2011年3月4日金曜日

[diary]オシュ2日目

オシュ2日目

2009/01/30(金) 曇り後雨
[Osh:Kyrgzstan]
※レート:1米ドル=40.2(両替屋にて)

・ネット屋
・スレイマン山
・雨
・今日も踊るムスリマ
・延泊を頼まれる

今朝も起きたのは7時過ぎ。部屋は暗い。外にあるトイレに行く。

昨日と同じように家主のおじさんにやかんからお湯を注いでもらって洗顔をする。そうしてから朝食。

昨日は朝から麺だったが、今日はパン(ナン)とビートとジャガイモの湯がいたものだけ。ビートとジャガイモのサラダは特に味はなく、塩をめいめいかけて食べるというスタイルだった。カブがすごく甘くなったようなビートの味はなかなか慣れない。

ここでの見所であるバザールは昨日、けっこうくまなく見て回ったので、今朝はとりたてて外出しなきゃと言う気分にあまりならず。なので、部屋にずるずるいる。

朝食後、だいぶぼくに慣れたムスリマがこっちにやってきてぼくの脚に乗ったりする。そのうち”立って”とウズベク語で言い(そう言っていると母親が通訳してくれた)、ぼくの手を取り、ぐるぐる回ったり、ぶらさがったりして遊び出す。同じことを繰り返し繰り返しやるのだが、ずいぶん楽しいようで部屋の中には彼女の笑い声が絶え間なくあふれる。

こうしてムスリマの様子を見ていると、こんなことで楽しめれば世界はもっと平和になるのだろうな、などと思ってしまう。子どもは天才だ、なんて書いているのを前に読んだことがあるような気がするが、確かに楽しむと言うことで言えば年を重ねるごとに人は退化していっているように思える。大人になっても隠れん坊ごっこを楽しめれば、もっと豊かな人生を送ることができるかもしれない。

時計を見ると、なぜか針が止まっていた。さっきムスリマがいじったのが原因なのか、それともただの電池切れか。

10時を過ぎて、だいぶ遊びにも付き合ったので、外に出ることにする。母親はムスリマを呼び、庭に一緒に出ていく。ぼくは一人で国境のマルシュルートカ乗り場に行く。

今日は昨日と違って曇り。昨日はきれいに見えていた雪をかぶった山々が今日はかすんで見えない。

例のごとく水たまりだらけ泥だらけの道を歩き、国境まで行く。そこでマルシュルートカにのり、中心部に向かう。

バザールの近くでおりて、バザールを横切って昨日行こうと思って行けなかったスレイマン山の方へ向かう。まだ12時にもなっていなかったが、山の方に行くとバザールに戻ってくるのは面倒だからと昼飯を食うことにする。

食堂を探していたらサモサ屋の前を通ったので、サモサを1個買う。サモサはウズベキスタンと同じスタイルのもの。昨日の晩、宿のおじさんはこっちのサモサの方がウズベキスタンのものよりおいしいと言っていたからどんなものかと思って食べてみたが、確かに具が挽き肉ではなく、角切りの肉であるのは食べがいがある。ただ脂身も入っているのが、ぼくとしては不要なところ。

食堂はあちこちにあったのだが、適当に通りの角の食堂に入ることにする。台所にスープが2種類ほどあったので、それを頼む。羊の肉の入った大ざっぱなスープで、表面には油がたっぷり浮いている。やや気温が低いからか、机に飛んだ油はあっと言う間に固形化して白くなる。

それから歩いて山の方に向かう。歩いていると昨日は通らなかった通りにADSLと書いた看板を掲げたネット屋を発見。入ってみる。1時間40ソム(約90円)。

たまたま日本語が読めるパソコンをあてがわれたので、メールを見たり書いたり、写真のデータを保存したりなんたり。しかし、1時間近くたとうとした頃に突然停電になる。やれやれ。

すぐに復旧するとは思えなかったので、オカネを払ってでる。店を出てみてわかったのだが、ここの通り沿いの店はどこも自家発電機で電気を得ているらしいことがわかった。どの店の前にも、日本で言えばお祭りの時の屋台などが使っている発電機がおかれていて、それらは微動するとともに低い音を垂れ流している。

