2011年3月4日金曜日

[diary]モイナックに行きそびれる。ヒヴァへ。

モイナックに行きそびれる。ヒヴァへ。

2009/01/20(火) 曇り、霧 日中10度近く
[Nukus→Xiva:O'zbekiston]
※レート:1米ドル=1400スム(銀行のレートは1米ドル=1402スム)

・モイナックのバスを逃す
・バスターミナルの親切なおじさん
・バスでビーリーニへ
・ビールーニーからウルゲンチへ
・ウルゲンチからヒヴァへ
・暗い

ヌクスの宿。長袖Tシャツにゆるい長いズボンというラフな格好で寝ていたにも関わらず、暖房が効きすぎているため暑くて夜中に目が覚める。同室のオーストラリア人は上半身裸で寝ていた。

6時過ぎ、目が覚める。同室のオーストラリア人がごそごそと出発の準備をしている。彼は今日モイナックに行くと言っていた。ぼくもモイナックに行くつもりだったが、なぜかもう少しのんびりしたい気分だったため、彼とは一緒に出ずに見送る。

7時過ぎ、のんびりとおきだして、荷造りをして部屋を出る。この宿は朝飯付きだったが、結局食わずじまい。

歩いて大通りのバス乗り場に向かう。そこからアフトバグザール(バスターミナル)と行き先を書いたミニバンのマルシュルートカに乗り込む。

20分ほどで終点のアフトバグザールに到着。リュックを背負って降りてみたが、どうもアフトバグザールというには小さいただの駐車場。確かにそこには数台の大型のバンが止まっていたのだが、それにしても数が少ない。客引きしているおじさんたちにモイナックに行きたいのだがとロシア語で伝えると、ここじゃないと言われる。どうもこことは別にもう一つバスターミナルがあるらしく、モイナック行きのバスはそこから出ているというようなことを言う。

なので、またマルシュルートカに乗る。結局、さっきマルシュルートカに乗った地点、つまり中央バザールまで戻ることになり、その近くから出ているマルシュルートカに乗り換える。
客が集まるまで少し待たされる。こちらはちょっと急いでいるのだが、タクシーを使う気にはなれないので、車内で待つ。

15分ほど待たされた後、ようやく出発。車は郊外の方へ向かって走る。さっきとはぜんぜん違う方向だった。

バスターミナルには20分程度で到着。時刻は8時50分。結局ここまで来るのに1時間くらいかかってしまった。昨日、きちんとバスターミナルの下調べをしていればこんなことはなかったのだろうが、そんなことを思っても後の祭り。

大型のバスが一台止まっていたので、車内にいた運転手らしき人にモイナックに行くか聞くが、このバスは違うと言われる。他の人に聞いてみてわかったが、モイナックのバスはすでに出てしまったらしい。タクシーの運転手が50米ドルでモイナックまで行くがどうだ、と言ってくる。そんなの高すぎるので却下。また別のタクシーの運転手がバスに追いついてやるから乗れと言ってくるが、これも信用できないので却下。

ガイドブックにはモイナック行きのバスは9時発と11時発があるとあったので、11時発でいいかと思いなおす。外はけっこう冷えたので、バスターミナルの建物の中に入る。だだっ広いフロアの端の方にチケット売場の窓口があったので、そこに行ってモイナック行きを確認。すると次のモイナック行きのバスは14時だと言われる。ここからモイナックまでは4時間ほどかかるらしいので、それでは現地着が暗くなってからになってしまう。予定では今日の明るいうちに着いて、ざっとまちやアラル海を見て回り、明日の午前中のバスでヒヴァなどに行くつもりだったが、14時発のバスに乗るとなればそういうふうにはできない。現地に最低2泊はしないといけなくなる。

しばし考え込んでしまう。ガイドブックを見たり、チケット売場の横に貼られている各地へのバスの時刻表と運賃表を見ながらどうするか考える。

結局、しばらく思案した結果、モイナックはやめ、ヒヴァに移動するすることにする。ただヒヴァに直接行くバスはないため、ここからはら途中のまちまで行って乗り換えということになる。

ぼくがターミナル内をうろうろしている様子を見ていたおじさんが話しかけてきて、どこに行くのかと聞いてきたのでヒヴァに行きたいと言うと、ビールーニーというところで乗り換えて行くのがいいと教えてくれる。そして、そのバスは12時発だからそれがターミナルに入ってきたら教えてやるとも。

というわけで乗るバスは決まった。だが、発車の時刻までまだ2時間以上あったので、しばらく建物内のベンチに腰掛け本でも読むことにする。読むのは、イランのテヘランで同じ宿だった日本人にもらった『動乱の中央アジア』(朝日文庫)という本。19世紀後半の中央アジアがテーマでなかなか興味深い。

本を読んでいると通りがかりのおじさんが話しかけてきて、どこから来たのか、どこに行くのだ、この本はどう読むのだ(右から左?左から右?上から下?)などと話しかけてくる。

