2011年3月4日金曜日

[diary]宿変え、日本大使館へ、警察に申し入れ

宿変え、日本大使館へ、警察に申し入れ

2009/02/03(火) 曇りのち大雪
[Bishkek:Kyrgzstan]
※レート:1米ドル=40.5(両替屋にて)

・宿変え
・日本大使館へ
・警察に申し入れ
・宿でおしゃべり

まだ薄暗い7時すぎに起床。夜間は停電しているため暖房が効いていないのだが、部屋内はたいして寒くない。

宿を出る準備をする。

宿の鍵はもらっていなかったので、同室のA君に頼んで玄関の鍵を開けてもらい、宿を出る。

まだ薄暗い中を歩き、最寄りのバス乗り場に行く。10分ほど待つとトロリーバスが来たので、それに乗り込む。

途中で新しい宿近くまで行くルートのトロリーバスに乗り換える。わりと空いているので、でかい荷物を持っていてもなんとか乗れる。

8時半過ぎ、新たな宿に到着。チェックインして、荷物をおろし、宿の情報ノートを眺めながら、一息つく。

そうしてから宿を出て日本大使館に向かう。外に出ると雪がちらちらと降り始めていた。

宿の近くの通りからマルシュルートカに乗り、日本大使館近くで下車。歩いて日本大使館に向かう。雪はだんだんと本降りになり、あっと言う間に路面が真っ白になる。頭や肩に雪が積もる。

10分ほど歩いて日本大使館に到着。ミニ御殿的な造りの建物で敷地は高さ3mほどある鉄格子で囲まれている。

表に警備員らしき男性がいたので、その人に英語で話しかけるが、英語は解さないようで、片言ロシア語で用事がある旨を伝える。名前を聞かれ、伝えると中の人と連絡をとってから中に入れてくれる。

館内に入るとすぐ右手が窓口だった。ここの窓口はテヘランのようにマジックミラーにはなっていない。中に座っている男性を見たときは二人とも日本人かなと思ったが、実際は地元採用の人だった。

窓口で用件を伝えると領事が窓口の一人と一緒に中から出てくる。挨拶を交わしてからテーブルに座って昨日の警察の所業を伝える。

一通りぼくの話を聞いてから、領事はキルギスの警察の現状、被害届けを出した場合の流れなどを説明してくれる。

警察が腐っているのは領事も当然知ってはいるものの、なかなかその対処は難しいらしい。被害届けを出すとすれば、まず受理されるまでに1週間なりの時間がかかり、また受理されたとしても担当の刑事(?)がどれだけ本気でやるかがわからないという問題がある。また担当の刑事がやる気がある人であっても、現場検証や事件当日の再現などのために被害者が彼らに協力しなければならず、しかもいつ警察からお呼びがかかるかわからないため、その間中、ビシュケクにいないといけないらしい。

加えて、そうした調査を経て起訴するまでには平均3ヶ月はかかるという。さらにロシア語がわからなければ、通訳を被害者自身で雇わなければならないので、時間だけでなくオカネもかなりかかるらしい。

こう言われると当然現地に住んでいない人間にとっては、被害届けは出さないという選択肢しかない。1ヶ月程度であれば滞在費も安いからやってもいいかと思ったが、3ヶ月となると無理。どうせ政府側も警察側も外国人旅行者がこうした被害に遭っても法的な手段は取ってこないと見越しているんだろう。

領事が被害届けを出さないなら申し入れに行くという手もあるがどうかと聞いてきたので、申し入れすることにする。大使館の方で警察の方にアポイントを取るから、14時に大使館に電話をくれるようにと言われ、いったん大使館を出る。

14時まで1時間弱あるので、電話屋併設のインターネット屋で時間をつぶす。外は相変わらず雪がずんずんと降り続いている。

14時過ぎに大使館に電話をすると警察署の副署長が会議中だったためまだアポが取れていないという。そのため16時過ぎにまた電話くれるようにと言われる。16時と聞いて申し入れは明日になるかなと思い、いったん宿に帰る。すっかり雪は積もってしまって、景色が朝とは変わってしまった。

宿で本を読んだりしていたら、15時半過ぎに宿の電話が鳴り、それに出た家主がぼくに電話だと教えてくれる。電話は大使館から。アポが取れたからすぐに大使館に来るようにと言われる。

雪が積もったので、ランニングシューズからブーツに履き代え、外に出る。またマルシュートカに乗って日本大使館に向かう。

30分ほどかかって日本大使館に到着。すでに出発の準備はできていて、領事らと一緒に大使館の車に乗り、警察署に向かう。

領事が本当の警察かどうかを確認するため現場を見たいというので、現場に赴く。ゴーインという中国系のスーパーに付属している小屋がその現場なのだが、大使館の人が確認したところ確かに本物の警察の詰め所らしい。スーパーの警備を警察が請け負っているという。