外は雨が降っていた。ネット屋にいる間に降り出したらしい。山に登るのがおっくうになったが、明日にはここを離れるし、宿の人もおすすめしていたからと小雨がぱらつく中を登る。あいにく合羽代わりにしていた黄色のウィンドブレーカーは宿においてきてしまったので、雨を避ける道具がない。

スレイマン山は岩山で木や土などはない。一応、観光地というか市民の憩いの場らしく、頂上にある展望台と下界をつなぐ歩道は整備されている。雨に濡れた岩肌をすべらないよう気をつけながら歩く。

20分も登れば展望台につく。が、この天気のおかげでまちは曇っていて遠くまで見渡すことはできない。地元の人等が数人やはり登っていて、展望台にある休憩小屋で休んだりしている。

本格的に雨が降ってきたりしたら面倒なので、展望台に1分ほどいてからまた下山する。だいぶ上着が濡れてしまったので、もう宿に帰ろうかとも思うが、まだ14時過ぎだったので、いったん屋根付きのバス停まで行き、しばらく休憩して、適当にバスに乗ることにする。

2番のバスはマイクロバスだったので、ゆったり座れるかなと思い、乗り込む。運賃は5ソム(約10円)。車体は比較的新しく、車内は運転手の好みらしい音楽が流れている。

だんだんと郊外に出ていく。けっこう5階建てくらいのアパートがたくさん立ち並んでいて、いつまでたっても景色はアパート群ばかり。そのうち終点についてしまう。意外に終点は近かった。

今度は別の番号の車に乗る。けっこうこの辺から乗る車は中心部周辺をぐるぐる回るルートの車のようで、またバザール近くに戻る。

なので、バザールでみかんを2kg100ソム(約200円)で買って国境のドストゥック行きのマルシュルートカに乗り込む。今回は眠ることなく、一発で目的に到着。

昨日と同じようにハチチャの店に行く。同じように駄菓子を売っている店が向かいにあって、そこは10代くらいの女の子が2人でやっている。一人は日本によく似ている。ハチチャはウズベク系であえて言えばサッカーのロナウジーニョ的。

またお茶を入れてくれたのでありがたくいただく。また明日ビシュケクに移動するので、その移動中のおやつにと彼女の店のお菓子を100ソムぶん買う。

お茶を飲んでいたら店をうろついていた男が横に立って、勝手にぼくのカップをとって茶を飲む。なんだこいつと思ったが、ハチチャとしゃべっていたので知り合いかと思い放っておく。

が、そいつは知り合いでもなんでもなかった。ぼくがタダで茶やお菓子をもらっているのを見ていたらしく、そいつはハチチャの店の菓子をいくらかつかんで持っていこうとする。ハチチャが文句を言うと、男はこちらを指さし何か行っているから上記のようなことなのだろうと想像する。ハチチャは男から菓子を取り上げる。そいつはまたぼくの傍らに来て茶を飲もうとぼくのカップをとろうとする。それをハチチャはそいつの手をはたいて止める。

男はぶつくさ彼女に言うが、彼女は言い返す。そのやりとりを見ていた男の連れが、車から降りてきて、菓子代をやるから菓子をくれというようなことをする。男は連れの行動は制止してやっと自分でカネを払う。まったく面倒な奴がいるもんだ。そんな中でハチチャのようにお菓子のばら売りなどように細々とした商売をするのは、けっこう肝がないとできないのかもしれない。

まだ17時くらいだったが、先に家に戻る。家ではおじさんが長男と一緒に牛の世話をしていた。

部屋に入ると昨日と同じくお茶とパンが出てくる。ムスリマがすぐにやってきて、午前中の遊びの続きせがむ。

夕食までムスリマの相手。相変わらずよく動き、よく笑う。

次男は帰ってくるとぼくのカメラを見せろと言って、ぼくが写した写真を眺める。彼だけでなく、おじさんもおばさんもみんなが眺める。こっちの人はレンズなどにはまったく頓着しないから、いつもレンズに指紋が付いて戻ってくる。

晩飯はラグマン。人参や肉がふんだんに入った麺料理で、スープの味は見た目よりさっぱりしていてうまい。麺はさすがに市販品を使っているよう。スパゲッティに近い丸い麺だった。

