2009年10月30日金曜日

[diary]サナアで休息 再び

サナアで休息 再び

08/10/30(木) 曇り、夜は雨
[Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・部屋こもり
・結婚式

夜が明けてしばらくした後、起床。

今日もたまりにたまっている書き物をすることにする。同室の彼は朝の旧市街を見に行くと7時半頃部屋を出ていく。ぼくは近くの食堂街に朝食のパンを買いに。ややくぼんでいるが平たい鉄板の上で、薄いナンのようなパンが焼かれていたので、それを3枚購入。1枚30リアル(約15円)。それから、その近くで揚げパンのようなものを売っている店があり、そこがけっこう繁盛していたのでその揚げパンも買ってみる。日本で言うとカレーパンをカラカラにしたような感じで、カレーパンのような形に膨れているが、中は空洞。しょうがっぽいような味と甘みがあるので、そのまま食べてもうまい。これは朝食の定番のようで、その辺でおじさんたち(女性はいない)はその揚げパンとチャイを食べている。

部屋に戻り、書き物。テレビを付け、BBCを流しっぱなしにしていたのだが、ニュースではコンゴの内戦やパキスタン北東部での地震、ソマリアやカブールでの自爆テロ、米軍によるシリアへの越境爆撃、アメリカ大統領選、メジャーリーグのワールドシリーズ、ブリティッシュ連邦内でのクリケット大会、特別番組としてのロシア・グルジア戦争のことなどが繰り返し放送される。番組の合間にはコマーシャルが流れ、南アフリカやインド、カタールそれぞれの政府が作成しているらしい観光CMなどが流れる。

昼前、旧市街に近い野菜スーク(市場)に昼飯を食いに行く。市場と言ってもここの場合は整然と立ち並ぶ建物の間の間の通り沿いに50軒ほどの野菜屋、果物屋、煙草屋(タバコの葉を乾燥させたものをそのまま売っている)、甘味屋、ふかしたじゃがいも屋、小さい丸っこいパン屋、カート屋などが並んでいるだけで、規模は小さい。アフリカの市場とはぜんぜん違って、こちらは市場と言うよりもちょっとした露店街という印象の方が強い。

送信者 yemen3


タバコの葉↓
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ケバブ↓
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どこで食おうかとうろうろしていたら、甘味屋の少年(おそらく15~18歳くらい)が店の中から声をかけてくる。
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店に行ってみると、ショーケースの中には半径30cmほどの円形のトレイが4枚ほどあった。それぞれの中身は見た目で言うと、シフォンケーキのようなものやプリンみたいなもの、それから蜂の巣を集めたようなものなど。蜂の巣を集めたような物が入っているトレイにはミツバチが20匹ほど寄ってきていた。
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せっかくなので、シフォンケーキみたいなものを食べてみる。これが大量の水分を含んでいてケーキという感じではない。味とトレイの様子から推測すると、焼いたパウンドケーキにひたひたになるくらいに蜂蜜を薄めたジュースをかけているっぽい。蜂蜜屋はいくらでもあるから、もしかしたらその辺から余った材料を仕入れて作っているかも、などと食べながら推測してみたりする。ちなみに値段は日本で言う1ピースぶんがだいたい50リアル(約25円)。

その後、その2軒隣で炭火を使って焼き鳥で言うツクネのようなものを竹輪と同じような要領で焼いている店があったので、そこで買い食い。具体的には挽き肉を菜箸大の太さの鉄(?)の棒に細長く張り付け、炭火の上で焼いていた。値段を聞くと4本350リアル(約175円)。なかなか高い。直径は3cmほどで長さは10cmほどだからたいして漁も多くない。でも、試しに食べてみる。食べ方は、そのままでもうまかったが、店のおじさんはトマトをひいたペーストをそれと一緒に出してきたので、トマトのペーストを付けて食べるのがここの常識のよう。味はつけてもつけなくてもどっちもうまい。肉はまさにツクネのような感じ。わりと簡単にできそうな商売だが、この店の他に同じような店は見なかった。
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それからやっと本格的に昼飯を食う。まだ行ったことのない店でいつものように人が食べているものを指さして注文。またもサルタ。でもうまいから良しとする。
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食事をしながらすぐ目の前のバナナ屋の様子を見ていた。このスーク(市場)にはバナナ専門店が多い。イエメン産のバナナのようで、バナナを陳列する台代わりになっている箱にはそれと示す英語が書かれている。目の前のバナナ屋のおじさんは「ミア(100)」(おじさんが発する言葉の中で、ぼくがわかるのはその単語くらいしかなかった)などと大きな声をあげて懸命に客寄せをしている。

そこへ一人の女性客が来て、おそらく値段などを聞いているのだろう、おじさんとバナナを見ながらあれこれと話している。そのとき、様相からしておそらく路上生活をしていると思われる一人のおじさんがそのバナナ屋にやってきて、話している二人の脇で大量に陳列されているバナナの中から1本のバナナをもぎり、そのまま去っていった。店のおじさんと話すこともなければ、カネも払うこともなく。

ぼくの目には店のおじさんはそのおじさんの存在には完全に気づいているようだったし、おじさんの行為は目の端に入っているように見えた。でも、店のおじさんは見過ごした。

その後すぐ今度はボロい服をまとった13~15歳くらいの少年がその店にやってきて、同じようにさもその店の主かのようにバナナを1本もぎって持っていこうとした。それも店主のすぐ横で。これまたおじさんはその少年の行為を黙認するのかと思いきや、店のおじさんは少年の腕をつかみ、激しくバナナを返せというようなことを言っている。少年の方は少年の方で、おじさんになにやら言い返している。そして、結局店のおじさんはその少年からバナナを取り返すことなく、解放した。

同じようなことは1週間ほど前、サナアのハサバという地区にある市場でも見た。足どりもだいぶ弱っているような老女が、ナツメヤシを売っている露店の前を通りがかったとき、その山の中から1粒ひょいとつまみ、ポケットに入れた。ナツメヤシは親指と人差し指で円を作ったときの円程度には大きいから、取ったことははっきりとわかる。そのときも店の人はじっとそれを見ていたわけじゃないけど、黙認しているようだった。

これらの行為もやはりコーランの教え?

食事後、バナナと干しぶどうを買って宿に戻る。干しぶどうはおじいさんが風呂敷に山盛りにして売っていて、小さな缶詰の缶1缶いくらという具合で売っている。そのおじさんは薄い黄緑色のものと濃い青色のものを売っていたので、それぞれ半分ずつ買おうと思ったのだが、ちゃんとアラビア語が通じず、青い方だけおじさんは1缶分すくい、使い回しの黒のビニール袋に入れてぼくに手渡す。1缶300リアル(約150円)と予想以上に高かったが、まぁ、いいかと。その干しぶどうは種ありの干しぶどうで、味は変に甘すぎずよろし。

宿に戻ってまた書き物。

夜は同室の人に誘われて、別室の日本人旅行者と会わせて4人で食事に行く。近くによいフライドチキン屋があるらしい。

さてそこに行ってみたところ、同じ宿に泊まっている別の日本人旅行者がバラバラに来て、ほぼ全員集合状態になってしまった。店は通常より客の入りが良いようで、そのためか材料不足らしく、いつものような量ではなかったよう。お子様ランチで使うようなプラスチックのプレートにフライドチキンが2かけら、フライドポテト、チリソース、サラダが盛られて300リアル(約150円)。やっぱり目新しくない料理を食べるというのはおもしろみがない。
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食事後はバラバラ帰る。帰って後は書き物と同室の人がこれからアフリカに行くのでアフリカ情報の提供。

Fin

[diary]サナアで休息

サナアで休息

08/10/29(水) 曇り
[Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

6時半頃起床。外はもう明るい。

午前中はずっと書き物。なかなか溜まったものが片づかない。

昼、同室の日本人旅行者と飯を食いに行く。近くの食堂街でサルタを食べる。サルタの表面には白いネバッとしたトロロのようなものがかかっているのだが、これがやや苦い。何が原料なのか。昼食代は1人あたり300リアル(約150円)。
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それからぼくはネット屋に行って、昨日途中で止まってしまった写真データのアップロード。昨日とは違うネット屋を使う。ここはなかなか回線の速度が速く、サナアで使った中では一番。隣の若い男はネットで未来少年コナンを見ながらときおりくすくす笑っていた。アップロードしながら無線LAN情報などを集める。

その後、また宿に戻ってしばらく書き物。宿までの途中、歩道に体重計を置き、商売している少年がいた。彼がさかんに乗っていけというようなことを言うので、試しに体重を計る。1回5リアル(約3円)と聞こえたのだが、10リアル(約5円)払ったらお釣りなしだった。
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日が暮れた19時頃、食事をしに近辺を歩く。昼飯と同じ食堂で、今度は豆をピリ辛味で煮込んだものを食べる。インドのナンのような薄く丸いパン1枚込みで200リアル(約100円)。

それから昨日ちらっとしか見られなかったYemen Bookshopに行く。

いつものように路上には子どもを抱えた女性を数人見る。ある女性は子どもを3人、歩道の端に毛布を掛けて寝かせたまま物乞いをしていた。エチオピア(アディスアベバ)もそうだったが、なんで小さい子どもを抱えた女性が路上に出ないといけないのか、その背景が気になる。

イスラム国のショッピングタイム(夕方以降)ということでか、
Yemen Bookshopには先客が10人ほどいた。みな若い男だから大学生か何かなのだろう。Yemen Bookshopの向かいに、もっと大きな本屋があったのでそこにも立ち寄る。ここはアラビア語の本がメインで、英語の本もペンギンブックスシリーズなどけっこう置いてある。だが、本はすべてカウンターの向こう側の棚に置かれているので自由に手にとって中を見ることができない。

ふと思いついて調べたいことができたので、またネット屋に行く。イエメンはネット代が安いから助かる。
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その後宿に戻ってからは読みものや書きものをして寝るのであった。

Fin

2009年10月27日火曜日

[diary]サナアでバス、飛行機探し

サナアでバス、飛行機探し

08/10/27(月) 晴れ
[Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・ムカッラ行きバス探し
・飛行機探し

明け方4時前だろうか、礼拝を呼びかけるモスクからの放送の声で一度目が覚める。

6時過ぎに本格起床。しばし日記書き。

9時過ぎになってから宿を出発。まずはバスの状況を把握するために、バーバルヤマン(イエメン門)近くのバス会社が固まっている地域に行く。

途中、建物の入り口階段のところで少女がゆで卵を売っていたので買う。1個30リアル(約15円)。見たところ8~10歳くらい。客が来ても卵が売れても彼女の表情は浮かない様子のままで変わらない。

宿の情報ノートによればここのところオマーンよりのまちサユーンなどに行くバスは、外国人の乗車を拒否しており、なかなか乗ることができないとあった。ぼくが行きたかったムカッラも同じ方面。乗れない可能性が高い。ただ、同じノートの情報で、虎のマークのバス会社だけは売ってくれたというので、それを当てにして行ってみる。