室内には一応暖房設備があるもののこの容積を温めるには不十分なようで、だんだんと本を持つ手がかじかんでくる。暖房施設はこちらでは一般的なお湯をパイプに通して温めるというもので、そのパイプがベンチのすぐ後ろにあった。手が冷たくなるとパイプに手を乗せ温める。それを交互に繰り返す。

そうして時間をつぶし、ようやく12時前になる。おじさんがぼくを呼びに来て、バスに乗るようにいう。なので、リュックを背負ってバスまで行き、荷台にバスを詰めこみ、座席を確保する。バスはおそらく40年くらいは使われているのではないかと思われるようなおんぼろバス。

すぐには発車しないようだったので、ターミナルの入り口で菓子を売っている屋台に行き、チョコレートを買う。有名なものでたとえばスニッカー(だっけ?)タイプのチョコでお値段500スム(約30円)。食べてみるとこれが歯が折れるかと思えるくらいに固い。キャラメル的な層もあるみたいだったので、それが外でずっと冷やされていたことでキンキンに固まっていたよう。

バスは12時10分頃、発車。運賃は後払いらしく、すぐには徴収されず。運賃は2500スム(約170円)。

トルクメニスタンにはまったくと言っていいほど雪がなかったが、さすがにウズベキスタンにはたくさん積もっているだろうと想像していたのだが、これがまたまったくと言っていいほど雪がない。道路の両脇にはだだっ広い農地や平原ばかりが見える。やっぱり山がないと雪は降らないのだろうか、と素朴なことを思う。

時々沿道に集落が現れる。たいていの家は煉瓦を積み上げ上からコンクリートを塗ったような壁にトタン的な屋根の平屋が多い。またどの家にも納屋のような小さな建物があり、その屋根に大量のわらを積み上げていたりする。また屋根の上でなくとも敷地内の一角に藁を積んでいる家も多い。家畜用なのだろう。

バスの車内は十分に暖かいので、しばし寝ることあり。

14時過ぎ、ビールーニーのバスターミナルに到着。バスが到着したすぐ近くがウルゲンチ行きの乗り合いタクシー乗り場だった。降りる際にバスの添乗員の兄ちゃんに聞いたらそこと教えてくれたので、すぐにわかる。

乗り合いタクシー乗り場に行って、適当に車を決める。客が他にいないため、しばらくここでも待つ羽目になる。車が止まっている通りには食堂やサモサ屋があったので、昼飯がてらサモサを買って食べる。具が少ない。

結局、ここでは1時間ほど待たされる。15時過ぎに車は出発。ちなみに車種は軽ワゴン。途中で何人か客を乗せる。そのうち一人のおばちゃんが、あれこれロシア語で聞いてくる。化粧が濃い。こっちの人にしては年齢のわりに細身。腕をつかんできたり、話しながらぼくの膝を叩いたりするので、そういうのに慣れている人なのかと思いきやおばさんは自分の写真をかばんの取りだして見せてくれる。写真のおばさんは着飾っていて、後ろに座っていたおじさんがその写真を指さしながら、おばさんは歌手だと言い、加えてぼくに「クラシーヴァ(きれいだろ)?」と聞いてくる。「ダー(はいはい)」と答える。ただ、プロかどうかはわからず。

おじさんとおばさん、それに運転手のおじさんらは、ぼくをネタにいろいろと盛り上がっているふうなのだが、当然言葉がわからないので、何を話題にしているのかはわからず。おじさんがおばさんの写真を撮ったらどうかと言うので、記念撮影で1枚撮る。

車は途中、架け代え工事中の橋を渡る。橋の下の川はアムダリア。中学の時だったか地理で習った名前だ。川はほとんど凍っていた。

民家を見ながら走ること20分ほど、だんだんと四角いコンクリートの建物が増えてきてウルゲンチの市街地に入ってきたことがわかる。乗っていた客が一人、二人と降りていく。

運転手にはヒヴァに行くと伝えてあった。彼がトロリーバスで行くのかと言うので、そうだと答える。できれば乗り合いタクシーで行こうかと思っていたが、もうどっちでも良かった。ガイドブックによれば、乗り合いタクシーであればウルゲンチからヒヴァまで30分ほどだが、トロリーバスでは1時間半ほどかかるとあった。暗くなってからの宿探しは面倒だから乗り合いタクシーでと思っていたのだが、トロリーバスの方が安いし、まだ明るかったのでトロリーバスで行くことにする。

運転手はトロリーバス乗り場近くで車を止め、ちょうど停まっていたトロリーバスに乗れと言う。荷物をおろすのにちと手間取ったので間に合わないかと思ったが、運転手がクラクションを鳴らして、トロリーバスに待つよう合図する。

バスに乗り込む。このトロリーバスも他と同様車体はかなり古い。錆が目立つ。車内はなかなかの混雑ぶり。隣の人と触れそうなくらい。リュックを背負い、小型リュックを抱え乗り込んだところ、椅子に座っていた50代くらいの女性が小型リュックを指さし、自分の膝に預かるからよこせというようなことをいう。吊革を握りつつその荷物を持っているのはちょっと面倒だったので、その女性に小型リュックを預かってもらう。

ガイドブックにあったとおりトロリーバスはとろかった。時速15kmも出ていない。絶対自転車の方が早い。

運賃は徴収係がやってきたときに払った。運賃400スム(約30円)。

40分ほどたった頃だろうか、ようやく車内に隙間ができる。なので、リュックを背からおろし、端っこに立てかける。しばらくすると座席も空いたので座る。荷物を持ってくれているおばさんの方を見ると、そのまま座っていればいいからというような仕草をする。

いよいよ客が少なくなったときにおばさんから荷物を返してもらう。おばさんはロシア語でツーリストかと訪ねてくるので、そうだと言うと、どこに泊まるのかと聞いてくる。それでヒヴァのイチャンカラ(城壁内)に泊まると伝えると、その近くに来たときここで降りるように促す。

おばさんは付いて来るよう合図をする。もしかしてどこかのホテルの人かと思ったが、どこの宿に泊まるのかと聞いてきたので、泊まる予定をしていた宿の名前を告げる。

城壁の門をくぐり、イチャンカラ内に入る。道路などはアスファルトで舗装されていたが、それなりの雰囲気がある。城壁外のように道はだだっ広くないし、まっすぐでもない。道はやや入り組んでいてアラブの旧市街的だった。

道ばたで遊んでいた子どもたちがこちらを見ていたので、サラームと声をかけると、子どもたちもサラームと返してくれる。

一人でならばおそらくもっとどちらの道を行けばいいかと躊躇しつつ歩くことになっていたであろうが、おばさんがするすると歩いていくので、簡単に目的のホテルにたどり着く。アフリカならば、ここで道案内料を請求されたりする。もしやおばちゃんもそうしたものを請求するのではないかと予想していたのだが、おばちゃんは宿主を呼びだすとすぐにどっかへ行ってしまった。あまりにあっさりとどっかへ行ってしまったので、逆に驚く。

宿主の男性は英語ができたので、英語でやりとりする。宿泊代は朝食付きで10米ドル。部屋はドミトリー。ただ今、その部屋に泊まっている人が鍵を持って外出しているため、部屋に入れるのはその人が帰ってきてからだと言う。

玄関で靴を脱ぎ、あがる。あがったところが居間のようなスペースになっていて、大きなテーブルの周りに座布団のようなものが敷かれ、くつろげるようになっている。宿主はすぐにお茶を出してくれる。パスポートを彼に渡し、彼はもろもろの情報を書き写す。

そうした手続きをしているときに、同室になるらしい宿泊客が帰ってくる。その人は台湾人の女性で、今日の昼ぐらいにここに着いたらしい。

部屋に荷物を移動させ、ぼくは外に出る。すぐ近くにミナレット(円柱型の塔)があった。城壁の門をくぐり、外に出る。晩飯でも食べようかと思っていたのだが、あたりは真っ暗で食堂らしき店もまったく見あたらなかった。小さな売店があったもののちょっとしたお菓子を売っているだけ。まだ18時を過ぎたばかりだし、観光地だから食堂の1つくらい開いているだろうと思っていたのだが、すっかり見込みは外れた。

しょうがないので通りがかりのおばちゃんに近くに商店はないかと訪ねると案内してくれる。街灯のない暗い未舗装の道をおばさんは慣れた足取りでするする歩く。

5分も歩かないうちに商店に到着。右手に小さなバザールがあり、左手に食料雑貨店があった。食料雑貨店にはお菓子から酒からチーズからいろんなものが売っていた。ウズベキスタン製の白ワインがあったので珍しいので買ってみる。値段は5000スム(約350円)。

それからバザールの方に行き、そこでキムチと人参の総菜を少々買う。

ホテルに戻る。

宿に戻って部屋でワインとキムチなどをくらう。ワインはいまいち。なんか気の抜けたような味だった。

同室の台湾人のYさんとしばしおしゃべり。彼女は台湾で高校の教師をしているらしい。教えているのは歴史。これまで13カ国くらい旅行したことがあるらしい。イランやタンザニアにも行ったことがあるよう。今回は春節の休みということで2週間のウズベキスタンの旅らしい。ちなみに彼女が持っていたガイドブックは『ロンリープラネット』だった。

部屋は8畳ほどの広さで床には絨毯が敷かれてある。四隅にベッドが1つずつ置かれているので最大4人が寝れるようだが、今晩の客はぼくら2人だけのよう。暖房はガスヒーターのよう。半袖でもいいくらい室内は暖かい。

適当な時間に寝る。

Fin

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