2011年3月7日月曜日

[diary]おばさんところに遊びに行く

おばさんところに遊びに行く

2009/02/28(土) 晴れ 日中10~15℃
[Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=96円

※時間は新彊自治区の時間

・化粧待ち
・おばさんところへ
・書斎拝見
・ティータイム
・チケットを買いに
・失くしもの
・りーちゃんの電話


明るくなり始めた7時過ぎに起床。しばらく書きものをする。

今日はこの間会ったウイグル人のおばちゃんの家に同室の日本人旅行者たちと行くことになっていた。

おばちゃんは一日中家にいるから都合のいい時間に電話をくれるよう言っていたが、パロウ(ウイグル風ピラフ)を作ってくれると言っていたから昼前には行かなければいけない。

が、同室の人たちの動きを待たないといけないのでしばらく部屋でぶらぶら。同室の人たちが起きて準備ができるまで待つ。

11時を過ぎて宿の敷地内にある電話屋からおばさんの家に電話をする。これから向かうと伝えると了解とのこと。

3人でおばさんの家に向かう。前回お邪魔したときにおばさんが通ったのと同じルートで行くことにする。が、これがあえなく失敗。どこからどう入っていったのかわからなくなる。やっぱり人に連れられていったのでは、このように入り組んだ住宅街を一回で把握するのは難しい。

しょうがないので近くにいた若い女性(ウイグル人)に聞く。中国語で書かれた住所を見せるとこっちだと案内してくれる。しかし、しばらく行くと細かいところがわからないらしく、電話番号を教えてほしいというようなことを言う。なのでSさんのノートを見せるとそこにアラビア文字で書いてあった住所を見て、わかった!というような笑顔をしてまたすぐに歩き出す。

歩きだして100mほど行ったところにあった門の前で彼女は立ち止まり、ここだ、とニコニコしながら指さす。どこの門も似たようなものなので、ぼくは本当にここなのか確信がなかったのだが、それはいらぬお世話で、確かにおばさんの家はここだった。なかからおばさんが出てきて「遅かったですね。ずっとずっと待っていました。」と言う。時計を見ると電話をしてから1時間ちょっと経っている。迷わなければ30分足らずで来れる距離なのだが・・・。

おばさんはちょっと疲れ気味とのことでパロウ作りはやめて外食しようと言う。なのでおばさんの家族と日本人3人で近くの食堂に行き、ラグメンをご馳走になる。この間来たときもそうだったが、相変わらずここの店は繁盛していて、席はいっぱいだった。

食事後、おばさんに連れられておばさんの親戚の家に行く。

親戚の家は改装したのかタイル張りの比較的新しい家だった。母屋に通されたがちょうどおばさんのおばさんがお祈りの最中だった。

母屋は日本の古い民家のように土間のような部分があって、そこまでは靴で入り、いわゆる座敷には靴を脱いであがる。座敷の床には絨毯が敷かれていて、さらにお客が来たからと座布団に似たものが口の字型に敷かれ、真ん中にアーモンドやレーズン、クッキーなどのお菓子が置かれた。

”これがウイグル式だ”と言われ、まず一人ずつ手を洗う。洗い方は、この家のお嫁さんらしい女性が、水が入ったアラビアンナイトに出てくるような金属製のジョウロ型の容器を持ってきて、手を差し出すと2~3度水がかけられ、それで手をすすぐ。もちろん受け皿も用意されており、それもジョウロと同じく金属製の専用の容器だった。

アーモンドなどをつまみながらしばらく団欒。

その後、2階にあるおばさんのおじさん(だったっけな?いとこか?)の書斎を見てもらう。5畳程度の広さの書斎で3方の壁はすべて本棚になっていて、さらに本棚の前に台があり、そこにも本が積まれている。書籍の数は1000冊は裕にある。書籍のほとんどはアラビア文字で書かれたものだからウイグル語の本なのだろう。壁の柱にはレーニンやマルクス、エンゲルス、スターリンなどの肖像(ポスターみたいなの)が貼られている。このおじさんはウイグル語で物語を書くのが仕事のようで、今はトルコだったかの大学で先生をしているらしい。

蔵書の前でみんなで記念写真。

ごはんをごちそうになる

駅に切符を買いに

おばさんの家に。家でゲーム。自作の音楽映像。

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