2011年3月7日月曜日

[diary]カーシー(カシュガル)到着

カーシー(カシュガル)到着

2009/02/19(木) 晴れ
[Urumqi→Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

※時間は自治区の時間

・23時間の移動でカーシー到着
・カーシーのまち
・人民広場
・ウイグル人地区

ウルムチからカーシー(カシュガル)に向かうバスの中。

布団があることもあり、夜は寒くなかった。

明るくなった頃、目が覚める。窓の外を眺めながらMP3プレイヤーで中国語を聞く。緑気がないのは相変わらず。

しばらくして沿道に煉瓦作りの家や土壁の家が見える。そして、バスは土ぼこりを上げながら駐車場らしきところに止まる。便所と休憩所があるだけの小さな駐車場で舗装もされていない。

乗客が次々と降りていくので休憩かと思い、ぼくも降りる。降りる間際にもしやと思い、運転手に「カーシー?」と聞くと「カーシー」と言ってうなづく。どうも着いたらしい。

ベッドに置いていた小型リュックを取りに行き、靴を履いてバスを降りる。リュックを荷台から取りだし背負う。

時刻は新彊時間の10時過ぎ。ウルムチを出てから23時間で着いた。

改めて降りて周りを見渡したが、ここまで素っ気ないバスターミナルも珍しい。ターミナルというよりもただの駐車場。それも未舗装だからバスが停まっていなければ、ぜったい空き地か何かと思って見逃すようなところだ。

駐車場にはタクシーなども乗り付けていて、一部の乗客はタクシーに乗り込んでいた。近くからバスがあるらしいことはガイドブックに載っていたのだが、少なくともこの駐車場内にそれらしき乗り物はない。

何人か歩いて出ていく人たちがいたので、その人達をまねてちょっと歩いてみることにする。

ターミナルを出ると1本道が左右に伸びていて、みな右の方に行っていたのでそちらに向けて歩く。ここで初めて見たのがバイクの後ろに金属製の荷台を付けた乗り物。8人ほどが乗れるように座席も作られていて、通り過ぎていくその乗り物はどれも満席状態。屋根はなし。

沿道にはナン屋が5軒ほど並んでいた。ぼくを見て声をかけてくるおじさんが1人。キルギスやカザフ、ウルムチでは道を歩いていて声をかけられることなどなかったので、久しぶりのことだ。

おじさんは中国語で何をかを言う。が、こちらはまったくわからない。適当に日本人だと言うと、”おー、ヤーポニャ”みたいなことを言う。おじさんは焼く前のパン生地に水をかける作業をしていて、他の二人はその生地を釜の内側にペタペタと貼る作業をしている。釜は中央アジアと同じく壷型でてっぺんが開いている。パンの生地は壷型の釜の内側の壁に貼られていく。釜の中では火がたかれているので、それで焼き上がるのを待つというスタイル。

その道をちょっと行くと舗装された片側2車線ほどある大きな通りにでる。どでかい病院の建物が左手に見え、沿道には食堂や各種商店が並んでいる。ここまで来てバスを発見。

8番のバスに乗る。バスはマイクロバスサイズ。適当に乗り込んでからバスの集金係らしい女性に行きたいホテルの名前を告げる。するとバスが違うようで別のバスに乗るようにというようなことを言われる。ガイドブックを見てみると予定していた宿に行くには9番がいいらしい。バス停でおろしてくれ、運賃も取られず。

9番のバスに乗り換える。乗り込む前にやはり集金係と見える女の子にガイドブックを見せてここの宿に行きたいのだがと伝えようとしたら、彼女は漢字が苦手なのか手を振って拒み、運転手に聞けと言う。なので、運転手に見せるとすぐに了解した。

この沿道にも店がたくさん並んでいてなかなか賑やか。招待所も1軒見かける。シャシリクを焼く炭火の煙がそちこちから上がっている。

よく整備されている通りを走ること15分ほど、目的の宿の前に到着。運賃1元(約15円)。

そこで降りたものの予定していた宿には行かず、あたりに招待所がないか探して歩く。しかし、見あたらず。結局、元来た道を戻るのも面倒なので、適当な宿に入って値段を聞いてみる。