運転をしている大使館職員の話に寄れば同じ場所で2年前にも同じようなことがあったらしい。犯人はもちろん警察。

そこから10分足らずで警察署に到着。3人で警察署に乗り込む。

2階の副署長室に案内され、まずは領事と大使館職員が先に副署長と面会。遅れてぼくが中に呼ばれる。副署長は34歳。腹はパンパンに出ていて、一重瞼で目つきが鋭い。たとえて言えばアニマル浜口系の顔をしている。言葉は相手がキルギス語でこちらは日本語なので大使館職員が間に入って通訳。事情をかなり大ざっぱに話す。副署長はそれを黙って聞いていた。

本当に解決する気があるなら犯人を特定できる細かな部分を聞いてくると思うのだが、そういう質問はなし。服装を聞いてきた程度。

副署長の話ではまちをパトロールしている警官には内務省の軍警察と警察アカデミーの生徒、警察の3つがあるらしい。内務省では最近、こうした外国人に対する犯罪を防ぐために厳しく指導しているという。

被害届けは出さないと言うと、なぜ出さないのかと副署長は聞いてくる。時間がかかるからと言ったが、特に反応はなし。

副署長はこうしたことが起こらないように、今日からでもパトロールを強化するという。そして、犯人探しもできるだけやってみるという。犯人なんて昨日の詰め所の勤務表を見ればすぐにわかるっちゅうに。それにそいつらの写真を持ってこい、写真を!と言いたかったが、どうせ警察も腐ってるんだろうなと思い、神妙に副署長の言葉をありがたくいただく。だいたい警察の犯罪を防ぐために警察によるパトロールを強化するってなんだ? 

副署長は内務省に外国人課というような部署があって、そこが主に外国人関係を扱っているので、今度領事にその課長(に相当する人?)を紹介するという。そして金庫の鍵を開けて、中から500mlの「ビシュケク」と書いた未開封のコニャックを取り出し、領事にプレゼントだと言って渡す。

以上で申し入れは終了。

まぁ、腐ってるんだからカネが戻ってくることも犯人が捕まることも期待できないから、警察署を見物できたということをせめてもの収穫と思わないとなんだかバカらしい。きっとこれまでもこうしたことを何度もしているのだろう。正直に言えばこんな国になんか協力隊とかODAとかをつぎ込む必要はないと思う。キルギスの人は飢えているわけではないんだから、援助は止めて早く政府が潰れ、警察が刷新されるのを待った方がよほどこの国の人のためになるのでは。

あるいは被害に遭った外国人でネガティブキャンペーンを張って、キルギスの警察がどれだけひどいかをアピールし、かつ国内で警察に不満を持っている人たちを支援するなんてのもありか?

大使館の車で宿まで送ってもらい、そこでお別れ。宿に戻ったものの夜食がなかったので、バスで近くの商店まででかけ、人参などの総菜やパンを買って帰る。

夜は同部屋の人と明け方までしゃべる。同部屋の人は旧ソ連地域をほとんど回ったことがあるらしく、ロシア語も堪能。毎晩ビシュケクのまちに出かけているらしいのだが、ときにいたい目にあったこともあるらしい。なので、夜に出かけるのはすすめないと言う。しばらく前には夜、目の前でロシア系の若い女性が車に拉致されていくのを目撃したり、歩いていたら泣いている女の子がいたので聞いたところ、鞄などをひったくられたと言っていた人もいるらしい。

ここでもオカネがある人や勉強ができる人は次々と国から出ていっているらしい。特にロシア系の人はロシアに行く傾向が強いという。

またこのまちにカジノが多い(ぼくが確認しただけで5カ所ほどある)のは、カザフスタンで禁止されたため、それがこちらに流れてきてカザフ系の人が経営し、カザフ人が遊んでいるためだかららしい。ただ、中国人もずいぶん遊んでいるという。一度、見に行ったことがあるらしく、ビールが200ソム(約500円)くらいしたらしい。だから、カジノの中は別世界だと言う。

キルギスに初めて来たのは5~6年前らしく、そのときと比べると物価が物によっては倍以上になったという。以前は15ソムで食べられたラグマン(中央アジア風肉うどん?)が今では安くて40ソムなど。また当時と比べて中国人の数が圧倒的に増えたらしい。キルギス人の中国人に対する評価は悪く、一般的に嫌っているらしい。日本人は少ないためたいてい中国人か韓国人かと尋ねられるのだが、そのときに日本人だというと”へ~”とちょっと驚くような反応が返ってくるらしい。

ソ連時代が良かったと言っている人は、ここにもいるが、ハンガリーなどでも会ったらしい。理由はやっぱり仕事がみんなにあったということが大きいらしい。

また例えば以前なら年寄りは無料だったバスなどの公共交通機関が今では有料になったりと、そうした社会サービスの面での低下が旧ソ連時代を懐かしむ一因になっているらしい。

Fin

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