2011年3月4日金曜日

[diary]タシュケントで一日

タシュケントで一日

2009/01/27(火) 小雨→曇り、晴れ 15℃前後
[Tashkent:O'zbekiston]
※レート:1米ドル=1402スム(タシュケントの銀行で)

・バス探し
・いらつくカフェ
・日本人墓地
・会食

タシュケントのボロホテル、ハドラ。

6時頃、起床。暖房の効きはよし。外はまだ薄暗い。しばらく物書き。

明日の出発を控えて、バスの下見に行く。9時前に部屋がある4階から階段を下って外に出る。

歩いてトラム(路面電車)乗り場に行き、トラムが来るのを待つ。やってきたトラムに乗り込む。どうもすでに通勤時間のようで、乗客が多かった。トラムの運賃は地下鉄などと同じく1回400スム(約30円)。

車両には運転手以外に集金係が同乗していて乗客の間を回って運賃を集める。このトラムの集金が係りは10代後半と見られる男。彼にぼくが行きたいバスターミナルのことを言うと乗り換えしないといけないと言い、その場所は教えてくれるとロシア語で言う(こちらは仕草でそのように解釈しただけだけど)。

彼が合図したところでトラムから降りる。外はしとしと雨が降っている。しばらく乗り換えのトラムが来るのを待つ。

待つこと20分ほど。やっと待っていたトラムが来る。乗り込む。また400スム払う。

トラムはのんびりと時速15km程度のスピードで郊外に向けて走る。古くなってさびたような屋根を持つ家々がある地帯が見えたり、線路を越えたりして40分ほどかかって終点のバスターミナル駅に到着。結局宿を出てから待ち時間を含め1時間30分近くかかった。

トラムを降りればそこにバスターミナルがあるかと思いきややや離れていて、しかも陸橋が邪魔で視界が悪い。そのため近くにいたおじさんにバザールの位置を教えてもらう。

歩いてバザールに行く。陸橋の反対側がそれだった。最寄りの入り口から入ると暗い! 屋根があって中は各がそれぞれのスペースに商品を陳列しているのだが、電球が一つもなく、外も雨で暗いため光がまったくない。これじゃあ商品同士の違いがわからんじゃろというくらい暗い。

屋内の通路にも屋外の通路にも手に服や布地を持って商売をしている女性たち子どもたちがいる。外にいれば当然雨に濡れる。

また通路には水たまりがそこここにできていて、歩くのにも気を使う。一部の店はブルーシートやビニールを屋根代わりにした屋台スタイルだから、上から水が落ちてこないかも気にしなければならない。

ビニール長靴を短く切って作ったような雨靴やブーツを売る店、ビニール袋だけを扱っている店などいろいろあるが、全体の規模は小さめ。くまなく歩いても30分はかからない。

朝飯を食べていなかったのでカフェでラグマンを食べる。味はよし。

それからビニール袋屋で雨対策として小さなリュックを丸ごと包めるくらいの大きさの黒のビニール袋を買う。500スム(約30円)。

そうしてからバスターミナルの方に行く。行き先の書いたボードが掲げられ、乗り場もきちんと整理されたバスターミナルだったのだが、ここはどうも近郊のまちに行くバスターミナルのようで、そこで客引きしている男に聞いたらファルガナなどに行く車はあっちだと道路を挟んだ向こう側の駐車場を指さす。

なので、雨の中早足でそちらへ移動。バスターミナルの建物らしい小さなコンクリート作りの建物がある駐車場にまず行く。そこで聞いたらここでもなく、向かいの駐車場だと教えてくれるので、地下道を通ってそちらに行く。地下道には車いすに座って物乞いをしている人がいた。菓子やたばこを小売りしているおばさんもいる。

駐車場に行くとセダンタイプの車がたくさん停まっていて、そのうちのいくつかには行き先の地名を書いたカードをフロントにおいているものがある。運転手らしきおじさんたちが立ち話をしているのだが、寄ってこない。なので、こっちから近づいていき、ファルガナに行きたいというと客引きが始まる。明日だと言うと一気にその熱は衰えたけど。運賃とかかる時間だけ聞いてそこを後にする。

歩いてトラム乗り場まで行く。だが、トラムがなかなか来そうにないので、適当に中心部に行きそうなバスに乗る。これが間違いだった。

緑色の中国製らしい比較的新しい車体のバス。乗り込んだらなんだか眠くなり、寝てしまう。気づくと終点に来ており、バスはアイドリングしている。このまま乗って戻るという手もあったが、同じルートを行くのはつまらないので、隣に停まっていたバスに乗り換える。バスの運賃は400スム(約30円)。

バスはアパート街や住宅街の中を走る。道は舗装されているものの一部は穴が開いてぼこぼこになっていたりする。住宅の建物もかなり年季が入っているものが多い。トタン屋根であればたいてい錆びているし、壁の色も長年の風雪に耐えてきたのだろう、そのせいでくすんだ色になっているものが多い。

メトロの駅にでも停まればそこで降りようと思っていたのだが、それらしきところに停まることがない。降りるきっかけをなかなかつかめずにいるうちにどこにいるのかわからなくなる。やれやれどうしたものかと思っていたらバスは大きな陸橋を渡る。そうして渡っておりたところは、さっき朝飯などを食ったバザール前だった。結局、元の場所に戻ってきてしまった。