1軒目に入った宿のカウンターには10代半ばくらいの女の子がいた。ここの宿の娘さんなのだろう。彼女に部屋はあるかとにわか中国語で聞くと、当然ながら中国語で返答される。それが想定外に長い返答だったので、何を言いたいのかわからず。とりあえず30元(約450円)の部屋はないかと聞いてみると、また何をか言う。首をひねっていると彼女は紙を取りだし、そこに書いてくれる。完全には意味がわからなかったが「公共的」とかと書いている単語からトイレやシャワーが共同なのだろうと思い、OKと言ってそこにする。

30元と10元のデポジットの計40元を払い、チェックイン。3階にあがるとそこにいた掃除係らしい女性が部屋を教えてくれる。部屋は5畳ほどの広さでタイル張り。ベッドが2つにテレビ、小さな細長い球型の蛍光灯が1つ。トイレ、シャワーなし。十分よろしい。

トイレの場所を教えてもらうと4階だと言われる。4階に行ってみるとこっちはなかなか年季の入ったトイレだった。ウルムチで泊まった招待所の方がはるかにきれい。

12時前だったので、荷物を置いて宿を出る。元が少なくなっていたのでまずは両替。

適当に歩いていたら中国銀行の支店を発見。だが、開いていない。シャッターに営業時間が書かれていてどうも昼休みを取るらしいことがわかる。ただその時間が北京時間なのか新彊時間なのかはわからず。どちらにしても今開いていないならここから少し離れているカーシー本店の方に行っても開いていないだろうと思い、適当にふらつくことにする。

人民西路を歩いていると奥の方に連なる横道があったので、そこに入る。両脇には鶏や豚の各部位を煮たものを売っている店や北京焼き栗を売っている店、くるみやアーモンド、干しぶどうなどを売っている屋台などがある。左手には大きな電化製品屋もあった。奥まで行くと右手に屋台街が登場。これがガイドブックにあった美食城らしい。

屋台街はアーケードの中にあり、100mにわたり通路の両側に店が計30軒ほど並ぶ。ウイグル料理から四川料理、重慶料理などと看板に書かれ、それを見ればどこの料理かがわかる。

一通り店を見て回る。各地の料理もうまそう(特に小さな鍋料理がうまそうだった)だったのだが、せっかく新彊にいるのでウイグル料理をと思い、ウイグル料理屋に入る。ウイグル料理屋の看板にはアラビア文字が併記されているから、それだけでそこがウイグル料理屋だということがわかる。

これまで食べたことがないものをと思ったのだが、どうもラグマン(うどんのトマトベースの羊肉野菜炒めかけ)とプロフ(炊き込みご飯みたいなの)しかないよう。ウルムチでラグマンは食べたからプロフにしようかと思ったら、なんと9元(約140円)ほどもするというので、5元(約75円)のものは何かと尋ねたらラグマンということになり、結局新彊で3度目のラグマンとなる。

麺は手打ちで店内で若いにいちゃんが麺を延ばしながら、バンバンと木製のまな板(?)に叩きつけている。味付けはウルムチと同じトマトベースの羊肉と野菜炒めをかけたもの。量はそこそこ多い。

麺を打っていたにいちゃんは、ぼくのことがすぐに日本人とわかったらしく、それと聞いてきて日本人と答えると「モシモシ」と言ってくる。同じ店員の女性は意外だったようで、日本人なんだと彼に確認していた。また隣の席に座っていた漢人らしき女性も中国語で日本人かと尋ねてくる。

店はウイグル人がやっているので店員同士のやりとりはウイグル語。

ラグマンを食べていたら学校のジャージを着たままの女の子(13~15歳)が二人やってきて、ラグマンを注文する。女の子のジャージには”カシュガル二中”の文字と彼女自身の名前が縫い込まれていた。それを見て、ウイグル人の人は名前を漢字とアラビア文字で書くのかと気づく。彼女らは漢人っぽかったが、きっとそうなのだろう。

ちょうど昼休みなのか、それとも学校が終わったのか、同じようにジャージ姿の子ども(小学生から中学生くらいに見える)たちが続々と屋台街にやってきて、各店に入り、飯を食っていた。

ラグマンを食べた後、同じ屋台街に饅頭専門店があったので、そこで饅頭を1個買う。日本で一般的に売っている肉まんよりも少し大きめのサイズで表面がぱっちりしていてうまそうだった。値段は1個0.5元。肉まんでこの大きさでこの値段は安いなあと思っていたら、肉まんではなかった。具は何も入っていない生地だけの饅頭で、ちょっとがっかり。まぁ、うまかったけど。

