2010年12月31日金曜日

[diary]クネイトラ、ダマスカス旧市街

クネイトラ、ダマスカス旧市街

2008/11/23(日) 晴れ
[Damascus←→:Syria]

6時過ぎ起床。晴れ。
手を二カ所蚊にやられていた。

今日訪れる予定のクネイトラはゴラン高原の一画にアリ、国連の監視下にある。そういうこともあり、事前に入域許可証のようなものを取得しなければならない。その許可証を出している内務省の事務所は昨日(土)、一昨日(金)と週末は休みだった。今日も8時半からしか空いていないらしいので、8時前になってから宿を出る。

外はひんやりしている。15℃くらい。

バス乗り場にはバス待ちをしている人たちが数人。歩いてダマスカス大学方面に向かう。いくつかのキオスクを除けばまだ商店などは開いていない。

立体交差している大きな通りにすでに開いているピザ屋を発見。手のひらサイズのピザが10種類ほど、ガラスケースにならんでいる。具体的にはチーズのみ、チーズとマッシュルーム、鶏肉のカレー味、香辛料(名前がわからない)などなど。

ぼくは2種のピザを注文。店の人はガラスケースから一度は焼いているそれを取り出し、店内奥にある焼き窯に入れ温めてくれる。2つ合わせて値段は35シリアポンド。
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[diary]パルミラに日帰りで

パルミラに日帰りで

2008/11/22(土) ダマスカスは雨、パルミラ晴れ
[Damascus←→Palmyra:Syria]

7時前に起床。外は薄暗い。ベランダのようなところに出て、空を眺める。一面の雲。しばらくして雨がぽつぽつと降り始める。洗濯物干しとソファをベランダから屋内に移動させる。それから10分もすると晴れ間が見え始め、雨もあがる。

9時前に宿を出る。同室の三人でパルミラへ。宿の近くの大きな通りでバスを待つ。15番のバスに乗ればパルミラ行きのバスが出ているターミナルに行けるとのことだったが、試しに聞いてみたミニバン型のセルビス(ミニバス)の運転手が乗れと言うので乗る。運賃10シリアポンド(約20円)。

土曜日ということでか交通量は少ない。乗り込んでから15分ほどした頃、道端で車が止まり降りるよう言われる。運転手のおじさんは指差しながらアラビア語でなにやら言う。

降ろされたのは片道二車線で中央分離帯もある幹線道路。反対側には何かの戦争を記念した広場があった。広場の橋の方にはロケット砲などが置かれている。

辺りを見回したが、バスターミナルらしき場所は見当たらない。そこへ15番のバスが向かいからやってくる。なのでバスがやってきた方向へ歩いていく。

すぐに小さな駐車場に止まっているバスを発見。近くの店の人に聞いてみるが、向かっているバスターミナルはここからまだ少し距離があるよう。ここでも言葉がわからなかったので、店のおじさんが指さした方向を頼りに歩く。

立体交差している道路をくぐるとその道端で野菜を積んだトラックが荷降ろしをしていたのでそこでまた聞く。指差した方向だけが頼りなのは今回も同じ。

近くにバスが数台停車している場所が見えたので、そちらに歩いて行ってみる。ちょうど一人のおじさんが通りがかったので、そのおじさんに聞いてみるとアラビア語でなんやかんやと言い、こっちだというような仕草をする。

おじさんに連れられ、セルビスのターミナルを抜けると向こう側にバスターミナルがあった。停まっているバスのフロントには行き先が書かれてある紙のような物があったがアラビア語オンリーのためわからない。客引きらしい人に「パルミラ、パルミラ」というが反応が乏しい。奥にさらにバスが停まっているところがあったので、そこに行き同じことを繰り返すが、やはり反応がいまいち。どうもここのターミナルではなさそう。

ターミナルの入り口にいた警察にボルマンバスステーション(正確にはPullman Bus Stationだったと後に判明)はどこかと尋ねると、これまでに尋ねた人が誰も指ささなかった方向を指さしてあっちというような仕草をする。100mほどそちらの方へ歩いてみるが、どうも怪しい。

そこで通りがかった別の警官に聞くと、その警官は英語を解し、そこまでセルビスで行くのかタクシーで行くのかと聞かれる。歩いて行けないかと同行のAさんが聞くが、ちょっと遠いというようなことを言う。なので、タクシーを捕まえることに。

バスターミナルの近くということもあり、タクシーはいくらでも走っていた。軽自動車タイプの黄色に塗られたタクシーを捕まえ乗り込む。運転手に行き先を告げるとだまってうなづき、メーターのスイッチを入れる。

目的のプルマンバスステーションは、そこからタクシーに乗って10分ほど。幹線道路に面しているわけでもないため歩いて探すにはわかりにくい場所にあった。タクシー代20シリアポンド(約50円)。これを3人で割り勘なので安い。

プルマンバスステーションはさすがに行き先はアルファベットで併記されていた。入り口では荷物の検査があり、空港と同じようにベルトコンベアに手荷物を乗せ、自分は金属反応を調べる機械の枠を通る。検査はイスラエルのようには厳しくなく、簡単に通ることができた。