食事後、おじさんたちとおしゃべり。ムスリマは今日も例のインドらしき音楽が流れてくると途端に踊り出す。

おじさんが日本で車はいくらするのかなどと聞いてくる。具体的にはトヨタのカムリはいくらかなどと聞いてくる。日本の物価についていくつか話すと高いなぁと驚いていた。平均的な給料についても話すと、おじさんは深刻な顔をして、”息子が日本に行ったら助けてくれるか?”と聞いてくる。またビザ代はいくらなのかとも。ビザ代は知らないし、今は日本も景気が悪くてたくさん失業者が出ているということを説明し、今は行かない方がいいと片言ロシア語で辞書を交えながら伝えると、そうかというようなことを言って、それ以上は聞いてこなかった。

おじさんは今後のルートのことについて尋ねてくる。”カザフスタンや中国を通って日本に帰る”と言うと、”日本には中国から飛行機で行くのか、それとも鉄道で行くのか?”と聞かれる。以前にもどこかで日本には中国からバスで行けるのかと聞かれたことがあったけど、おじさんも陸でつながっていると思っているらしい。

なので世界地図を取り出して日本の位置を教える。またキルギスや中国の位置なども教える。おばさんたちも地図をのぞき込み、中国の大きさやロシアの大きさに驚いている。見慣れない地図とは言え、キルギスの位置でさえパッとはわからなかったようなので、あまり世界地図を思い浮かべてものを考えるというようなことはないのかもしれない。

トルクメニスタンでも泊まった宿の人が中国の大きさに驚いていて、ぼくはそれに驚いたのだが、キルギス人の多くも中国と接していながら実は中国がどれだけでかくて、どれだけの人がいるかなんてことは知らないのかもしれない。

22時を過ぎると元気だったムスリマもさすがに疲れたようで、母親の膝の上で寝てしまう。

子どもがうまく部屋からいなくなったとき、宿代を家主夫婦に払う。米ドルの方がいいかと思って30米ドルを渡したのだが、ソムの方がいいと言うので、ソムで払う。ソムはたいして両替していなかったため明日のタクシー代ぶんのソムがこれでなくなってしまう。おばさんは”2米ドル札を持ってたら見せて欲しい”と言う。それを聞いてこうして観光客を家に泊めて生計を立てているわけではないんだということを確信する。

次男は例のごとくぼくの携帯でゲームをしたがる。長男は隣の部屋でテレビを見たりしている。次男から携帯が返ってくるとハチチャも少しいじってみたいようで、ぼくに寄ってきて見せてくれと頼む。

なので、ワードの画面にして入力をしてもらう。さすがにキリル文字は入力できないのでローマ字で、例えば家族の名前や料理の名前を入力してもらう。携帯に付いているスライド式のキーボードで入力するだけだが、初めてなのかずいぶん楽しそう。

一通りあれこれ入力をしてもらった後で、彼女が家族の写真を見せてくれる。買い物の時にもらったビニール袋を逆さにし、中に詰め込まれていた写真を床に出す。

そして、一枚一枚見せながら、これは誰でこれは誰と説明してくれる。日本でなら写真はけっこうきちんと整理されて保存されいるのだろうが、彼女が見せてくれた写真の中には折れ曲がったり、破れていたりする写真がけっこうあった。それにぼくは驚く。

枚数は少なく、全部で100枚もないだろう。ハチチャが生まれた頃の写真からあるからこれで20年ぶんはあると思うのだが、それを考えるとずいぶん少ないように思う。

23時を過ぎた頃、一息ついて、さて寝ようかなと思っていたところ、ハチチャと横に並んで座ってしゃべっていた母親が、もう1泊できないかと尋ねてくる。ぼくは予想外の質問に少しまごつく。気持ちでは予定通りに明日出るつもりだったが、よく考えてみると明後日は日曜なので、明日ビシュケクに着いてもすぐにカザフスタンのビザが申請できるわけではない。ここで1日つぶすかビシュケクでつぶすかの違いしかない。そんなことを考えた上で、「モージナ(可能です)」と答える。

なんでもう1泊してもらいたいのか不思議に思ったが、おばさんが間をおいて”明日はハチチャの誕生日なの”と言ったので、それで理解する。それならなおさらここにいた方が、キルギス式誕生会を見れておもしろいかもしれないと思い、延泊決定。

今日はやや夜更かしで12時半頃、消灯。

Fin

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