屋台街を出たところにも店や物売りの人たちが並んでいてタコ(あげて遊ぶやつ)や花などを売っていた。あと射的の屋台もあり。

そこからぶらぶら歩いて中国銀行の本店を目指す。店が切れることなく続いており、途中には大きなショッピングモールもあり。ただここは夕方になって言ったところ1階部分は店舗で埋まっているものの2~3階は空き店舗が多かった。

また途中に郵便局があったので、ここで葉書を出す。歩道は幅2mほどあってきれいに整備されている。歩道にも風呂敷の上に服などを並べて売っている人あり。また物乞いのおじさん、おばさんも5人ほど見る。

10分ほど歩いたら正面左手に一見して毛沢東とわかるでかい銅像が見えてきた。道路を挟んで向かいは人民広場でサッカーコートが十分取れるくらいの何もない広場がある。そこでは凧揚げに興じている子ども、おじさんらが数人。また凧売りのおじさんおばさんも5~6人いた。

広場の向こうに中国銀行の本店があったのだが、行ってみると開いていない。入り口近くにいたおじさんが、何かと言う。どうも開いていないらしい。

しょうがないので両替は後回しにして適当に歩く。すると中国農業銀行と書いたでかい建物が見えたので試しにそこで両替してみることにする。窓口の女性が多少英語を話したので彼女に聞いたが、今は両替できないから中国銀行に行ってくれと言う。

途中で会った旅人の話では銀行前に闇両替のおじさんたちがいると聞いていたのだが、ウルムチにはいたもののここでは見ない。

なので、もうしばらく時間を潰してから中国銀行に再度いくことにする。

人気(ひとけ)のある通りを適当に歩いていたら、えらくたくさんの人が集まっている一画に出る。近くには壷などを作成販売している店やナンの店、シャシリク屋などがある。

橋の向こうも人がぎょうさん見えたのでそちらに行く。どうもここらがウイグル人が多く住んでいる地区らしい。圧倒的にウイグル人率が高い。

道ばたにはシャシリクの屋台、メロンやスイカ売りのおじさん(切り身にしてその場で食べさせている)、アラビア文字の看板、羊肉がぶら下がっていたり、絨毯がどかーんと売られていたり、果物(りんご、ザクロ、ぶどう、なし、みかんなど)売りの屋台、大きな干し唐辛子が売られていたりととにかく賑やか。屋台も羊の内臓ものから米の腸詰め、ひよこ豆と千切り人参をゆでたものとゆで卵、羊の足部分を湯がいたもの、羊の唐揚げ、プロフ、幅広で黄色い麺の料理、ヨーグルトなどなどあちらの街角や屋台にはない料理がいっぱい。

ぶらぶら歩いているうちに住宅街に続く道があったのでそちらに行ってみる。幅2mほどの石畳の道の両脇には土壁の家が並ぶ。車は入れない細い横道が何本もある。中央アジアなどの家と同じような作り。

3歳くらいの子どもが一人でぼくの前を歩いていたので見ていたら、お尻がちらちらと見える。これが噂の中国式子ども(幼児)服らしい。聞いた話では簡単に小便等ができるように股のところが開いている(縫われていない)らしい。

路地を歩いていたら路地の一画でお祈りをしている男たちの集団を見る。

しばらく住宅街を歩き、適当なところに出る。出たところが小学校の入り口の門で、そこには午後の授業を待つ子どもたちが50人くらい集まっていた。ぼくに気づいた6歳くらいの男の二人が「ハロー」と声をかけてくる。学校のすぐ隣にはウイグル語専門の書店があり、中では女性が二人立ち読みしていた。ウイグル語の会話帳がないか探すがない。ウイグル語英語の辞書はあったもののアラビア文字が基本のため読めず。

歩いていたらさっきも通った通りに出る。そこでさっきは見落としていたヨーグルトを売っているおばちゃんたちを発見。歩道の端にヨーグルトの入った大きな容器と丸いパンとを並べていて、おじさんが一人、しゃがみ込んでパンでヨーグルトをすくいながら食べている。