まずは適当に通りがかかったバス会社のオフィスに入って、ムカッラに行きたいと言ってみる。英語を話す人はほとんどいないため、最初入ったバス会社ではバスはないということはわかったが、それが洪水によるものなのか、それともぼくが外国人だからかというところはわからず。

虎のマークのバス会社に行ってみると、英語が多少できる人がいて、ここでは2~3日後にならないとバスはないとのことだった。これは洪水の影響のよう。値段を聞いたら2000リアル(約1000円)。アデンからムカッラに行く乗り合いタクシーと同じ値段。

2~3日後にはバスは出そうで、ここならチケットも売ってくれそうだったが、はたして彼らの”2~3日”という見込みが適切なのかは未知数。水は引くだろうが、道路やホテルなどがどこまで復旧するのかがわからない。今朝買った英字新聞『YEMEN TiMES』によれば橋も壊れているとあるし、オマーン方面に行く道路がどういう状態なのかもわからない。

結局、手持ちの情報では2~3日で復旧するとは信じられず、この時点で飛行機でUAEに飛ぶことに決定する。行く予定だったオマーンでの滞在費等をそちらに回せば予算的にはそう変わらないだろうし。

というわけで、今度は旅行代理店まわり。適当に通りがかりの店に入ってみる。最初入ったところはまったくと言っていいほど英語が通じず、しかもぼくが窓口の人と話しているのに、横から地元のおじさんがなんの断りもなしにおもむろに窓口の人に話しかけ、窓口の人もそっちの相手をしだしたのでさっさと出る。看板は英語を併記してるんだから、最低限の英語くらい覚えろよな、と思ってしまう。

その後、まわった4つほどの代理店では英語が通じる。ドバイ行きの片道航空券はだいたい240~270米ドル。ドバイ経由のエジプトのカイロ行きは500米ドル。ちと高い。できれば100ドル代でドバイまで行きたいのだが、なかなかない。

10時を過ぎたので適当にレストランで食事をする。ジャガイモやタマネギの炒め物に薄くでかいパン1枚で250リアル(約125円)。ここのスタッフはとてもフレンドリーでいろいろ聞いてくるのだが、すべてアラビア語なのでまったくわからない。
From yemen2


同じ宿の日本人旅行者の人からUAEに行くならエアアラビアでシャルージャ(首長国の1つ)に行くのが一番安いと言っていたので、ドバイ行きではなくシャルージャ行きのチケットをある代理店で聞いてみるとエアアラビアは扱っていないからハッダストリートにある直営店に行くよう言われる。

というわけで、ハッダストリートに行く。だが、この通りのどこにあるのかがわからない。途中、旅行代理店があったので、そこでエアアラビアを扱っているか聞く。ちょうど扱っていたのだが、運賃を聞いたところインターネットにプロブレムがあるとのことで、そこではわからず。歩いて直営店を目指す。

やはり直営店の場所がわからないので、警官や店の人に聞くが、けっこうみんな適当で言われたところに行っても見あたらない。やはり同業者に聞くのが確実と、また別の代理店に行って聞いてみる。そこの人は親切にもタクシーを使えと言ってくれるが、そうはいかないわけで。礼を言ってその店を出ようとしたら、対応してくれていた窓口の男性は「アリガトウ」と日本語で言い、それから加えて「モシモシ」と言った。

彼が言うにはとにかくまっすぐ行けばあるというので、道沿いに歩く。昨日見えた巨大なモスクが左奥手に見え、手前にはケンタッキーの店が見えた頃、通りの右手にエアアラビアのオフィスを発見。けっこう遠かった。
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高い天井に白を基調にした店内はとてもきれい。さすがUAEの航空会社。もちろんスタッフの人は英語を解した。彼にシャルージャ行きの飛行機を聞くと176米ドルと言う。安い。オマーンのマスカット行きを聞いたらこっちは280米ドルほど。さらにシャルージャからエジプト行き(アレクサンドリアのみ)を聞くとこれも175米ドルほど。

ただ、便数を今週から変えたらしく、シャルージャ行きは今晩の深夜1時発の次は土曜日だと言う。しばし悩む。で、今晩の便をとれるか聞いてみたが、空きはないがトライしてみるという。ただもう昼なので(13時頃から16時まで昼休み)、16時以降にまた来いという。

いったん宿近くのタハリール広場に戻り、広場近くにある日本語ができるネット屋で調べもの。

それから16時前にまたミニバス(20リアル)に乗ってエアアラビアに行く。オフィスに行く前に近くのスーパーに寄って水を買う。そのスーパーの道を挟んで向かいには、Fillipine Pizzaと看板に書いた店があって、フィリピン人らしき人が店にいた。

エアアラビアに行くと今晩の飛行機は取れなかったとのことで、これで土曜日発が決定。結局イエメンに2週間以上することになった。

これでUAE行きが決まったので、またタハリール広場に戻り、ネット屋でシャルージャのユースホステルの予約をする。ドバイのユースホステルの予約を一昨日していたのだが、宿泊費を少しでも節約するためより安いシャルージャに変更する。ちなみにドバイのユースホステルは会員でもドミが95ディルハム(約3000円)。一方のシャルージャは70ディルハム(約2500円)。 イエメンの実に3~5倍。いやはや。

それから同宿の人に誘われて食事へ。現在宿には日本人旅行者が10人ほど泊まっていて、うち8人で食事。男女は半々。カップルが2組に、女性一人旅が2人、男一人旅が2人。うち半分くらいはこれからアフリカ。他は中東をまわるよう。
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ぼくが『ロンプラ』のアフリカ版をプレゼントしたカップルが、そのお礼にと食事代(225リアル)をおごってくれる。さらに水も買ってくれる。感謝。二人は中東方面から来ていたので、そちらの情報を聞く。重大な情報だったのが、ウズベキスタンのビザがイスタンブールでも取りにくくなっているということ。あとはエジプトからイスラエル経由でヨルダン、シリアという陸路ルートはイスラエルのスタンプの問題でやはり難しいらしい。今後のルートを考える上で重大な情報を得る。

その後、ぼくはふらふらと一人でスークの方へ。行ってみると通りに電球が200個以上も吊され、お祭りモード。結婚式がこれから行われるようだ。見物客も100人は集まっている。
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30分ほどした頃、音楽がかかり、見たところ60代半ばくらいと思えるおじさん2人がジャンビーヤ(半月刀)を手に持ち、ジャンビーヤダンスを始める。ステップ中心の踊りで、アフリカのように体幹を動かすようなことはない。
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その後、しばらくして細い路地から着飾った2人の若い男性が登場。歓声があがる。これが婚礼衣装なのか、金色の刺繍がされた帽子(というかターバンみたいなの)に、伝統的なものらしいシャツに腰巻き。腹にはジャンビーヤ(半月刀)を差し、左手には旧式のライフル銃を持っている。
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彼ら2人は設営されていた小さなステージ上の豪華な椅子に座る。その後、機材が故障したためか、しばらく宴は中断。30分以上たった頃、再び音楽がかかる。人だかりができていたので、最初はわからなかったが、見てみると音楽は生演奏。歌も生(なま)。生演奏と言っても楽器は、電子キーボードのみ。その機能を使ってアラビア音楽特有の音を奏で、その脇で男性歌手がやはりアラビア音楽特有の発声で歌う。大きなスピーカーが4つ設置されているから、音楽の音はけっこう大きい。
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音楽に合わせ一部の人々(おそらく結婚する二人と直接関係がある人たちだろう)が、円になり手をつなぎあって、ステップを踏み踊る。この場に集まっているほとんどの人は、その様子を見るだけ。

なお、集まっているのは男ばかり。女性は花嫁さえ現れず、観客もいない。小さな女の子たちはいたけれど。

3曲くらい歌が続いたところへ、車がやってきて、ステージに座っていた二人はその車に乗り込み、どこかに去っていった。車の中にももちろん花嫁はいない。

主役がいなくなったところで宴は終わりのようで、三々五々片づけが始まる。片づけしている最中、何があったのか、10歳くらいの男の子2人がつかみ合いの喧嘩を始める。なかなか激しい。

中断した時間も入れれば宴(?)に要した時間は2時間ちょっと。日本のように挨拶のたぐいはまったくなく、主役は椅子に座って挨拶に回ってくる友人らと頬をつきあわせる挨拶をするだけ。そして、音楽に合わせて踊るだけ。女性はどこにもいない。

その後は宿に戻り、就寝。

Fin

[diary]シャルージャ行きのチケット購入

シャルージャ行きのチケット購入

08/10/28(火) 曇り
[Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

今朝も4時頃、礼拝を促すモスクからの放送で目が覚める。

5時過ぎに起き、しばらく日記書き。

12時前に宿を出て昼食。近くの食堂でサルタを食べる。250リアル(約125円)。
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ちょっと足りなかったので、食堂をはしご。こちらはショーケースの中に料理が並んでいて、そこから選ぶスタイルなのでアラビア語のメニューが読めないぼくには助かる。野菜が多そうなものを2品。一つは少し苦みのある茄子のパイみたいなもの、もう1つはトマトベースの味のジャガイモ炒め。パンと合わせて320リアル(約270円)。
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道ばたの新聞・雑誌のキオスクで英字新聞『Yemen Post』を買う。40リアル(約20円)。1面は南東部の大雨洪水の記事。2面はイエメンポストのスタッフが書いた記事。Sa'adaという地域では部族間対立のため内戦になるかもしれないという記事やタイズでフランス人旅行者が襲われ負傷した話、イラン人による薬物の運搬に関する記事など。

3面はAFPやAPなどの通信会社によるイエメン記事。イエメン国内における5歳以下の子どもの死亡率が上昇したことに関する記事やアメリカのグアンタナモ基地に関する記事、小包爆弾でセキュリティオフィシャル(警備員?)が殺される事件が国内であったという記事、それからイエメン政府がアフリカの角(つまりはソマリアからの難民、エリトリア人やエチオピア人も含む)からの難民の入国を拒否したという記事など。

その新聞を買った店の店主に、この間、探していて見つからなかったイエメンブックショップについて聞くと、ぼくの隣にいた客に訪ね、その客が店まで案内してくれた。あいにくなことに12時を過ぎていたため、昼休みに入る準備をしており、あまりゆっくり見ることはできなかった。思ったよりも店は小さく8畳ほど。すべて英語の本で英語学習の本の他に理科系の専門書もあった。

それからネット屋に行ってシャルージャのユースホステルの予約が取れたかを確認。また入手困難との情報があるウズベキスタンのビザ情報と各国にあるウズベキスタンの大使館及び領事館を調べる。1時間60リアル(約30円)。

それから宿に戻って、また大量にたまっている日記書き。

夕方16時を過ぎた頃に飛行機のチケットを買いに行く。タハリール広場にあるATMでカネをおろそうとしたが、なぜか現在は動いていないという画面になっており、おろせず。

