2011年3月4日金曜日

[diary]ビシュケクでだらだら 再び

ビシュケクでだらだら 再び

09/02/07(土) 晴れ
[Bishkek:Kyrgzstan]
※レート:1米ドル=41ソム(両替屋にて)
1米ドル=91円

・書き物
・近くのバザールへ
・警官につかまる

今日も時間調整というか、カザフでの曜日調整のためにビシュケクに滞在。

朝から外は晴れ渡っていたが、出かける気にならないのが、ここビシュケク。バカな警官が多いのは困ったものだ。

今日は完全に宿こもりしようかと朝から宿にいて書き物をしたり、おしゃべりをしたりで時間を費やす。

夕方前の15時になってちょっと散歩に出る気になる。歩いて10分ほどのところにバザールがあるというので、そこに行く。

先日降り積もった雪はここ3日ほど快晴が続いたおかげでだいぶ消えてしまった。

5~6階建てのアパートが立ち並ぶ地帯の一角にそのバザールはあった。もっと小さいかと思っていたが意外に大きかった。総面積はサッカーコート程度ある。ここもプレハブのようなあるいはまたコンテナのような店舗と屋根のみが整備されている販売コーナーがあり、その他に通路でパンやキムチやサラダやみかんやりんごを売っている人たちがいる。

写真を撮りながら歩いていたら警官3人の近くを通り過ぎる。しまったと思ったら案の定そのうちの1人が来て、パスポートを見せろと来た。もちろん警官はロシア語しかわからない。ぼくのパスポートを見て、ビザはどこだと聞いてくる。日本人は必要ないとロシア語で応えると、なぜだと聞いてくる。自分の国がそう決めているのに旅行者にそんなこと聞くな! またバカな警官かよ、とがっくり来る。だいたいビザが免除されている国の人間なんて限られているだろうに、それくらい覚えろってんだ。

バカには何を言ってもわからないわけで、ビザは不要だというのに詰め所に連れていくと言い出す。日本大使館に電話しろと言っても詰め所に電話があるからと言って聞かない。しょうがないのでついていき、途中通りがかった店で電話を貸してもらおうとしたら、警官が止める。なんでこういうバカな奴にぼくの時間をくれてやらなきゃいけないんだ。

詰め所に行く途中20代前半くらいの若者グループに出会う。警官は彼らにもドキュメントを見せろと言い、少しチェックしてから全員を詰め所に連れていく。こうした展開ならこの間のようなことはないかなと少し警戒を解く。

詰め所に行ったら私服のおじさんと制服のおじさんがいた。えらそうに座っている2人も日本人がビザが必要なのかどうかを知らない。先に若者たちにあれこれと質問を始め、ぼくにはしばらく待つように言う。なぜかわからないが、若者の一人は指紋を採られていた。

しばらく待っていると私服のおじさんがどこかに電話をかけ、ヤポンスキーがどうのと言っている。そうしてからパスポートを返してくれる。日本大使館の話ではパスポートを細かくチェックする権限さえ警官にはないのだが、当然そんなことは知らない。あるいは知っていても関係ないというのが、ここの警官。さらにもう1人20代半ば過ぎくらいの男が別の警官に連れてこられる。いったいここの警察なんなんだ!お前らが一番怪しいだろうが!

結局、何もないままぼくは解放される。連れてこられた若者のうちで早くに解放されていた人の一人が、ロシア語で”警官はなんて言っていた?”と聞いて来るが、当然わからないのでわからないと応えると、ぼくの肩をポンポンと叩き、じゃあまたというような仕草をする。ぜひとも彼らには政権をひっくり返して警察を正してもらいたいものだ。

何かうまそうなものがあったら晩飯用に買って帰ろうかと思っていたが、特に惹かれるものがなく、結局何も買わずに宿に戻る。

宿に戻ってからテレビをつけてみると「(邦題)戦場のピアニスト」のロシア語吹き替え版が放送されていたので見る。2003年に映画館で見て以来2度目。ポーランドのワルシャワが舞台でかつナチス占領下を生き延びたユダヤ人ピアニストがテーマなので、またイスラエルを思い出す。

宿のテレビはロシアの各種チャンネルの他、CNNやEURONEWS、中国の外国向け英語放送局CCTV、さらにドイツやフランス、韓国、インド、トルコのチャンネルも見ることができる。以前はNHKも見れたらしいが、受信料が高いためやめたらしい。ちなみにほとんどのチャンネルでロシア語吹き替えがされているので、ロシア語がわからないとほとんどの番組は見るだけになる。

ニュースを見ているとガザのことが相変わらず報道され、中国については記録的な干ばつのニュースや厳しい就職活動をしいられている学生たちのニュースなどが流れる。

夜は昨日買ったパンと一昨日買ったサラダで夕食。

あとは読み物と書き物をしておしまい。

Fin

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