そこを抜けると正面に最近改装したようなきれいなバス会社もしくは旅行代理店のオフィスが20ほど横一列に並んでいた。ぼくらを見つけるとそれぞれオフィスの前からこっちに来いと声がかかる。客に近づくのはルール違反なのか近くに来て腕を引っ張っていくようなことはない。

パルミラ行きのバスを出しているらしいオフィスの人3人ほどに値段を聞くとだいたい150~200シリアポンド(約300~400円)。事前情報とあまり変わりない。その中からすぐにバスが出るという会社を選び、そこのオフィスの男性に3人ぶんのチケットを頼むと、彼はついてこいと言って、なぜか同じ並びにある別の会社のオフィスにぼくらを案内した。

そこのカウンターの女性になにやらと言い、その女性はぼくらにパスポートを出すよう言ってくる。それから運賃を払い、チケットをもらう。いったいこの仕組みはどうなっているのやら? さっきの男性のオフィスは代理店でもしや150シリアポンドのうちのいくらかは彼らの手数料になっているのか? などと3人で話しながらバス乗り場に移動する。

すでにバスへの乗車は始まっており、すぐに出るというのは本当のようだった。

実際にバスは10時すぎに発車。待ち時間はほとんどなかった。

ターミナルの周りはバスが出やすいような道路整備がなされておらず、それどころか辺りにはゴミ捨て場のようなところがごろごろあった。また車屋がある1つの通りに固まっていてその通りには車の前半身だけとかが積まれていた。

バスが走り出してしばらくすると添乗員らしい男性が、飴玉とプラスチックの使い捨てのコップを配って回る。ジュースでも配布されるのかと思いきや水を入れたペットボトル(何度も使っているようでシールははげかけ、表面にも傷多数)を持って注ぎ回っていた。

乗客の入(い)りは6~7割ほど。ぼくの隣は空いていたのでゆうゆうと座ることができる。

日の当たる側だったので眠くなる。

1時間ほどした頃だったか、沿道にイラクまで何kmと書いた看板が定期的に現れる。200kmも東に行けばもうイラクだ。
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沿道はひたすら土漠で草がちょろっと生えている以外は緑がない。こんもりとした山もベージュ色のみ。しかし、時々突然オリーブ畑や植林されている一帯が現れる。人家も少なく、まちも見ない。ベドウィンなのか難民なのか、テントが数棟まとまって張られている場所もあったりする。
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車内ではアラビア音楽がかかっているのだが、時々音楽が切れてザーという音になったり、やたらと音がでかくなったりする。

寝ては目を覚ましを2度ほど繰り返した13時前、前方右手の小山の上に神殿のような要塞のような建物を発見。その山の向こうに忽然と町が現れる。オアシスのまちというのは実に不思議だ。

沿道に見えた看板にはパルミラまで1kmとあった。そこをすぎてすぐにバスはレストランの前の駐車場に停車。このバスはもっと東に行くバスのため、パルミラに行きたい人はここで降りろとのことらしい。
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降りたところにはタクシーが数台来ていた。1台のタクシーのフロントには「スズキタカシ パルミラ」とカタカナで書かれた厚紙が張られていて、運転手はぼくらを見るとあちこち連れていっていくらだと言うような話を勝手に始める。半分無視していたらちょっと見てくれと自分の車の後部窓を指さすので見に行って見たら、そこにも日本語で書かれた文章が張られていた。その文章がまた怪しくて、どこかの情報ノートか何かから抜き取られたその文章の筆者は中田英寿とあった。サッカーの中田本人なのか、同姓同名なのか、偽名なのかは不明。とりあえず笑う。

同じバスに乗っていたイラン人カップルが遺跡の方に行くようだったので、5人でスズキタカシではない別の1台のタクシーに乗り込み、少し離れている遺跡の入り口まで移動する。


想像外だったのが、イラン人がこっちの人に向かって英語で話しかけていたこと。イランはペルシャ語とは言え、同じイスラム圏だからアラビア語も解するのだろうとぼくは思っていたのだがこの二人はアラビア語はわからないようだった。

タクシーでパルミラのまちを通る。舗装された道にコンクリートブロックを積み上げて作られた家々。狭い道路では子どもたちが遊んでいる。

10分ほどで遺跡の入り口にある博物館に到着。運賃は5人で100シリアポンド。運転手に帰りのバスの乗り方などをイラン人カップルともども聞いてみるが、うまく言葉が通じず、的を射た回答は得られず。近くにインフォメーションがあったので、そっちで聞くことにする。

インフォメーションは殺風景な建物だった。事務机に中年の男性が一人。彼は英語を解した。彼は帰りのバスなどについて教えてくれ、さらに観光パンフもくれる。日本語版もあり。

遺跡は神殿など一部をのぞき無料で見ることができた。遺跡がある一帯に入るとローマ式の神殿の柱や建物が見え、その周りには崩れ落ちた柱の一部などがごろごろと転がっていた。一部では足の踏み場もないほど。
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遺跡が残っている地帯は東西に長い。記念門や四面門はわりときれいに残っているのだが、遺跡にあまり興味がないこともあり、たいして感慨はない。まぁ、数年前にトルコで似たようなところを見たから、それだけで馴れてしまった感もあり。ただ、けっこうな数の建物がここにあったようだからこれらを完全に復元するとかなり見応えのあるところになりそうな気がする。
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それでも、自分としては遺跡よりも隣のオアシスの森の方が驚異的であるように感じる。