なので、手持ちのドルを両替してミニバスに乗ってエアアラビアへ。ミニバス代20リアル(約10円)。夕方の通勤時間なのかなんなのか道路がかなり混んでいる。ハッダストリートの交差点ではポケットティッシュや箱入りのティッシュを売る年輩男性や物乞いをしている少女らが今日もいた。

昨日も対応してくれた男性のスタッフが、「How are you?」と迎えてくれる。彼が言うには、結局昨晩の便には2席空きがでたらしいのだが、ぼくが電話番号を持っていないために知らせることができなかったらしい。

ともあれ、次の便が土曜日とのことなので、その便のチケットを買う。画面の料金はUAEのディルハムが表示されていて、それをイエメンリアルにした35100リアルを支払う。100リアル(約50円)はまけてくれ、結局35000リアルでサナアーシャルージャ間のチケットを購入。現在のレートで言えば約180米ドル。2万円足らずだった。

帰り際、昨日見つけて気になっていたフィリピンと看板にあった食堂に行く。

店には店主と店員らしい年輩の女性が2人。見た目は台湾系にも見える。タガログ語のテレビを見ていた。店の入り口脇のショーウィンドーには大皿に盛られた料理が6品ほど。ミートボールやあんかけ炒め、小さいイカの醤油(?)炒めなど。

店にはいり、英語でここで食事ができるか訪ねる。相手も英語で答える。1品400リアル(約200円)で持ち帰りもしているらしいが、通常の半分の量=半額で数品注文する。ご飯もいるかと聞いてくるので、それも頼む。

注文を聞いた後、おばさんはぼくにマレーシア人かと聞いてくる。日本人だと言うと驚く。どうも彼女らの知っている日本人顔の類型にはぼくの顔は当てはまらないらしい。

彼女はミスター●●を知っているかと聞いてくる。日本人の名前。聞くと彼女はサナアに住む日本人3人の家で家事仕事を請け負っているらしい。それで日本人の知人がけっこういるという。英語があまり普及していないイエメンでかつ家事仕事を女性に頼むとなると、イエメン人の女性に頼むのはけっこう難しいのかもしれないとふと思う。

料理はフィリピン料理というが、日本で食べる中華料理的な味付けでとても馴染む。ご飯も久しぶりに白米を食べる。イエメンの食堂でもご飯は食べられるが、基本的に黄色やオレンジ色の長粒米。それはそれでうまいので、別に白米が恋しくはならないのだが、なんだか白いご飯がまぶしく見える。

彼女の話ではここ(イエメン全体なのか、サナアだけなのかはわからない)には約7000人のフィリピン人が暮らしているらしく、週末(イエメン=イスラムの国の週末は水曜と木曜)にはたくさんのフィリピン人で店はいっぱいになるという。理由はやはり料理らしく、こうした料理を食べられるところが他にないからと彼女は言う。

店にいた女性二人はタガログ語で会話をし、英語も解すからフィリピンで生まれ育ったのちにここに渡ってきたのだろう。が、込み入った話は特に聞かずに飯を食ったら店を出る。

宿のあるタハリールに戻り、今度はちょっと高いが速度が速いネット屋で写真のデータのアップ。だが、写真のアップロードとなるとけっこう遅かった。1時間半ほどネット屋にいて、宿に帰る。

テレビをつけ、BBCニュースを流す。金融危機のニュースやグルジア戦争の話、コンゴの内戦の話、麻生が金正日は病院にいると言ったという話などが繰り返し流れる。ここのテレビは衛星が入るらしく、チャンネルは100くらいある。そのうち英語の放送は3つ(BBC,FOX,Dubai One)ほどで、フランス語が1つ(シリア系のよう)、あとはアラビア語。ナイルという名が付いているテレビ局(おそらくエジプト)やクウェート、バーレーン、ドバイ、オマーン、サウジ、シリア、ヨルダンなど中東のアラブ諸国の番組が見られるようになっている。チャンネルを回していて気づくのが、音楽番組が多いこと。アラブチックな音楽を延々と流している。もちろん映像はミュージックビデオとして撮られたもの。歌手が踊り、バックコーラスも踊る。アフリカのいかにも素人くさい(と感じてしまう)音楽ビデオと比べれば、はるかに手が込んでいる。つまりはカネがかかっている。

他にも映画を延々とやっているチャンネルもあり。吹き替えではなくアラビア語そのままなので、この辺の国で作られた映画なのだろう。

夜は書き物したり読み物したりで過ごす。

Fin

2009年10月26日月曜日

[diary]大雨洪水、サナアへ逆戻り

大雨洪水、サナアへ逆戻り

08/10/26(日) 晴れ
[Aden→Sana'a:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・通りすがりの人からのアドバイス
・ムカッラ行きの乗り合いタクシーは乗車拒否
・サナアへ逆戻り

5時過ぎに起床。昨日は曇っていたものの、今朝はなかなか良い天気。扇風機のおかげで夜もしっかり眠れる。ただ、やはり夜中3時頃にモスクから流れてくるお祈りの呼びかけ放送には眠りを妨げられる。

アデンからムカッラは何kmあるか知らないが、地図で見る限り1日はかかる距離。なるだけ早くに出発しようと6時前には宿を出る。

すでに太陽は昇っていたが、思いのほか涼しかった。通りを歩いている人も少ないけれどもいる。

幅1mくらいある中央分離帯を歩いて乗り合いタクシー乗り場に向かう。歩いていたら正面から腰巻きに帯刀したイエメン的格好の年輩の男性2人がやってきて、英語で話しかけてくる。最初の一声は、”どこから来たのか、フィリピンか?”だった。いやいや日本人だと答える。どこに行くのかというのでムカッラだと言うと、あそこは3日から大雨などで建物が壊れたりしていると手に持っていた新聞の写真を見せながら言う。

見ると煉瓦作りの建物がウルトラマンに蹴られたかのように、上部が崩れていたり、地域全体が水没している写真などが見開き1面に20枚くらい載っている。

おじさんは、「You are my brother」と言って、”だから2日くらいここに滞在して様子を見てから行く方がいい”と言う。

イエメンのニュースはぜんぜんチェックしていなかったため、このニュースは青天の霹靂。もしや一昨日くらいの大雨はこの一部だったのかと、今更思い知る。それに昨日、乗り合いタクシーを下見に行ったときもムカッラ行きは用意してたし、値段を聞いたときにも2000リアルだとすんなり教えてくれたので、まさか洪水のようなことになっているとは思わなかった。もしおじさんたちの言うようにムカッラには行けず、ここで足止めになると、宿代の高いこのまちで待つのは予算的につらい。取りあえずタクシー乗り場に行ってみる。

ムカッラ行きの乗り合いタクシーは、トヨタのディーゼルのランドクルーザー。他のタクシーはライトバンなので、それだけムカッラ行きの道路は荒いのだろう。すでにムカッラ行きの乗り合いタクシーには5人ほど乗客が乗っていた。なので、これは大丈夫ということだろうと思い、車の横でリュックを降ろし、車の屋根に荷物を載せてもらう準備をする。

するとそこへ車の主らしいひょろっとしたおじさんが険しい顔でやってきて、ぼくにどこに行くのだと聞き、ムカッラだというとパスポートを見せろと言う。なのでパスポートと警察からのパーミット(旅行許可証)を見せるとそれをしばらく眺めた後で、なぜか乗せられないというようなことを言う。おじさんはアラビア語しか話さないので、理由を尋ねたかったができず。とにかく乗せないというような仕草ばかり。他の乗客に英語で聞いても解する人はいなかった。ただ一人のおじさんが、バスで行けというようなことを言う。バスは昨日すでに調べており、ムカッラ行きはなかった。

予想外の展開に、はてどうしようかと考え込む。乗り場の端の段差のところに腰掛け、しばしルートについて考えごと。最初は車が変われば、つまり運転手が変われば乗せてくれることもあるだろうからと、断られた車が出るのを待っていたのだが、しばらくするとなぜか乗客たちは降ろされていた。それに控えているランドクルーザーは1台もない。

どうも今日行くことは無理のようなので、ここにしばらく滞在するかそれともタイズやサナアに戻るかを考える。宿代はタイズだと半額の1000リアル(約500円)。ただ、そこまでの乗り合いタクシー代は800リアル(約400円)。2泊以上足止めになるならタイズに戻った方がいい。

ただあの写真にあったような状態がムカッラ全域で起きていて復旧に1週間とかかかるなら別のルートを考えないといけない。それにあの状態ではオマーン行きのバスも出ているかわからないし。

などとあれこれ考えてみるが、情報がない中では結局確定できず、とりあえず宿代の安いタイズまで戻ることにする。

タイズ行きの乗り合いタクシーは同じ乗り場から出ていたので、そちらに移る。助手席に2人、真ん中に4人、後部に3人乗せて、車は7時半頃発車。

1度検問があり、パスポートとパーミットのチェックを受ける。

畑や半砂漠地帯を横目に見ながら車は快調に飛ばし、やはり2時間ほどでタイズに到着。

時刻は9時半。車に乗っている間もどうするかを考えていたのだが、ムカッラ行きのバスはサナアからもあるだろうということでサナアまで戻ろうかと考える。バスがダメなときに備えて飛行機探しをするのもサナアの方が都合がよい。

なのでタイズのサナア方面行きの乗り合いタクシー乗り場近くにあるバス会社でサナア行きのバスを訪ねる。ここのスタッフ3人のうちの1人の人が英語を解した。サナア行きは14時発で1300リアル(約650円)。念のためムカッラ行きがないか聞いてみたが、ここにはなくサナアからあるとのこと。出発まで4時間以上あるので、乗り合いタクシーで行くことも考えたが、乗り合いタクシーは窮屈かつたばこを車内で運転手も乗客も吸うので、今回はそれを避けようと思い、バスに乗ることにする。ホデイダからタイズのバスは良かったし。

バス会社のオフィスにリュックを預け、あたりをぶらぶらする。朝飯がまだだったので、朝飯が食べられそうな食堂を探す。道ばたで鶏の砂肝と心臓とレバーの素揚げを売っているおじさんがいたので、それぞれ1個ずつ買って食べる。香辛料が店で用意されているので、ピリ辛のそれに付けて食べる。2つ合わせて35リアル(約17円)。

それから食堂に入って朝食。豆の炒めものにパン。よくある料理。こっちは料理名がぜんぜんわからないから、適当に店の人が訪ねてくる料理(あれはどうだ、これはどうだとアラビア語で聞いてくる)を注文するとどこでも同じようなものが出てくることになる。チャイも頼み、これで175リアル。

バス会社が面している幹線道路は交通量が多く、排気ガスくさい。かつイエメン人の悪い癖(だと思う)で、やたらめたらとクラクションを鳴らすからうるさい。

とりたてて見るべきものもないので、朝食後、ふらふら歩いた後にバス会社に戻る。裏手に便所くさい待合室があったので、そこで待つことにする。

『コーラン 上』をうつらうつらしながら読む。コーランは物語のように起承転結があるわけじゃなく、ちぎれちぎれの文が並べられているだけなので、物語としてはまったく頭に残らない。また同じことばかり言っているような印象が強い。異教徒を、とりわけユダヤ人やキリスト教徒、多神教徒を罵倒し、アッラー(神)を信じろというが、どうやったらこういう排他的な神を信じられるのかが不思議だ。

また、聖典と呼ばれる文書の内容がこうしたことではあまりありがたみを感じない。最後の訳者解説にはコーランの文体は人間離れしていて、あの独特の声と音色で聞くと実に厳かで格式高いもののように聞こえるらしい。だから、アラビア語で読んだり聞いたりするとちょっとは違うのかもしれない。ところで、イスラム教徒が仏典を読んでどう思うかが気になるところ。しかし、仏典も漢字がわからないと翻訳では意味不明かもしれない。

バス会社の窓口スタッフの3人のうちの2人は女性で1人は男。英語を解したのは女性のうちの1人。女性2人は窓口にいて客対応をしているのだが、男の方は怠け者なのか、そもそも窓口業務は担当じゃないのか、ぼくがいる待合室でベンチに横になってテレビを見たり、居眠りしたり。しかも、ぼくが本を読んでいるのに、自分が寝るために室内の電気を消すなど、客商売としてはありえないことをする。しかし、こんなんで暮らしていけるなんて気楽なもんだ。


なんとか4時間ちょっとの時間をつぶし、ようやくバスの発車時刻になる。オフィスの前に大型バスがやってきたのだが、これが想像していなかったおんぼろバス。14時前に乗車が始まり、適当に窓際の座席に座る。窓は一枚ガラスで開かず、かといって冷房は送風の音がするのみでほとんど機能していないから車内は暑い。けれどもいつもの癖でバスが走り出すと寝てしまう。

目が覚めるとバスは急傾斜の道をうなりながら走っていた。車窓からはきれいに作られた段々畑が見える。植わっているのは日本では見ない穀物や小麦。畑は細かく何段にも作られているので、りんごの皮を剥いた跡のように山に細い帯が何本も入っているように見える。

しばらく登っていくと、バスは渋滞にはまる。先の方まで車がつながっているので、事故のよう。道路は片道1車線の舗装道。これは数時間待ちとかになるかとも思ったが、30分ほど停車しただけで車は動き出す。

やはり事故だったようで、道路脇にトレーラーが積んできたらしい貨物車がひっくり返っていた。

バスはますます高度を上げ、景色からすると1000mは越えたよう。眼下に幾重にも連なる稜線が見える。
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さすがにここまで高くなると幾分涼しくなる。サナアまではあと約140km。

上り坂を登りきってしばらく行くと、見えてきたのが広大な盆地。広大と言っても山形の置賜盆地と比べれば小さい。4分の1程度か。パッチワーク状に色の濃度が違う畑が一面に広がっている。イエメンでこれだけの畑を平地にみるのは初めて。バスはその畑の間を走る。畑にはネギや小麦などが植えられていて、小麦はちょうど黄金色になっており、収穫間近。いくつかの畑では刈り取りをしている人もいた。見た範囲ではみな釜で刈り取っている。畑には男も女もおり、女の方は、目だけ出しているアバヤ(ブルカ)姿の人も多い。それ以外でも足首まである柄物のワンピースで畑仕事をしている。日本の昔ながらの野良着と比べるとずいぶんと動きにくそうなのだが、実際はどうなのだろう?
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一部では機械を使って籾すりらしきしている人もいた。

それから50m×10mほどの鶏舎も見る。開いていた窓から中が見えたのだが、平飼いで飼っているのは白のブロイラーっぽい。平飼いではあるものの遠目では地面があまり見えないくらいの密度で飼っている。

20分程度でその盆地は抜ける。日がだんだんと傾いてきて、やがて暮れてしまう。

それから2時間近くたったころ、小高い丘を越えると眼下にオレンジ色の明かりが一面に見える。やっとサナアかと思いきや、バスはそこを抜けてさらに走り続ける。

そしてしばらくして検問。バスの中に銃を持った若い一人の警官か軍人かが乗り込んでくる。その警官(としておく)は、ぼくを見るとパスポートの提示を求めてくる。そして、それを持ってバスから降りていく。隣に座っていたおじさんが、英語でその警官が付いてこいと言っていたというので、席を立とうとすると、さっきよりもやや年上らしい警官がまた乗り込んでくる。そしてどこから来たかと聞く。パスポートを渡してるんだから日本人ってわかるだろうに。パーミットを受け取るとその警官はまた降りていく。そして、さらに年輩の太っちょの警官が乗ってきて「ヤパーニー?」と一言だけ聞いてくる。なぜかぼくは反射的に「ウィ」とフランス語で答えてしまう。チェックはこれで終わり。ただ、これまでは返してくれていたのにパーミットの紙を警官に持って行かれてしまう。

そこから暗い中をさらに1時間ほど走った頃、オレンジ色の光がまた見えてくる。今度はさっきとはぜんぜん光の量が違う。今回は間違いなくサナア。

やがて前方にライトアップされた巨大なモスクが見える。規模だけならイスタンブールのブルーモスクに匹敵しそう。

バスはその近くのバス会社の駐車場で停車。てっきり旧市街のイエメン門まで行くものと思っていたのに、これまた予想外だった。タクシーの運転手の誘いを断り、駐車場前から乗り合いタクシーに乗る。タハリールまで行くのではなかったようで、乗り換えできる通りまで連れていってくれ、そこで乗り換えるように運転手から教えてもらう。

まわりの景色からサウジ大使館の近くだということがわかる。目的の宿まではここから歩けば30分程度か。ソニー専門店もある通りはどこも店が開いていて、レストランも人で賑わっている。やはり首都は違う。それに格段に涼しい。心地よい。

パトカーが違法駐車の車に注意しながら通りを走っていく。おお荷物だったにもかかわらず、すんなりとタハリール行きのタクシーに乗ることができる。乗客がほとんど降り、タハリール近くになった頃、運転手が●●(名前を忘れた)という食べ物をくれる。見た目はぶどうの房に南天の実がついているような感じで、もらったものは湯がかれてあった。サナアでもタイズでも路上で焼かれて売られているのは見ており、気になっていたのだが、食べるのは初めて。

食べてみると味はトウキビそっくり。ただ細かく一つ一つに竺(じく)がついているので食べにくい。

荷物で一人ぶんの座席をとっていたからと通常の2人ぶんの運賃40リアル(約20円)を払うと、運転手は間違っていると言うふうに20リアル返してくる。なかなか控えめな人だ。

歩いて宿に向かう。サナアにいたときに泊まっていた宿に行くと部屋はいっぱいだった。ただ、日本人で二人部屋に一人で泊まっている人がいるというので、そこと相部屋したらどうだと宿の人が提案してくる。

ちょうどその人がフロントに来たのでお願いする。これで一人700リアル(約350円)。安くてよろしい。

晩飯を食いに外に出る。ひよこ豆のスープの屋台でまずは立ち食い。塩味のひよこ豆のスープに酢漬けのきゅうりらしいものをトッピングしたスープは、その酸味がなかなか気持ちいい。

それから何軒か食堂をまわる。魚を出していたレストランは1000リアルだというので却下。結局、前にも一度行った店に行く。ジャガイモとタマネギ、ネギの炒め物と細長い直方体のパン2本、チャイ1杯で350リアル(約175円)。帰りがけにイエメン産のヨーグルトを買って帰る。

宿に戻ってからはシャワーを浴び、PDFの文書を読んだり、同部屋の人が帰ってきてからは旅話をして1時過ぎに就寝。

Fin

2009年10月23日金曜日

[diary]タイズからアデンへ移動

タイズからアデンへ移動

08/10/25(土) 曇り
[Taiz→Aden:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・犬の屍を越えてゆけ
・アデンのまち

5時すぎに起床。昨晩も涼しかった。しばらく書きもの。

雨が降っていたら明日にしようかと思っていたが、天気が良さそうなので今日アデンに移動することにする。

7時半頃、宿をチェックアウトしてバス会社と乗り合いタクシー乗り場がある地帯へ移動。下り坂を歩いて20分ほどでも行けたが、少しでも早く車を捕まえられればと、あえてミニバスに乗る。が、しかし、これが思いしもしなかったところで違う道に入ったため慌てて降りる。これはもう歩いた方がいいなと思い、歩く。

通り過ぎるミニバスの中からこちらを伺い見る視線多数。子どももアバヤ(ブルカ)を着た女性もちらちらとこちらを見ている。

まずはバス会社に行ってみたが、まだオフィスが開いていない。なので、バスはやめ乗り合いタクシーにする。

プジョーのライトバン。ちょうどもうすぐ満席という車があったのでそれに乗る。乗り込んだのが遅かったので、真ん中の座席に座ることになる。なかなか窮屈。助手席に2人、後部の前列に4人、後列に3人というのは通常通り。この間、下見に来たときは運賃600リアルと言い、別の乗客に聞いたときも600リアルと言っていたのに、料金係のおじさんは荷物があるからなどと理由を付け800リアル請求してくる。それを脇で見ていた乗客も苦笑いしているが、一緒に抗議をしたりはしてくれなかった。100円(200リアル)のために抗議し続けるのもアホらしいので、何度か抗議して相手が折れそうにないのを見てしぶしぶ800リアル払う。

すぐに満席になる。運転手はキーを回してエンジンをかけるのではなく、赤いコードと別のコードをつなげてエンジンをかける。運転席のハンドルの下はカバーがされておらず、内部の機械というか配線みたいなものがむき出しになっている。

運転手はクラクションをバンバン鳴らしながら飛ばす。例のごとくメーターのたぐいは動いていないからわからないが、おそらく時速80kmは出ている。もちろんそれだけのスピードが出せるのは路面がいいから。

検問が何カ所かあったが特にチェックされずに通過。

しばらく走ると車道の真ん中あたりに犬の死体が1体。ひかれてまだ時間がたっていない様子。その後、また犬の死体が車道に横たわっているのを見る。運転手はスピードを落とすことなく、その死体をまたぐ。するとまた10分もしないうちに2体の死体が道路脇に放置されているのを見る。それからまた10分もしないうちに反対車線に犬の死体を見る。などと走り出して1時間程度で10体の犬の死体を見る。イエメンの人は運転が荒いから、犬がいてもスピードを落とさないんだろうな、などと思う。それにしても殺しすぎだろ!

ときおりうとうとしつつ、外を眺め続ける。日本にはないが、イエメンではよく見る背の高い穀物が畑に植わっていて、ちょうど収穫している人たちも見る。また、その茎(というか藁?)はまとめられて、円錐形に畑の上で乾かしていたりする。それからイエメンではこれまでいっさい見なかった藁葺き屋根をこの沿道で初めて見る。上記の穀物の藁を使った円錐形の屋根で建物は煉瓦作りの円柱型。ただ通常の家と比べてとても小さかったから倉庫か何かかもしれない。

景色は変化が大きく、そこそこ緑が多い景観が続いた後、砂漠化しているところを通ったり、その砂漠化しているところからちょっと走るとまた麦などが植わっている畑が広がっていたり、さらに行くとイエメン特有のお菓子屋ばかり20軒くらいずらずらと並んでいたりといった具合。このお菓子屋ストリートが不思議で、その周辺はまちがあるわけではなく、小さな集落があるだけなのに、お菓子屋ばかりが並んでいた。なぜ?

