。

ぼくはホテルに行くため途中のパフタカル駅で乗り換え。ここで他の3人とお別れ。地下鉄の別の路線に乗り換える。地下鉄に乗っている客は多い。さすがに首都というわけか、西のまちで多かった服装と比べるとより西洋風な格好の人が多い。男について言えば、帽子が野球帽タイプやニット帽が多く、あのロシア的なごつい円柱型の毛がふさふさしている帽子をかぶっている人は少ない。ただ、黒い皮のジャケットに黒のズボンに革靴というのは同じ。髪型もみな短い。女性も基本的に黒い服を着た人が多いが、たまに赤や黄色などの明るい色を着ている人がいる。

あと目に付くのが金髪のロシア系の人。けっこう多いなと感じたのだが、後に知ったところによると5%程度しかいないらしい。また言葉もウズベク語やタジク語ではなく、ロシア語ばかりが聞こえてくる。

ホテル近くの地下鉄駅で降り、地上に歩き、歩いてホテルを探す。ぼろい建物と予想していたのだが、それらしき看板が出ている建物がなかなか見あたらず、またそれらしき物があったものの看板がなく、一度は通り過ぎてしまう。

地図で確認してそれらしいぼろいビルに入ってみると、そこがホテルだった。1階の受付に行くとそこにいたオヤジは、呼んでいた新聞から目を離し、一泊の料金は12000スム(約900円)だと言った後で、パスポートを見せろと言い、ビザのページなどのコピーを同じフロアにある店でコピーしてくるよう言う。なんで客のこっちがコピーしないといけないんだと思い、言うがそれなら泊まらなければいいというような態度。

こんなところ潰れてしまえと思うが、他に安宿がないし、探す気分にもならないんで、しょうがなくコピーをとる。1枚100スム(8円)もした。通常は50スムなのに。

いらいらしながらコピーを渡す。管理人という女性が上から降りてきていて、彼女について3階にあがる。そこに管理人室があり、そこで1泊分のカネを払い、鍵をもらい、部屋に案内される。

部屋は3人部屋で、ベッドがコの字になって並んでいる。暖房の効きはいいが、若干たばこくさい。ここを一人で使うらしい。便所とシャワールームは貧弱で、便所の便器がふらふらしており、シャワールームは湯船はあるがシャワーのノズルはおろか、ホースさえもない。ただ蛇口があるだけ。湯船もあまり掃除されていないようで、だいぶ汚れている。やれやれ。こんな施設なら500円程度の価値しかないのだが。

荷物を部屋に起き、しばらく休憩してから宿を出る。ホテルの近くの大きな通りのバス乗り場に行く。スムが残り少なかったので中心部にある両替屋に行こうと中心部に行くバスを探すが、なかなかない。というかどれがどこに行くかがわからない。待っている人に聞くが、なんだか要領をえない。

バスの他に路面電車があったので、そちらに乗ることにする。こっちの方は路線図がガイドブックにあるので乗りやすい。ただ本数が少ない。

結局トータルで30分ほど待って、路面電車に乗る。運賃は400スム。車両は古くあちこちがきしむ音をたてながら走っている感じ。道路は広く片道3車線。

間もなく右手に電気屋街が並ぶ通りに出る。電気屋街と言ってもビルなどはなく、いずれも小さな商店的な店構え。

中心部近くで路面電車を歩いてアミールティムール広場を越え、メインストリートのサユルガーフ通り、通称ブロードウェイに行く。が、ブロードウェイと聞いて想像していた通りとはまったく違って閑散としており、拍子抜けする。人通りもさることながら店も少ない。これがメインストリートと呼べるのか?と言いたくなるほど。

まぁ、それはともかくとして両替屋を探す。両替屋はすぐに見つかる。レートは1米ドル=1402スム。闇両替と比べれば安いが、闇両替を探すのが面倒なので、ここで両替する。

それから電話をするために電話屋を探す。きれいなホテルがあったので、そこに公衆電話があるかと思い聞くが、ないと言われる。ただ代わりに電話屋の位置を教えてもらう。なので、電話屋に言って電話。

その後、ネット屋による。ネットは1時間1000スム(約70円)。そこそこ早いがUSBが使えず。

そうこうしているうちに夕方17時を過ぎ、だんだんと暗くなる。なので宿に戻る。

宿の周りで食堂をちらっと探すが見あたらないので、宿のビルの1階にあるカフェでラグマンを食べる。丼が小さく不満に思う。味はこれまでのものとたいして変わらない。可もなく不可もなく。店の人はみなロシア系で、店もロシア料理屋だった。

それから近くの売店で水などを買ってから部屋に戻る。

シャワーのノズルがないためシャワーは湯船にしゃがんで蛇口から直接浴びる。なんで1000円近くも払ってこんなことしないといけないんだ!アフリカの宿の方がはるかに良かったわ。

夜は書き物したり読み物したりしてから寝る。

Fin

0 件のコメント: