2011年3月7日月曜日

[diary]アルマティからウルムチへ 3日目

アルマティからウルムチへ 3日目

2009/02/16(月) 濃霧 日中-2℃
[Urumqi:China]
レート:1米ドル=6.8元=91円

・ウルムチに到着
・駅を出て驚く
・宿泊拒否
・牛肉麺
・中国銀行で両替
・招待所に泊まる
・ウルムチ食い倒れ
・新華書店に驚く
・時計の電池交換

ウルムチ行きの列車の中。

外がやや明るくなってきた頃、目覚める。が、昨晩寝るのが遅かったので眠い。しばらく寝ていたが、同室の人が起き出す音でまた目が覚める。みな身支度をし、荷物をまとめ、乗客に配布されていたシーツ等を畳んでどこかへ持っていったりし始めるので、もう到着が近いのかと思い、ぼくも起き出す。

窓から外を見るとまた一面の雪。

すぐに着くかと思っていたらなかなか着かない。車窓からは煉瓦やコンクリートブロックを積み上げた小さな家々が見える。あるところでは木のない小さな山(丘)の斜面に集落が出来ていた。どの家も小屋と呼んでいいくらいに小さく、だいぶ痛んでいるように見える。

ぼくも自分のベッドのシーツなどを片づけようと思ったのだが、同室のふとっちょのおじさんがぼくのベッドに寝ころび寝ているためできない。どうせ寝るなら自分のベッドで寝ろよな。

おじさんは自分の携帯電話がなったことでようやく目覚める。それを機にベッドのシーツなどを車掌室のおじさんところに持っていく。

しばらくして列車は立派なホームに入る。乗客が廊下に出て並び始める。

8時半、列車はウルムチ駅に到着。同室の人たちはさよならも言わずにバタバタと降りていった。ぼくもリュックを背負い、車両を降りる。ホームは日本の大きな駅と同じような作りになっていた。いくつもホームがあるため、駅を出るには地下道を通っていかないといけないよう。

地下へ降りる階段を下りる。駅自体が最近改装されたのか、ホームにしても地下道にしてもとてもきれい。地下道の壁にはいろんな会社や商品の広告看板が貼られている。

地下道をまっすぐ行くとそこが改札だった。すんなりと改札を通過すると、駅の外に出る。空港の出口と同じように、出口の所には柵が両脇に置かれていて、かつ警備員みたいな人がいて、外部の人がたかることができないようになっている。キリル文字や漢字で人の名前か何かを書き付けた紙を持って待っている人が数人いる。

出口を出て驚いたのが、駅周辺の様(さま)。ここしばらく通ってきた国々ではたいてい駅前は閑散としているのが相場だったのだが、ここは違う。日本の大きな都市の駅のように、駅前のロータリー周りにはビルが並び立っている。食堂やホテルも多く、たくさんの人が行き交っている。駅前のこの様子を見ただけでキルギスやウズベキスタン、カザフスタンなどとはまったく違うところ(国)に来たのだということを実感する。

どのビル、どの店にもでかでかと漢字が書かれている。使われている色も赤、黒、黄色などと目立つものが多い。日本の看板もけっこうなものだが、さすがに中国はもっと大胆だ。とにかく各看板が自分を主張している。

ガイドブックの地図を見て想像していたのは、閑散とした駅前だったので、そのギャップもあり、なかなか強烈な中国初上陸となった。ただ濃霧のため視界があまりよくなかったので、これがなければもっと強烈だったかもしれない。

辺りを見回すと招待所(安宿)と書いた看板がいくつも見えたので、この近くで宿を取ろうかと看板が出ているところに行く。ロシア語がちょっとは通じるかと思っていたがまったく通じず。最初に行った宿では部屋はないとのこと(”ない”という中国はわかった)。次に行ったところでも断られる。招待所は安い部屋(数人の相部屋)だったら15元(約200円)くらいで泊まれるのだが、新彊ウイグル自治区では外国人は宿泊を拒否されることが多いとガイドブックにあったので、たぶんそれなのだろう。