ガイドブックによれば3時間はかかるとあったが、2時間足らずでアデンに入る。アデンの入り口の検問ではさすがにパスポートとパーミットのチェックがあった。

沿道に10階建て程度の建物が建ち並び、ホテルと書いてある看板も多数見る。なかなか大きなまちだ。

車はアデンの市街地から離れたシェイクオスマンというところに止まる。ここが終点。止まった一帯は各地への乗り合いタクシーが乗り付けるいわばターミナルになっている。

タクシーから降り、リュックを受け取り、宿探し。幸いなことに周りには数軒のホテルがあった。どれも5階建て以上で中には最近建てられたような新しいホテルもある。

まずはちょっと高そうだが、近くにあった宿に行く。英語で聞くがあまり通じず。値段を聞くと1泊3000リアル(約1500円)と言う。1500リアルにならないかと電卓叩いて訪ねるも苦笑いするだけ。アラビア語なのではっきりとはわからないが、どうもこのあたりの宿は3000リアルが普通で安くても2500リアルだと言うようなことを彼は言う。その宿は辞する。

それから次に近いホテルに行ってみる。ここもフロントは白いタイル張りできれい。聞くとここは2000リアル(約1000円)だと言う。1500リアルにはしてくれず。まぁ、1泊だけの予定だからいいかとここに宿を取ることにする。パスポートを取られ、宿泊代を徴収されてから部屋に案内される。

部屋はちょうど掃除中だったのだが、前の人が使ったシーツなどは取り替えずに、ちょっときれいに畳み直したりしただけでオッケーと言う。いや、オッケーじゃないんだけど・・・。たばこ臭いし。それでもそんなことはあまり気にしない性分のため、また掃除のおじさん(というかおじいさん)は良い人そうだったので、まぁいいかとオッケーを出す。

さて、荷物を部屋においてさっそくムカッラ行きのバス探し。乗り合いタクシーが集まっているところにいた二人のおじさんに以前チケットを買ったことがあるバス会社のチケットを見せ、この会社のオフィスはどこかと簡単なアラビア語で訪ねる。すると二人はいっせいに互いに違う方向を指さす。おいおい!

一方のおじさんが、いやこっちだろうというようなことを言って、それで決着がついたようだったので、そっちに行ってみる。が、予想通り10分歩いてもそれらしきものは見えない。道ばたの店の人に聞いても知らないよう。

しょうがないのでまた乗り合いタクシー乗り場に戻る。ここでムカッラ行きの乗り合いタクシーをチェック。あちこちに行く乗り場の一角がムカッラ行きで、その車だけランドクルーザー。車の近くにいたおじさんに聞くとムカッラまで2000リアル(約1000円)だと言う。

それからまたバス探し。乗り場前の通りで交通整理をしていた警官らしき人にバス会社の場所を尋ねる。するとその人は親切にあっちの方向だと教えてくれ、さらに最寄りまで行くバスまで案内してくれ、バスの運転手に何やらぼくを頼むというようなことを言っている。親切だなぁ。

運賃20リアル(約10円)で10分ほど乗った頃、沿道にバス会社のオフィスが並んでいる地帯に着く。運転手は車を止め、ここだと合図してくれる。

バス会社のオフィスは4つほどあった。まずは以前1回乗った会社のオフィスに行く。ここは英語が通じる。聞くとムカッラ行きのバスはないと言う。これは外国人は乗せないということなのか、それとも本当にバスがないのか、などと疑いつつ、どこでチケットが帰るか聞くと、道路の反対側にあるバス会社を指さす。

なのでその指さされたバス会社に行ってみるが、ここもバスはないと言う。そして隣に行けと言われ、そっちに行くとここではなかったのか、ここでもないと言われ、さらに数軒隣のバス会社に行くよう言われる。そしてそのバス会社に行ってみると、バスはあるようなのだが今日も明日もないというようなことを言う。アラビア語なので詳細がまったくわからない。とにかく今日も明日もないというのはわかった。これで乗り合いタクシーで行くことを決める。

というわけで乗り物探しはこれで終了。アデンのまちを見に行く。

ミニバスに乗ってまずはタワイという地区へ。埋め立てたのか、潮が引いて干潟になっている一帯を一本の舗装道路が走っている。ミニバスはその道を走る。干潟の中を歩いている人が2~3人。一人は洗濯をしている模様。

シェイクオスマンから20分ほどでタワイ地区に到着。運賃40リアル(約20円)。

沿道にはやや老朽化した6階建て程度のアパート兼商店のコンクリート製の建物がズラズラと並んでいる。イエメン独特の建物というわけでもないので、新味がない。
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ガイドブックによればここには大きな魚市場があるという。なので、バスを降りて港の方に行く。歩いていたら駄菓子屋の前に4人くらいで戯れている中学生男子がいた。その中の一人はぼくを見つけると「ジャッキーチェン」などと言ってカンフーのマネを始めたりする。ぼくが誰に対してということもなく、市場はどこと訪ねると、別の男子があっちの方と指さし、アラビア語でいろいろ言う。その間も例の少年はカンフーのマネをしていたのだが、それを見たその少年(道を教えてくれた少年)は、やめろというふうに彼の肩をつかんでやめさせようとする。

少年に教えてもらった方に行くと確かに海には近づいているのだが、立派な壁が建てられていて簡単には入れない。壁沿いに歩き港湾の入り口らしいところまで行く。すると、入り口にいた警備員の男が英語で「What do you want?」と聞いてくる。なので英語で魚市場に行きたいんだけどと言うと、あっちと指さし、アラビア語でなんだかんだと言う。指さした方は陸の方。あっちにあるわけないよなと思いつつ、しつこく探す気にもならなかったので、だまされたと思って指さされた方向に行く。

バスに乗って通った大きな通りを横断し、山手の方に行く。2本ほど入ったところはちょっとした市場的雰囲気の商店街になっていた。たしかに魚を売っている人は数人いる。が、魚の数は少ない。

魚市場はあきらめ、昼飯を食べる場所を探す。そのあたりにはいくつも食堂があったが、地元民の男たちでいっぱい。大通り沿いに行ってみると、けっこう客が入っている店を1軒発見。店の人が声をかけてきたので、そこに入る。料理名がわからないし、英語は通じないので、適当に周りの人が食べているものを指さし、注文する。料理が出てくるまでに隣の商店に行って水750mlを買う。

出てきたのはじゃがいもをメインにした炒め物と小さなスープ、パンなど。味はまずまずよろし。料金は220リアル(約110円)。
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腹が膨れたところでアデンで一番古く大きな地区のクレーター地区に向かう。ガイドブックにあるように地元の人はこの地区のことをアデンと呼んでいた。

ミニバスに乗ってアデンに向かう。山を登って下った反対側がアデン。幹線道路からアパートのような5階建て程度の建物が建て込んでいる地域にバスは入っていく。午後になったからか昼休みで閉まっている店が多い。

ちょうどネット屋があったので、調べものもあったので、しばしネットを拝見。そこそこ早い。室内は冷房も効いている。ここも客の入りはよく、30席ほどある座席は7割程度は埋まっている。基本は男の利用者。

1時間ほどしてから街に出る。碁盤状になっている中心街を歩く。コンパクトに店などが立ち並んでいるからだろうか、タイズよりもここの方が商業活動が活発そう。

やや海沿いの通りにはアルチュール・ランボーが暮らしていたという建物があり、今はホテルとして使われている。ただその1階部分は改装中なのか、それともただぼろくなったのが放置されたのか、廃墟のようになっている。
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一応、アラビア海を拝みに行く。その海辺には驚くことに遊園地があった。平日の午後ということでか、客はほとんどいない。まったくいないと言ってもいいくらい。そのすぐ近くは入り江になっていて、漁をするための舟が何隻も係留されている。

そこからまた歩いてランボーハウスに戻る。ランボーハウスの向かいにあるサッカー場では、これから試合が始まるらしく、大の男たちがいそいそと入場口に向かっている。

16時を過ぎた頃、中心市街地の店たちは昼休みを終え、商売を再開する。女性の洋服屋が並んだ通りや両替屋、お菓子問屋が並んだ通りなどをぶらぶら歩く。昼間とは違って人通りが多い。
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他のまち同様、店にいる店員もしくは店主らしき人は男ばかり。買い物をしている女性は見るが、こうした店で働いている女性はほとんど見ない。あとここが蒸し暑いためか、アバヤ(ブルカ)を着ていても顔を出している女性が相対的に多いように感じる。まぁ、多いと言っても全体の5~10%程度という感覚。

駄菓子屋には、お金を持っている子どもたち(金持ちというわけではなく、小遣いをもらえる子どもという程度の意味。もしかしたら自分で稼いだカネかもしれないけど)が一人で、あるいは友達連れで来ていて、それぞれいくらかするのか確かめながら手持ちの小銭の範囲内で、なんとか気に入ったお菓子を買おうと真剣に選んでいたりする。

また、裏道のような幅1m程度の通りにも店は並んでいて、そこで物乞いをしている女性たちがいたりもする。しかし、サナアもタイズもそうだったが、国内有数の都市のわりには、その数は少ないように感じる。ここで見かけたのは全部で20人足らずか。ただ、女性が多く(全体の7割程度という印象)、しかも1~3歳くらいの小さな子どもを抱えている人も少なくなくないのはどのまちにも共通しているように思う。

中心部を歩いていてもヨーロッパ系や日本人など外国人旅行者に会うことはほとんどない。この日見たのは欧米人カップル1組のみ。

市場周りにはカート売りや果物屋、冠婚葬祭用らしい花の首飾りを売る人たちがいる。果物屋でバナナを買ってみる。バナナはイエメン産のバナナのようで、それらしきことが彼らが持っている箱に書かれている。イエメンでもバナナが栽培されているとは予想外だった。日本で一般に売られているバナナと比べれば小さいが味は似ている。1kgが100リアル(約50円)。安い。
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18時を過ぎて日が暮れ始めた頃、バス(マイクロバス)に乗って宿があるシェイクオスマンに戻る。

来るときは干潮で水がなかった海はすっかり海らしくなっていて、干潟はほぼすべて水の下に消えていた。幅1mほどある中央分離帯では、漁で使ったらしい大きな網を男2人が向き合って畳んでいる。他にも歩道から釣り糸を垂れて魚が食いつくのを待っている少年が3人。

宿近くまで来たとき、沿道にインターナショナルなんとかと書いてある小型のショッピングモールのような建物を発見。バスから降りて行ってみる。敷地8畳程度の店がたくさん入った3階建てのモールで、入っている店は金を中心にした宝石・アクセサリー屋と香水や化粧品を売る店、ドレス系などの女性服を売る店ばかり。アバヤ(ブルカ)を着た女性たちが買い物に来ている。1階だけ見て出る。