遺跡内ではらくだの背に乗ってちょっとだけぶらぶらするような商売をしている人もいて、なぜか彼らは日本語をちょっとだけ話した。「ニホンジンデスカ?」「ゲンキデスカ?」「ラクダハラクダ(らくだは楽だ)」など。みんな言うことは同じ。
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観光客は少なく、全体見回しても来ている大型バスは3台ほどで、歩いている人は50人もいないくらい。客がたいしていないためか、こうした観光地に付き物ののアクセサリーなどを売る物売りもおじさん1人だけ。

結局1時間ちょっとぶらぶらしただけで帰ることにする。また遺跡の入り口からタクシーに乗る。最初運転手はバスターミナルまで100シリアポンド(約200円)と言ってきたが、町中で飯を食ってからターミナルに行ってもいいかと断ると、一気に50シリアポンド(約100円)に言い値が落ちる。ターミナルにもご飯を食べるところがあるというので、タクシーに乗ってターミナルへ。
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ターミナル(バスステーション)とは言うものの別に立派な駐車場があるわけではなく、バスは路上駐車で、チケットはレストランの片隅に置かれている机で係りの人が発券するというスタイル。帰りのバスは200シリアポンド(約400円)。ダマスカス行きのバスは10分後に出るとのことだったが、飯を食べてもまだ大丈夫とのことだったのでレストランで昼食。おかず小皿1皿にご飯1皿で100シリアポンド。150と言われたのをまけてもらう。

ご飯は油で炒めたようなご飯で多少味がついている。おかずは数種類あった中から選んだが、たいていどれもトマトベースの味。ミートソースのようなものからじゃがいもとトマトとなす、挽き肉を重ねてオーブンで焼いたようなもの、シシケバブとじゃがいものトマトスープ煮みたいなものをそれぞれ食べる。味はまぁまぁ。
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バスの人に早く食べろとせかされながらさっさと完食し、バスに乗り込む。すぐにバスは発車。また土漠の中を走る。

今回も飴と水のサービスあり。正面のテレビではアメリカ映画が上映される。アフガニスタンを拠点にしている悪い奴をアメリカがやっつけるというバカみたいなストーリー。こんな映画作る金があったらアフガニスタンの人のために使えっての。字幕はアラビア語で音声はなぜかドイツ語だった。

17時には外は暗くなる。帰りは目がさえ眠ることなくダマスカスまで行く。

朝に使ったターミナルとは違うらしいところに着いたが、セルビスに乗ってさまようことなく、宿近くまで行く。車内ではわりと英語を流ちょうに話すおじさんが話しかけてくる。どこから来たのか、何しに来たのかと聞かれる。日本人だと知ると日本人はクレバーでどうのこうのと褒める。そんなことないんだけどね。依然としてここでも日本人に対する印象は良いよう。

宿に戻る前に3人で空豆&レモンスープの屋台に行く。ぼくは昨日に続いての空豆だったが、今日行った屋台はちょっと豆がゆだり過ぎていてあまりよろしくなかった。
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それから2人とわかれて、ぼくはネット屋に。久々に早いネット屋に出会う。たまっていた写真のアップロードと一部動画のアップロードをする。2時間で150シリアポンド(約300円)。安くはない。

その後、サンドイッチのような物を夜食に買い食いして、宿に戻る。
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宿には日本人が新たに1人増えていて、その人は同室の二人と南米で一緒だったらしい。4ヶ月ぶりだかに大陸を越えての再会。ぼくもアフリカで同じようなことがあったから、もはやこうしたこともたいした偶然でもないように思えてくる。がしかし、よく考えればなかなかあり得ることではない。

しばらく談笑し、その後、書き物をした後、就寝。夜は6度程度まで冷える。

Fin

[diary]アンマンからダマスカスへ

アンマンからダマスカスへ

2008/11/21(土)
[Anman:Jordan→Damascus:Syria]
※レート:1米ドル=46.8SP、1ユーロ=58SP、1JD=65SP
(国境にて)

・国境で2時間半待ち
・セルビスを解放
・冷え込むバスでダマスカスへ
・人だかり
・繁盛している鶏屋
・お菓子売りの少年、体重計の少女
・週末のスーク、旧市街
・行列ができているアイスクリーム屋
・空豆とレモンスープの屋台

早起きせねばというプレッシャーからか2時頃一度目が覚め、次に4時半頃目が覚める。かけていた目覚まし時計よりも1時間早い。5時過ぎに起き出して、荷物を整理し、1つ下の階のフロントに降りる。さすがに早朝はやや冷える。

5時半過ぎ宿を出る。一緒にシリアに行く2人組とペトラに行く人との4人でタクシーを捕まえ乗り込む。

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[diary]イスラエルからヨルダンへ移動

イスラエルからヨルダンへ移動

2008/12/20

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