1時間近くかそれ以上、バスに振り回されたため、少し謙虚になって安全策を取ることにする。ここでバスから降りてのろいがトラム(路面電車)に乗り換える。ちょうど停まっていたトラムがあったので、それに乗り込む。回ってきた集金係の女性に運賃を払う。トラムは15分ほどして出発。例のごとく時速15km程度で走る。

これですんなり中心部に戻れるかと思いきや突然トラムが止まる。なんだ?停電か?と思い、前を見てみると前には他のトラムが2台(?)止まっていた。どうも故障したらしい。あるいはただ時刻表通りに動かず路線が過密になったのかも。集金係の女性が乗客に向かってぺらぺらと何か言ったらみな降り始めたので、ぼくも降りる。どうも動かないから乗り換えろということらしい。バスにでも乗り換えるのかと思いきや一番前で止まっているトラムにみな乗り込んで行くのでぼくもそれに倣って乗り込む。改めて運賃を取られたりしないか気になったが、そういうことはなかった。

こちらのトラムは故障しているわけではなかったようで、乗客が乗り込むとすぐに走り出す。順調に中心部に向けて走っていたのだが、15分ほど走るとこれまた突然止まってしまう。前に他のトラムがあるわけでもないので、今度は故障らしい。客の数人が降りていく。ぼくもタシュケントの鉄道駅近くにいることがわかったので、降りて近くの地下鉄の駅に向かう。

タシュケント駅前の地下道に入る。地下道に入った途端、強烈な小便のにおいを嗅ぐ。

中途半端に開いているドアを押し込み、中へはいる。地下鉄の改札を通るためのジェトン(プラスチックのコイン)を窓口で買ってからエスカレーターでさらに地下深くへ降りていく。

地下鉄は10分に1本は走っているからトラムのように待ちぼうけをくらうこともない。唯一地下鉄を使うときに面倒なのは警察のチェック。だが、このときは何もなかった。

順調に地下鉄に乗り、途中で路線を乗り換え、目的地に行く。今日は政治的抑圧者記念館と日本人墓地とその関係の資料館に行こうと思っていたのだが、トロトロしていたおかげですでに時間は14時を過ぎようとしていた。

とりあえず遠いところから先に行こうと日本人墓地近くに行くバスを待つ。アライ・バザール前のバス停留所である番号のバスが来るのを待つ。なかなかこないので、近くの店でアイスを買う。一番安そうなやつを買ったらこれが粉っぽいアイスでまずかった。どうやったらこんなアイスが作れるのか不思議なくらい粉っぽい。

20分ほど待ってようやく狙いのバスが来る。乗り込む。

乗り込んだらすぐに集金係の男性に降りたい停留所名を告げる。愛想良く了解してくれる。バスには眠りを誘うなんらかの空気があるのか、また寝てしまう。

適当に目が覚めたときにはけっこう寝たように思い、もう行きすぎたのではないかと不安になる。だが、目が覚めてから10分ほどした頃、集金係がここだと教えてくれる。無事、目的地に到着。時刻は15時を過ぎようとしていた。

バスから降りてすぐの通りを進行方向右に入る。その通りを歩いて5分足らずで墓地の入り口につく。途中に資料館があることも確認。

墓地に入る。管理人とかがいて入園(?)を監視しているかもしれないと思っていたが、そういうのはなく、ずかずかと入れた。だが、どこに日本人墓地があるかわからない。

17時にホテルで待ち合わせをしていたこともあり、のんびり探すことができないので、もうわからないまま帰ろうとしたら墓地の清掃をしていた人たちが「コンニチワ」とおかしな日本語で声をかけてきて、指さしてその場所を教えてくれる。

教えてくれた方に行くとすぐに日本人墓地は見つかった。時間がなかったのでちらっと見て、写真を撮っただけで後にする。墓石にもっと歴史的なことが書かれているかと思ったが、意外にあっさりしていた。

なお、ここの墓地の一部の墓石には、アルメニアやグルジアなどでも見かけたように、故人の肖像や全身像がリアルに彫り込まれている。どういう技術を使っているのか知らないが、その出来具合は写真並み。2002年にアルメニアに行ったときにこうした墓石を初めて見たのだが、このときはバスに乗っていて車窓から外を眺めていたら道ばたに黒い墓石に若い男の肖像を彫り込まれていたので、その前を通り過ぎた瞬間、一瞬亡霊かと思って目を疑い、振り返ったことがあった。これはこれで故人の顔などがわかりいいように思うが、でも1つの墓石につき一人しか掘っていないからこれからもこうした墓石を作るとなると先人のをどうにかしないと墓石があふれて墓地の敷地内では対応できなくなるだろう。といっても、ここには空いている土地がたくさんあるようだから土地に困ることはないかもしれないけど。

結局墓地を10分足らずで後にして、墓地の近くにある日本人資料館に寄る。しかし閉館中のようで、ドアをたたいても誰も出てこなかった。なので、またバスの停留所に戻り、市街地に戻る。

路面電車に乗り換え、待ち合わせ時間の17時前にホテル着。

17時過ぎに待ち合わせしていた人と会い、食事へ。この人はシニアボランティアとしてタシュケントに来ており、すでに1年半住んでいるとのこと。当地で経験した興味深い出来事などを聞く。

19時過ぎに店を出て、ホテルに戻る。

あとは明日の出発の準備をして、書き物をしたり読み物をしたりしてから寝る。

Fin

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