その向かいにはわりと大きなスーパーマーケットがあったので、そこにも行ってみる。商品はふんだんにあって、客も多い。冷蔵庫も冷凍庫もちゃんと動いている。コーヒーが売っている棚を見に行ってみたが、やはりここも棚の7~8割程度がネスカフェ。イエメン産のモカコーヒーなどは下の方の棚に並べられているだけ。なお紅茶の棚はリプトンが目立つ。他に高級そうな紅茶も売っていて、これはイギリス製。
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ここでは水だけ買って出る。

そのまま宿に帰ろうと思ったところ、たくさんの人通りがある通りが目に入る。晩飯のこともあるので、そちらに行ってみる。

その通りの辺りは食堂などの商店の他公設らしい野菜市場があり、通りは露店だらけ。露店と言ってもテントのようなものがあるわけではなく、シートの上に商品を並べているだけ。あとは商品が見えるようだいだいみな石油ランプのようなものを持っている。中には懐中電灯で商品を照らしている人も。
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シャツやズボン、靴下、ニット帽、時計、電池、果物、野菜、魚、お菓子などなどいろんなものが道ばたで売られている。日本の感覚で言えば、縁日の屋台通りのような雰囲気。

この時間(日暮れ後の19時頃)に魚をこうして売っているのは珍しい。アジや鰯、鰹のような魚に混じって小型の鮫もいた。それを見て、もしやここでは鮫が食べられるかと思い、辺りにある食堂に行って、鮫を写した写真を見せ、これが食えないかと訪ねる。するとそこの店の人は首を横に振り、他の見せに行くような仕草をする。親切にもアラビア語で紙に、なにやら書いてくれて、これを見せて回れみたいなことを言う。

何が書かれているのかわからなかったが、その紙を持って1軒、2軒と食堂をまわってみるが、回った範囲では鮫を出す店はなかった。しょうがないので、それはあきらめ、イエメン定番のぐつぐつ煮込んだ鍋を食う。

腹が膨れ、一帯を一通りまわったのち、宿に戻る。昼間は暑かったものの、この時間にはだいぶしのぎやすい気温になっていた。部屋には扇風機があったので、それを付ければ十分涼しい。

水のシャワーを浴びた後は、読んだり書いたりして寝る。

Fin

[diary]モカへ

モカへ

08/10/24(金) 曇り、雨
[Taiz←→Mokha:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

5時過ぎに起床。昨日の様子ではモカ行きの乗り合いタクシーはいつ出るかわからなかったので、少しでも早く行って早く帰って来ようと思い、6時前に宿を出る。

歩いていたらちょうど4番のバス(軽ワゴン)が来る。昨日の下見で4番のミニバスがモカ行きのタクシー乗り場に行くのがわかっていたのでそれに乗る。休日の金曜日の早朝とうことでミニバスは走っていないんじゃないかと思っていたが、案外走っていた。客もそこそこいる。この時間なのに食堂はもう開いていて、そこでチャイを飲んでいる人たちも車窓から見える。

バスに乗ったはいいが、どうも昨日乗った時に見た景色と違う。方角の目安になる高台にある宮殿も見えない。20分ほど乗って、路上市場につく。そこで降りてみるが、明らかに昨日とは違う場所。別のミニバスに乗って中心部に戻る。

中心部でバスを乗り換える。ここでわかったが、どうも番号ではなく、色を間違っていたようだった。町を走っているミニバスにはモスクを象(かたど)った背景にアラビア数字が書かれたシールがフロントに張られているのだが、数字の他にモスクの色も路線の違いを表しているようだった。さっき乗ったミニバスは青のモスクの4番だったが、モカ行きのタクシー乗り場に行くのは赤のモスクの4番だった。

今度は間違いなく赤の4番に乗る。15分ほどで乗り場に到着。結局宿を出てから1時間近くかかってしまった。

乗り場周辺はちょっとした市場になっていて、道路脇のスペースに露店が並んでいる。三輪に改造された猫車を使った移動式の露店も多数。果物ではバナナやスイカ(長いものと丸いものあり)、パパイヤ、リンゴ、みかん、ぶどうが目立つ。野菜はニラ、ネギ、キャベツ、じゃがいも、かぼちゃ、人参(小さい)、大根(小さい)など。また、キュウリを売っている露店もあり。その他、砂糖に色を付けて固めたすごく甘そうなアラビア菓子、ゆで卵売り、じゃがいもサンド屋などもあり。もちろん、カートも売っている。

モカ行きの乗り合いタクシーはすぐに見つかったのだが、昨日同様客がいない。1人もいない。タクシーの運転手のおじさん(白髪、白髭)がここで待てと言うので、一応座席に手荷物を置き、席を確保した上で近くの食堂で朝飯にする。焼きたての薄く平べったく丸い(直径50cmほど)パン1枚にミルク入りチャイ1杯。チャイは甘い。しょうがの味はなし。それぞれ30リアル(約15円)。

アラビア語の本などを見ながら待つ。今朝は曇っており、やや湿気ている。もしかしたら雨が降るかもしれない。

朝食後、車にもたれかかってまた本を読む。するとそこへアバヤ(ブルカ)を来た女性が3人(親子?姉妹?)やってきて、アラビア語で何やら言いながら手のひらを差しだしてくる。カネをくれということらしい。が、あいにくなことにさっきの朝食でコインを使ってしまったため細かいものがなかった。そのため身振り手振りでないことを表すのだが、なかなかしつこく数分の間、相手をすることになった。エチオピアと違ってお札は最低でも25円(エチオピアの場合は1ブル札=約10円があった)もするので、ちょっとそれは喜捨するには大きい。しばらく我慢比べで結局あきらめてもらう。

しかし、今度はひょろひょろの白髪、白髭のおじいさんがやってきて、ぼくの腕をポンポンと叩いてやはりカネをせがんでくる。これもないと無視していたのだが、このおじいさんの方がしつこく、5分以上たってもそばを離れない。結局、ぼくの方が折れ、ゆで卵売りの少年が来たところでそれを1個買い(30リアル=約15円)、その卵と10リアルを喜捨する。おじいさんはにこりともせず、またありがとうとも言わずに受け取ったらそそくさと去って行ってしまった。う~ん、びみょ~。

待つこと1時間。8時になった。客はまだ1人も増えていない。これはまだまだ出るのは先だなと思っていたところへ、運転手のおじさんがやってきて、「ノーパーソン」と手を振り、こっちに来いという仕草をする。

おじさんに着いていく。反対側の車線には別の方面行きの乗り合いタクシーがあって、どうもそっちに相乗りするよう運転手が話をつけたよう。こっちの車には既に5~6人客がいて、もう少しで満席というところだった。運賃を聞くと1000リアル(約500円)と言う。昨日聞いたときはモカまで500リアルと言っていたのに話が違う。なので500じゃないのかと聞くが1000というので、じゃあ乗らないと車から離れようとすると引き留められる。500で良いと言い出したので乗り込むが、乗り込んでから700だと言い出す。よくあるパターン。

ぼくとおっさんたちのやりとりを見ていたらしい別の乗客が500だろと抗議してくれるが、700から下がらず、その客も700はまぁ良い値段だというようなことを言うので、それで手を打つ。

結局、車は助手席に2人、後部の前列に4人、後部の後列に3人乗せて発車。8時半前だった。

15分も走ると検問ポイントに到着。ライフル銃を持っている警察?軍人?と顔が合わないようにと隠れ気味に座っていたのだが、ちゃんと車の窓から中をのぞき込まれたため、すぐに発見され、パスポートとパーミットを見せるよう言われる。見せると何も言わずに返してくれる。ただ扱いが雑でパーミットの紙は丈夫な紙でもないのに、渡したときの形にちゃんと折り畳まずに適当にくしゃくしゃと握って返してくる。それらは窓に近い乗客を経由してぼくのところに戻ってきたのだが、その経由した乗客の人は、パーミットを元のようにちゃんと折り畳んでからぼくに手渡した。ありがたい心遣い。警察も見習え!

その後は、順調に走る。車線も引かれている舗装道路を車はかなりのスピードで走る。速度メーターが壊れているからわからないが、おそらく時速100kmは出ている。快調な走りのおかげか眠くなり、うとうととまどろみ始める。移動の車の中で寝るのはもはや習慣、いや反射になってしまった感がある。

休日の金曜日であるにもかかわらず、途中通った町では平日と変わらないような市が開かれていた。人出も多い。

また途中には炭焼きをやっている人たちの姿も見え、道ばたには薪炭が積み上げられ売られていた。

標高が下がっていくほどに荒涼とした景色になる。半土漠で畑にも放牧にも使われていないらしい土地が両サイドに広がる。相変わらず空は曇っている。

検問がもう1度あり、やはりここでもパスポートとパーミットを見せる。

9時45分、モカに到着。タイズからは2時間足らず。思ったより近かった。

モカの町はとても小さかった。ここで暮らしているのは、おそらくせいぜい数千人くらいだろう。屋根もない廃墟ばかりが目立つ。道路も舗装されている道路の方が少ない。あたりはずっと先まで平たく、コーヒーが植えられていそうな山も見えない。
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海の方に行ってみる。砂浜にはボートが何隻も係留されていて、右の方には魚市場らしい建物が見えた。そちらに行ってみる。
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砂浜には珊瑚や魚の頭、しっぽ、ペットボトルなどのゴミなどが落ちていてとてもきれいとは言えない状態。けれど海の方は、空が曇っているにもかかわらずエメラルドグリーンの色をしている。男の子たちが海の中ではしゃぎまわっているのが見える。

魚市場に行ってみたが、競りはすでに終わったようで、床に水をまき、掃除をしているところだった。建物の周りには男たちが30人ほどいて、めいめいおしゃべりしたりなんたりしている。行くとみなの視線がこちらに集まるのを感じる。

建物の中に入ってみるとわずかに魚がいた。床に並べられていたのは小型の鮫。鰭(ひれ)だけ切り取られた状態で置かれている。全部で10匹(頭)ほど。細かな牙を見せたまま寝ころんでいる。

近くにいたおじさんに写真を撮って良いかと訪ねるとOKが出たので鮫の写真を撮る。そしたらそのおじさんは袋の中から鰭(ひれ)を取り出して見せる。ここでようやくこれがフカヒレで中国に持って行かれるのかとわかる。アラビア語での会話のためまったくと言っていいほどわからなかったが、どうも中国に行くことは間違いないよう。
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その後、反対側の浜にも行くが、めぼしいものはなく、ボートと水遊びしている男の子を見ただけ。ジプチからの船が泊まるらしい港も遠くに見えたが、そこまでは行く気がせず。

廃墟街に戻り、タクシーを降りた場所にあった市場に行く。バスケットコート2面程度の小さな市場で食料雑貨屋や八百屋などが並んでいる。魚も売られているが、まわりは蠅がすごい。

コーヒーの姿を探すが、食料雑貨屋にも見あたらなかった。どうやらモカコーヒーを見るには自分で車をチャーターしてコーヒー農園まで行かないと見られないようだ。

写真を撮りながら歩いていると通りすがりのバイクに乗ったあんちゃんが写真を撮ってくれと寄ってくる。そんな感じでモカ市民数名の写真を撮る。

結局1時間ほどで飽きてしまい、また歩ける範囲では歩いてしまったので、またタクシーに乗って帰ることにする。それにしてもここまで過去の面影がないとは。と言ってももう100年以上も前の話だからしょうがないけど。

11時過ぎ、また乗り合いタクシーに乗ってタイズに戻る。今度は500リアル(約250円)。交渉も必要なし。

空は一段と暗くなってきていて、もう夕方ではないかと思えるほど。走り出して30分ほどで雨がぱらつき出す。だんだんと雨の勢いが強くなるが、運転手はなぜかワイパーを動かさない。もしや動かさないのではなく、動かないのではと思っていたら、その通りだった。

いよいよ雨は強くなり、雷が鳴り、稲光が空に走る。フロントガラスは滝のようになり、前が見えなくなる。それでも運転手は車を止めない。さすがに不安になったのか、座席に深く腰掛けていた隣の客は起き上がり、なにやら運転手に行っている。車線がわずかに見えるからまだ道路のどのあたりを走っているかわかるが、車線がなければ本当に危ない。

ヘッドライトをつけた車とすれ違う。なかなか危険だ。そんな乗客の不安を察知してか、車は突然空回りするようなエンジン音を発した後で、止まる。えらい!運転手より車の方が状況判断がしっかりできているようだ。運転手は両手を天に向け、肩をすくめてみせる。しばらく道路脇で停車。運転手は何度かエンジンをかけようとするが、かからない。

良かったと思い、しばらく雨が弱まるのを待つ。30分ほど待っただろうか、やや雨の勢いが弱ったところで運転手がエンジンをかける。1度目はかからず4度目くらいでかかった。

再びワイパーが動かないまま車は走り出す。沿道を見ると、モカに行くときには水が流れている気配などまったくなかったところに即席の川ができている。濁った水が勢いよく流れている。山にも大地にも緑がないから、降った雨が一気に流れ出ているのだろう。

雨はその後は強くなることなく、タイズに近づくに連れ、あがっていった。

13時前にタイズに到着。小雨はまだパラツいている。ここでも大雨が降ったらしく、細い水が道の端を勢いよく流れている。しかし、商店などは通常営業。露店もシートなどで雨よけをしながら商売を続けている。

宿に戻るまでに靴はびしょびしょ。空は相変わらずどんよりしているので、午後に行こうかと思っていたイッブに行くのはやめ、宿で休憩後、ネット屋などをまわるなどして過ごす。

なお、宿の近くで名探偵コナンを発見。こんなところで出会うとは。
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Fin

2009年10月20日火曜日

[diary]タイズをぶらり

タイズをぶらり

08/10/23(木) 晴れ
[Taizu:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

目が覚めたのは明け方の5時。しばらく部屋で書き物をする。

10時ごろ、宿を出て、宿前の細い路地を下っていき、幹線道路に出る。角を左に折れて街中の方へと歩く。まだ開店時間には早いようで通り沿いにある店は閉まったまま。

辺りを見渡せばここタイズの中心部はちょっとした谷間になっていることがわかる。小高い山に挟まれているのだが、いずれも緑はなく地肌がむき出しになっている。人家はその山の中腹辺りまで建っている。サナアの旧市街と同じく建物の色はほとんど同じだから統一感はあるが、ところどころ瓦礫となっているところもあってなんだか全体的にまちが老朽化しているように見えてしまう。

15分ほど坂を下っていくと中心部に出た。分厚い鉄板で作られた店の扉がところどころ開いている。靴屋や女性向けの服屋、アクセサリー屋や日用品店などが隙間なく軒を連ねている。そうした店に加えて露店も路上に姿を見るようになる。こちらもまだ商売の時間ではないようで、まだブルーシートに覆われている。

そこから100mほど歩くと門にたどり着いた。年季の入った壊れかけの門。これがスーク(市場)の入り口らしい。
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さすがにスークだけあって、ここらは人でいっぱい。頭にターバン、上はジャケットで下は足首まである腰巻というスタイルのおじさんやジーパンにシャツという日本と変わらない格好をした若い男たち、それから頭の先から足元まで黒のアバヤで覆った女性たちが各々買い物に精を出している。

売られているのはバナナやブドウなどの果物のほか、チーズやパン、服、ターバン、調味料、香辛料などとにかくいろいろ。
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例のごとくスークの中の道はくねくねと曲がっており、どこがどうつながっているのかわからない。先が見えない道を歩くのは楽しいので、入り組んだ道をふらふらと歩いてまわる。細い路地にはパン焼き工房や小さな食堂があったり、ブリキのような金属を使った加工屋などもあったりする。

ガイドブックによればスークの西側の山の上の方に城のような建物があるらしい。高いところからまちを眺めるのも乙かと思い、スークを離れて適当に坂道を登っていく。あたりはまったくの住宅街で四角い家が沿道に並んでいる。道幅は3mほど。車やバイクが行き交う。歩いてると小学生くらいの子どもたちと遭遇。カメラを手に持っていたからか「スーラー」と写真をせがまれたので写真撮影。写真を撮ると子どもたちは散っていく。
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まちが一望できる程度の高さまで上ってきたものの、目的の城とやらはどこにあるかさっぱりわからない。まぁ、特に行きたかったというわけでもないので城はやめてしばらくまちを見下ろしたら、また適当に歩いて街の方へと下る。
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街へと下ってから乗り合いタクシーの乗り場を探しに行く。明日はモカコーヒーの名前の由来でもあるモカのまちに行くつもりなので、そこへ行くタクシーを今日のうちに見つけておかなければいけない。

ガイドブックに大まかな乗り場までの行き方は乗っていたので、それに従って探す。まずは幹線道路に出て道行くライトバン型のミニバスを捕まえる。乗り込む前にモカに行きたいんだが、と片言アラビア語で伝える。乗れという合図があったミニバスに乗り込む。

ミニバスは下り道を行く。しばらく乗ると沿道が賑やかになる。小さな市場のようになっている場所があり、そこは人でいっぱい。その様子を車窓から眺めていたら、そこを通り過ぎてから1分ほどでミニバスは停車。ここが終点らしい。運転手にモカ行きのタクシー乗り場を聞くと、あそこだと指差して教えてくれる。運賃を払おうとしたら、なぜか一緒に乗っていた客がぼくのぶんも出してくれる。これでバス代をごちになるのは2度目。ありがたや。

と、突然雨が降り出す。それほど強くはないが小雨というには大粒の雨。すぐにびしょ濡れになるというほどではなかったので、そのまま歩いてタクシー乗り場の方へと行く。そこには路肩にセダンタイプの車が数台停まっていて、運転手らしきおじさんたちが手持ち無沙汰そうにあたりでおしゃべりしていたりする。車に近づいていくと一人のおじさんがやってきたので、その人にモカに行きたいのだがとまた片言アラビア語で聞く。するとここではなかったらしく、あっちに行けと指差して教えてくれる。

指差した方は道路を挟んで反対側。そこにも同じように車が停まっていた。そこに行ってみるが、今度は運転手らしき人がいない。しょうがないのですぐ目の前にあった食堂の人にモカに行きたいんだがと伝えると、その車だ、と言うように指さす。

あたりを見回しているとしばらくして一人のおじさんがやってくる。「モカ?」と車を指差しながらおじさんに聞くと、そうだと言うように頷く。そして、乗れというような仕草をする。ぼくはそれを遮って明日行くんだと伝え、運賃がいくらかだけを聞く。おじさんによればモカまでは500レアル(約220円)で行けるらしい。

とりあえず用事は済んだので、近所で腹ごしらえ。路上で鶏モツを売っている露店やきゅうりを売っている露店があったので、そこでちょっとつまみ食い。鶏モツは例のように茹で上がったレバーや心臓や砂肝などが平皿にざっくばらんに置かれており、それを唐辛子などが入っている香辛料の粉につけて食べる。代金は後払いの自己申告制。1粒50レアル(約25円)程度。それからきゅうりは、直径3~5cmくらいある太目のものが売られていた。皮は適当に削られており、縦に従事に切れ目が入れられた状態で、塩水らしきものがかかっている。15cmほどの長さのものが一本20レアル(約10円)だった。
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またミニバスに乗って中心部へ戻る。ミニバス代は20レアル(約10円)。適当なところで降りたら、そこの路上でスイカを切り売りしているおじさんがいたのでスイカをくらふ。スイカは細い切れ端が1つ10レアル(約5円)。そこから歩いてさっきも行った市場にまた行く。

歩いていたらだんだんと道路に水が増えてくる。さっきの雨はたいして強くなかったのだが、排水路がきちんとできていないのか、車道と歩道の段差の部分に水が集まり、一筋の流れを作ってしまっている。当然、路上で商売している人はやりにくい。ある人はズボンの、というか、腰巻のすそをすねくらいまで上げた格好で商売している。また歩道にまで商品を張り出して陳列している店がわりと多いのだが、こうした店もビニールシートみたいなものをかけたりして、商品がぬれるのを防いでいる。

お昼も近くなってきたので、適当に通りがかった店で昼飯にする。昼飯は細長い長粒米の米とあまり辛くないカレーのようなものを食べる。御代は200レアル(約100円)。お店はけっこう繁盛していて人がひっきりなしに入る。
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それからまた市場周辺をふらふら歩く。歩いていたら「Hello!」と声をかけて人がちらほら。もちろん声をかけてくるのは男ばかりである。

適当なところで宿へと向かう。

それから、モカに行った後、明後日にはここからアデンに行く予定なのでアデン行きのバスが出ている場所を探しに行く。これもガイドブックを参照しながら探す。意外に宿から近いところにバス乗り場とタクシー乗り場がったので、そこでそれぞれ料金を聞く。料金は大差がない。ただバスの方が出発時間が決まっているし、車内は禁煙だから気持ちよく予定をたてて移動することができる。問題は本数が少ないことだが、とりあえずはバスで行くことを前提に予定を立てることにする。

その後、近所のネット屋でネットを見たり、あたりをふらついてから宿に戻る。そして明日モカに行く準備をしてから就寝。

Fin

2009年10月8日木曜日

[diary]ホデイダからタイズへ

ホデイダからタイズへ

08/10/22(水) 晴れ
[Hodeidah→Taizu:Yemen]
※レート:1米ドル=200イエメンレアル、1ユーロ=270イエメンレアル

・魚市場へ
・ホデイダの旧市街
・ホデイダからタイズへ

6時前に起床。エアコンもあったが、扇風機だけで十分涼しかった。昨晩洗濯した靴下などもちゃんと乾いている。

7時前に宿を出て魚市場を見に行く。ある情報では6時頃行くのがベストとあったのだが、そこまでの気力はなかった。

宿の裏手の通りには大きな布地をすっぱりかぶって寝ている人が10人ほど。まだ開いていない商店街を歩き、紅海を目指す。7時になったばかりというのに、いくつかの食堂的カフェは開いていて例の揚げパンのようなものを揚げている。そうしたパンとチャイを食べている人たちの姿も多い。ちなみに男ばかり。