4軒くらいまわったが、どれもだめ。どうもこの辺の招待所はダメっぽいので4軒目のところで仕草でどこなら泊まれるかと聞くとフロントの人は道まで出て、指さして教えてくれる。

そちらは招待所ではなくホテル。フロント脇に料金表が貼られていて、それ見ると一番安い「普通部屋」というのが50元(約650円)。他は軒並み100元を越えている。フロントの若い女性に料金表を指さし、50元の部屋に泊まりたいと伝える。言葉がまったくわからないので、漢字を見ながら見せながらのコミュニケーション。相手に意図は通じたみたいでパスポートを見せてと言うので、パスポートを見せる。彼女は書類にあれこれを書き込む。

一通り手続きが終わったところで宿賃とデポジットを請求される。宿代が1泊50元でデポジットで100元。手元には40元しかなかったので、「没有(メイヨウ:ない)」と答えた上で会話帳を指さし両替所はどこかと聞いたのだが、どうも今カネを払わないといけないみたいで、彼女は書き終わったばかりの書類をビリビリと破ってしまう。他の国では両替してから夕方に払うことができたのに。

しょうがないので、先に両替をしに行くことにする。生憎なことにこの近くにはないようで町中まで行かないといけないらしい。当然バスに乗らないといけないのだが、ガイドブックにはバスは釣りをくれないことがあるとあったので、手元の10元札をこわすことも兼ねて飯を食うことにする。

ありがたいことにいくつかの食堂は玄関のところにメニューと料金表を貼りだしているので、それを見て適当な店に入る。隣が「旅館」だったので、食堂に入る前にそこに行ってみたがやはり断られる。ついでにそこのおかみさんに両替が出来るところを聞くと教えてくれるが、口頭では文字がわからないので文字を教えてもらう。「南門(実際は、門の字は中国では行書のような簡略体になっている)」に行けとのことらしい。

隣の食堂に入る。メニューを指さして「牛肉普通麺」を頼む。代金は5元(75円)。

入り口横の作業場ではまだ10代後半くらいに見える女の子が「包子(パオズ:饅頭)」用の生地になる小麦のダマ(玉)をこねている。

しばらくして牛肉麺が運ばれてくる。本当にシンプルで麺と肉少々とネギだけ。汁は澄んでいる。懐かしい味。日本でもどこかのラーメン屋で飲んだことのあるような汁だ。いや、ラーメンというよりもベトナムで食べたフォーの汁に似ている。

がっかりだったのは麺のコシのなさ。市販品っぽい。

あと気になったので「肉包子(肉まん)」を1個注文。他のテーブルではこの肉まんだけ5~6個食べている人がいるので、食事としてはそういうふうに食べるのが普通なのだろう。ぼくが1個だけ注文すると、”1個だけ?”と笑いながら女の子は聞いてきた。お値段は1個0.5元(約7円)。大きさは中くらい。日本で売られている一般的な肉まんより小さい。体積というと半分くらいか。味はやっぱり肉まんだった。

すっかり満足してバス乗り場に向かう。駅の前のロータリーは大きく2つに分かれていて、それぞれから違う番号のバスが出ている。乗り場には路線表があるので助かる。

道ばたではウルムチの地図などを売っているおじさんたちがいる。

ここらを歩いている人たちを見ていて感じたのが、来ている服や髪型にバラエティがあること。中央アジアでは冬と言うこともあって、男女ともほとんどが黒のコートを着ていたが、ここでは赤や青、黄色などが目立つ。髪型も女性ではパーマをかけている人が目につく。何よりメガネ率が高くなった。ロシア系の人はまったく見なくなる。

聞こえてくる言葉は中国語の方が多いが、ウイグル語もそれなりに聞こえてくる。ウイグル語はウズベク語やカザフ語とほとんど同じだから音はどんなものかわかる。

走っているバスはかなりぼろくなっているものもある。女性の運転手もちらほら見る。

バスの運転手に「南門」に行くバスを尋ねると44番と仕草も交え教えてくれる。

なので44番に乗る。運賃は前払い。0.5元(5角)かと思っていたら1元(約15円)だった。5角札はあったが1元札がなかったので5元札を渡すと渋い顔をして5角札でいいからとそれを運賃ボックスに入れるよう指さす。やっぱり釣りはくれないみたい。