おばさんに値段を聞くとお椀1杯1元だと言う。なので、ぼくも食べてみる。お椀にヨーグルトが盛られて手渡される。食べて(飲んで)みると酸味があまりなく、やや甘みがある。さらさらと飲める。

それからさっき素通りした国際市場というところに行く。ここは立派な屋根付きの市場で中に入ってみるとコーナーごとに何を売っているかを示すプラカードが天井からぶら下がっている。子ども服コーナーや男物・女物の服コーナー、靴、食器、洗剤や石鹸、化粧品、文房具、スカーフ、絨毯、ウイグル独特の帽子、民芸品などなどいろんなものが売ってある。

石鹸がほしかったので石鹸を見て回る。包装箱にきゅうりの写真があるものなどもあり。いくつか見て回った中で「Sheep Oil」と英語で書かれている石鹸があったので、それを買ってみる。お値段3元(約45円)。

一度そこを出て汚い川岸の方に行ってみると川辺の堤防兼駐車場の一画はビリヤード場になっていた。ビリヤードの台が10ほどあり、すべての台に客がついている。やっているのは男ばかり。年齢は10代くらいのから50代くらいの人まで幅広い。

それからまたあたりをぶらぶら。もうそろそろ銀行が開いた頃かと思い、銀行方面に向かう。

来た道とは違う通りを行ってみたら、ここが旧市街のメインストリートだった。土壁の家が並ぶ間の幅3mくらいの通りを荷台を付けたバイクが客を乗せて走る。沿道にはナン屋、鍛冶屋、板金屋、麺を伸ばす棒やパン作りに使う道具を作る木工屋などが並ぶ。なかなか面白い通り。

そこを抜けたら人民広場近くの交差点近くに出た。

改めて中国銀行に行ってみると今度は開いていた。窓口の若い男性は英語がわかり、ぼくを見ると英語で話しかけてくる。ここで両替。手数料を8元ほど取られる。

それから近くの携帯電話屋が集まる通りを抜け、ウルムチにもあった新華書店へ。ここは2階ぶんだけを使っているのみだった。ウルムチより規模は小さい。カーシーらしく1階のフロアにウイグル語の本が置かれていた。2階は中国語の文学や各種専門書。ウルムチで見ていいなと思った本を探していたのだが、ここでは見あたらず。

それからホテル方面に向かって歩く。途中、昼間は通り過ぎたショッピングセンターに寄る。洋服屋やパソコン機器屋、ゲームセンターなどが入っていた。PLAY BOYブランドの服屋もあり。目を引いたのがプリクラ屋らしき店。この店が3店舗ほどあって、表にプリクラ的な写真がべたべたと貼られている。

一通り見てからまたホテル方面に行く。美容室が何軒かあって、いずれの美容室も表にモデルの写真を貼りだしていた。その髪型がパーマをかけたものが多い。中国に入ってパーマをかけている女性が多いなと感じたのは、そういう理由があるらしい。

中国にいる知人に連絡を取るためネット屋を探すが、これがなかなか見つからない。宿の近くに電脳城という1階から4階までがパソコン屋のビルがあったので、そこに行ってみたがやはりネット屋はなかった。

晩飯でも食おうかと昼にも行った屋台街に行ったが、今やすっかり客はいなくなっていて、いくつかは既に店じまいしていた。

なので、ホテルの方に行く。明日行く予定の公安の位置を確認しに行く。その途中、小さな本屋があったので、そこに寄る。そこで探していた本を発見。『図説天下 中国最美的100風情小鎮(※漢字は日本式に変換)』という230ページほどの本を買う。お値段19.8元(約300円)。文章はもちろん中国語だが、写真がふんだんにあるので買ってみた。

そこから歩いて公安に向かう。途中、野菜市場に立ち寄るが規模が小さかった。魚が売っていたのは川か湖での養殖ものか?

公安の位置を確認。だんだん日が暮れ始める。

帰りにウイグル料理店で夕食。頼んだことのない料理をメニューを指さし注文。出てきたのはカレーうどんとも言うべきものだった。肉は鶏肉で味は完全にカレー。麺はラグマンと同じ手打ちのうどんみたいな麺。これはこれでうまい。8元(約120円)。

新彊時間の18時半頃、北京時間の20時半頃に日が暮れる。あとは宿にて過ごす。

Fin

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