登校中の子どもたちは、ぼくを見つけるとしばらくこちらを凝視しながら歩く。みな制服を来ていて、女の子は黒ではなく、地味なカーキ色のブルカを来ている。小さな女の子(6~8歳)は髪の毛を出している子も多い。『歩き方』にはここでは色鮮やかな民族衣装がみれるなんてあったが、そんなものを着ている人は見ない。サナアと同じく黒のブルカを頭から足の先まで着ている人の方が多い。

魚市場には20分ほどで到着。アラビア語に並んで英語でそれと書いている看板が入り口の門の脇にあり、通りを挟んで向かいは露店街になっていた。

門を入ると右手奥に屋根が見える。まずはそちらに行く。屋根の下はコンクリートの打ちっ放しの床。排水設備は整備されていて、わりと清潔だった。さすがにピークは過ぎたのか思ったよりも人も魚も少ない。

プラスチックケースに魚が陳列され、一部では大勢が集まり、品の競り合い、取り合いになっている。が、全体的には落ち着いた雰囲気。ここでも親がここにいるのか、少年たちが働いていて、魚を運んだりしていた。
送信者 yemen


鰯やあじらしき魚、飛び魚のような細長い魚、かつおなどいわゆる光もの系が多い。一部赤鯛のような魚もあり。エイやヒラメのような平べったくでかい魚もあり。さらに鮫も。頭がT字になっている鮫も1匹(尾?)売られていた。
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貝や蟹、いか、タコは屋根の下では見ることはなかったが、いかは屋根の外で一人のおじさんだけが売っていた。おじさんの手は墨で真っ黒。
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市場を歩いているとどこから来たのかとアラビア語で聞かれる。5~6人の人に聞かれる。この地の観光地ということでか、すぐに日本人とわかる人もいたが、基本的には中国人か韓国人かと聞かれ、日本人だというと珍しそうな反応をする人が多かった。

敷地の一角にはバラック的な食堂があり、そこで魚をさばいていたので魚が食べられるかと思い、店主に聞いてみたがまだ準備中のようで食べることはできず。

市場の脇では揚げ物を売っているおじさんたちがいたので、朝飯代わりに食べてみる。一つはお好み焼き的なものでニラが混ざった揚げ物。1つは小さなジャガイモを揚げたもので、なぜかこれの”がわ”は赤かった。それぞれ揚げ物は1個10リアル(約5円)。大きさは親指と人差し指で円を作った程度と小さい。タレが3種類ほど用意されているのでそれに浸けて食べる。まぁまぁうまい。

食べていたら英語のできるおじさんが話しかけてくる。日本から来たというと日本人は「goo」だと言う。さらにぼくが揚げ物をパクパク食べているのを見て、油ものだし、タレは辛いから朝食としてはあまり腹によくないから食べるならちょっとだけにした方がいいと忠告してくる。

計6個食べて腰を上げるとそのおじさんは飲み物がいるだろうと自分の屋台に行き、飲み物を売りつけようとするので、「ラー、ラー(No,no)」と言って断る。

魚が食べてみたかったので、市場を出て向かいにあった食堂に行ってみる。店の人は冷蔵庫を見せ、どの魚がいいかと言ってくる。赤鯛のようなものを指さすと700リアル(約350円)だというので、やめ石鯛のような冴えない色の魚500リアル(約250円)を頼む。

しばらくして料理が運ばれてくる。出てきたのは焼き魚とホブズ(ナンのようなパン)だけ。魚は唐辛子ソースを塗って焼かれたようで赤みがかっている。鱗も取らずに焼いており、皮は黒こげ。身を食べてみるが、可もなく不可もなく。ホブズは直径60cm以上あってでかい。焼きたてはうまいのだが、冷えると堅くなってあまりよろしくない。
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ホブズ代込みで500リアルかと思っていたところ、代金を払うときにホブズ代として70リアル(約30円)徴収される。やっぱり魚は高い。

その後、旧市街をふらつきながら帰る。サナアと違ってコンクリート作りの味気ない建物が多い。が、通りは入り組んでいて、これはアラビア的。

ここでもやはり小さな子どもたちがぼくを見つけると、いったんは逃げ、友達を呼んでもう一度見に来る。

街角の写真を撮っていたら6歳前後の少年3人が「スーラ」と言って写真をせがんでくるので記念撮影。さらに一緒にあるいていた姉弟も最初は断ったのだが、その様子を見てか、撮ってほしいというので記念撮影。
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さらに途中で出会ったおじさん(60代後半)も撮ってくれというので、子どもらと一緒に撮影。

子どもらと別れて歩いていたら、後ろから来た若い男が声をかけてきて、アラビア語で何か言いながら自分が持っていた三角包みの揚げ物を1個くれる。じゃがいもとキャベツを炒めたものが入っていてなかなかうまい。イエメンではこうした通りすがりに何かをもらうということが多い。初日にはジュースを2杯おごってもらったし、昨日は同じ車に乗っていた人にチャイをもらったし、今日はこれだし。

歩いていたらミニマーケットのような広場にでる。
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そこでスモークチーズをおじさんが売っていたので、1かけら買う。20リアル(約10円)。見た目は外側がスモークチーズそのものの色で内側はカマンベール的。さっそく食べて見ると、水気が多く、口の中に水分があふれる。しかも、めちゃくちゃ塩辛い。塩辛並みにからい。思わず顔をしかめる。これはパンか何かと食べないと、とてもじゃないがチーズだけで食べるには塩分がきつすぎる。
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商店街を抜け、スーパーで水を買う。レジにいた商店主らしい男性はぼくに出身を英語で聞いてくる。日本人だと応えると日本人は「good」だと言う。聞くとここでは中国人、韓国人、フィリピン人、インド人(たくさんいる)は見るが日本人は見ないと言う。そして、この店に来た日本人はぼくが初めてだと言う。それからぼくに名前を聞いてきて、さらに自分の名前を名乗る。彼の名前はモハメッド。モハメッドという名前の男は、イエメンに来てからもう3人目くらいになる。

それから宿に戻り、12時まで昼寝をしたりして過ごす。

12時に宿をチェックアウトし、バス会社へ移動。待っている間ちょっとだけ『コーラン』を読む。ここでもおじさん2人が話しかけてくる。アラビア語なので出身の話くらいしかわからない。アラビア語ができればきっとイエメンはもっと面白いだろうに、とどこででも思うことをまた思う。

バスは13時と聞いていたのだが、実際に出発したのは13時半頃。座席は勝手に座っていいスタイル。眠くなり寝てしまう。

目が覚めるとだだっ広い平地をバスは走っていた。土漠のような木がちょろちょろっと生えている以外は不毛の大地。かと思うと突然何か穀物らしきものが植わっている畑が現れる。この水の少ない地域で長年農業を続けてきた技術の中にはアフリカでも使える技術があるのではとふと思う。

やがて山肌を露出した峻険な山々が左手に現れ、さらに行くと両脇が山になる。
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車内ではエジプト映画(と思われる)が上映されているのだが、これがエジプトと中国を舞台にしたドタバタのコメディ。鞭髪(べんぱつ:漢字が違うような)の髪型をしたカンフー使いが出てきたりする。

途中、いくつかの町や集落を経由して17時頃、目的地のタイズに到着。バス自体はまだ先のアデン行きだったため、ここで降りたのはぼくを含め2人だけ。しかも、自分で気づかなければ乗り過ごすところだった。大きなまちに入ったなと思ったので、隣のおじさんに「タイズ?」と聞いたところそこだと判明。運転手にも添乗員にも最初に荷物を預けるときにタイズだと伝えていたのだが、まったく覚えていなかった。

さて、バスを降りたのだが、バスはターミナルなどではなく、ただの道ばたで停まったので、ここが町のどのへんなのかわからない。あたりの雰囲気から中心部ではないことは確か。すぐ近くに新しそうなホテルがあったので、とりあえずそこに行ってみる。値段を聞くと1泊2000リアル(約1000円)。1泊だけなら泊まるのだが、ここには3泊ほどの予定なので、もっと安いところがいい。

道路にかかる看板はアラビア文字オンリーなので、ガイドブックの地図と照らし合わせることもできない。しょうがないので、だいたいの勘で安宿があるという方向に向かって歩く。

大きな通りまで行き、その通り沿いに歩く。その通りは交通量も多く、店も建ち並んでおり、幹線道路であることは間違いなかった。とりあえず地図にあるスーク(市場)に行こうと人にスークの方向を聞いて、そちらの方面に歩く。

タイズは標高が高いのでホデイダのように暑くはないのだが、一方で坂が多い。おかげで20分も歩けば汗が滴り落ちてくる。スークもなかなか現れない。

そこへまたひとつホテルがあったので、そこに入って値段を聞く。1泊3000リアル(約1500円)。さっきより高い。断り出ようとしたらいくらなら出せるかというので1500リアル(約800円)と言うと、部屋を案内してくれる。なんとエレベーターがあり、それで3階に行く。部屋に入ってみると、どうもリニューアル中の部屋でベッドは木の外枠だけで布団がない。テレビがないのはいいとしてもベッドに布団がないのはちょっとなぁ。寝袋があるからそれを使う手もあるが、それだとすれば1500は高い。ってなことで、結局、ここも却下。

さらに歩く。上り坂を前傾姿勢になりながら上る。だんだん日が暮れてくる。未だに地図上のどこにいるのかがわからない。当てもなく、とにかく歩いているとイエメニア航空を発見!たしかこれは地図に載っていたと思い、見てみると安宿街はすぐ近くだと判明。そこから歩いて5分足らずで目的の宿に到着。フロントに行くと、なぜか非常に歓待してくれる。英語は通じなかったが、2つのベッドがある部屋で1000リアル(約500円)だと言う。扇風機などはないが、トイレ、シャワー、テレビ付き。窓もあるのでそれで手を打つ。

パスポートを一時取られ、彼らはデータページとイエメンビザのページをコピーして後、返してくれる。

荷物を置いて外にでる。宿のあたりも商店街になっていて、服屋や電話屋、食料雑貨屋、八百屋などがあった。イエメニアがあった大きいとおりまで行くとネット屋も3軒ほどあり。食堂も10軒ほどあったので、そのうち声をかけてきた店で飯を食う。豆の煮込みとホブズで200リアル(約100円)。イエメンでは最安値の食事となる。それにしても魚がつくとこの3倍にもなるなんて、ぼられているようにしか思えない。
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8時を過ぎても店は開いていて、人通りも多い。帰り道、みかんを売っていた若い男からみかんを買う。夏みかんのようなもの2個で150リアル(約80円)。輸入品だからなのか高いような気がする。

宿に戻ってからはのんびりして寝る。

Fin