20分ほどバス乗る。沿道にはぼろい3階建て程度の横長いビルや10階以上ある近代的なビルが続く。実感としてはトルクメニスタンを除いた中央アジア各国の各首都よりもずっと大きい。中央アジアの各首都は面的には広かったけれども高さを伴う密度がなかった。どでかい漢字、それも赤や黄色で書かれた漢字はまさしく中国的だ。

意外だったのが、バス乗り場にきちんとバス停の名前を書いたプレートがあることと、それぞれのバス停に路線図があること、それから市内の地図を書いた看板があったり、通りの名前がきちんと明示されていることだった。なので、バスから降りるにもバス停を見ていればわかるので安心。わかりやすい。

南門でおりる。中国銀行はすぐにわかった。路面には薄い、部分によっては2cmほどの氷の層が出来ているため滑らないようにのろのろ歩く。

リュックを担いだまま銀行に入ると入り口で止められるかと思ったが、これまた意外にすぐに案内兼警備係らしい制服姿の若いにいちゃんがやってきて、目的を聞いてくる。会話帳を見せて両替がしたい旨を伝えると、そのにいちゃんはすぐに番号札(紙)を機械からちぎり取ってきてぼくに渡す。そして店内にあるベンチを勧め、荷物を下ろすように促す。その態度がまた意外にも丁寧。旧ソ連圏だったらこんな対応はありえない。中国も各種情報から素っ気ないものだと想像していたが、少なくともこの銀行は違うらしい。

銀行の入り口付近には札束を持った闇両替のおじさんが、堂々と通りがかる人に声をかけていた。ぼくも声をかけられた。闇の方がレートがいいらしいが、偽札がかなり出回っているとのことなので、まずは本物を確認しなければいけないので、闇両替はパス。不思議なことに闇両替のおじさんたちは銀行の店内にもいてあからさまにぼくに声をかけてくる。銀行はこういう人らを放置している。

そのうち自分の番号が回ってくる。窓口の人は中国語で何か言うがわからず。「フーチャオ(パスポート)」という基本的な単語も聞き取れず。相手が「パスポート」と言って初めてわかった。両替にはパスポートが必要で、領収書にもサインをしなければいけない。レートは1米ドル=6.83元らしいが、1米ドルぶんくらいの手数料を取られるため手取りが少なくなる。これを考えるとやっぱり闇がいい。1米ドルあれば1.5食たべられるからね。

これでようやく元(げん)が手に入ったので、宿探し。駅周辺の宿に戻るのは面倒なので、適当にあたりをふらつく。宿はいくらでもある。赤い字ででかでかと招待所と書かれているところがあったので、そこに行ってみる。

ビルの4階。エレベーターであがり、ドアを出るとそこがフロントだった。漢人系の40代くらいの男性がフロントにいた。にわか中国語で部屋があるか尋ね、宿泊代を聞く。宿代は1泊68元らしい。40元(約600円)の部屋はないかと言うつもりで、電卓に40と打ち込んで見せたら、意外に簡単にうなづく。40元の部屋なのか、それともまけてくれたのかは不明。

パスポートを見せてチェックイン。さっきのホテルと同じくデポジット込みの前金制。50元札を渡したら10元がデポジットとなった。さっきのホテルはデポジットが100元だったことを考えると、デポジットの額は宿によってまちまちのようだ。

掃除係らしいおばちゃんが部屋を案内してくれる。このおばちゃんも愛想がいい。何人かというようなことを聞かれ、日本人だと答える。おばちゃんは終始にこにこ顔だった。

部屋は5畳ほどの小さめのシングルルーム。テレビ付き。トイレ・シャワーは共同。部屋は十分きれい。中央アジアの安ホテル(ゲストハウスは除く)と比べると格段にいい。

0 件のコメント: