2009年4月26日日曜日

[速報]上海(中国)いり

昨日、4/25の夕方上海につきました。
ここが最後の町となります。

上海は来年万博(だっけな?)があるということで、あちこちで工事が進められています。宿代はほかの都市の倍ですが、食事は相変わらず50〜100円程度でけっこう食べられるという程度の物価ですね。

4/28上海発の船に乗って日本に向かいます。
日本到着は30日になります。

1年のつもりが結局1年と3カ月の旅になりました。
あと数日でこれも終わりです。



というわけで、また。

2009.4.26 07;34
上海,中国

2009年4月22日水曜日

[速報]フエ(ベトナム)入り

現在、ベトナムのフエです。現地時間17時5分。

4/19日の夕方5時発のバスでシンガポールを出てからバスを乗り継ぎ、タイのムクダハンからラオスのサバンナケット(?)に入ったところで12時間のバス待ち。そのラオスのサバンナケットを昨日22時発の夜行バスで出たら国境手前で5時間の国境開場待ち。プラス訳のわからない出国手続き代行の手数料までとられ、ようやく今日の朝11時過ぎにフエに着きました。

ここには友達が仕事で来ていたので、その友達に会い、明日にはまた移動です。

では。

2009.4.22
Hue、Viet Nam

2009年4月17日金曜日

[速報]シンガポール入り

4/15の朝にクアラルンプールを出て、マラッカを経由し、その日の夕方18時ごろシンガポールに着きました。

シンガポールは実に17-18年ぶり2回目なのですが、前回の記憶があまりないので来てみるとなかなか新鮮でした。クアラルンプール同様日本語の案内表示があったり、記憶以上に緑が多かったり、中国語がとびかっていたり、やはり自分で見て回ると印象が違います。

ここも滞在は数日、その後はまた陸路で北上の予定です。

では。

2009.4.17
Singapore

2009年4月14日火曜日

[そくほう] くあらるんぷーる(まれーしあ)いり

おとといのあさ4じにくあらるんぷーるにつきました。

まいにちあめです。

いまつかっているぱそこんはなぜかかんじだけよめません、かけません。

ここではちゅうがくじだいのゆうじんにあんないしてもらい、
やたいではなく、しょくどうにいったり、たくしーにのったりと
まいにちごうゆうしています。

ただ、あしたにはまらっかけいゆでしんがぽーるにいどうです。

では

2009.4.14
Kuala Lumpur,Malaysia

2009年4月10日金曜日

[速報]バンコク(タイ)入り

昨晩(4/9)バンコクのタイに入りました。
コンケーンはたいして観光客がいなかったので静かでよかったのですが、今いるバンコクのカオサンは噂どおり外国人ばかりです。ゆっくり観察してみたいところですが、旅程がせまっていることもあり、これからまた移動です。

タイは4/13が正月ということで新年のお祭りの準備もすすんでいるようですが、それを見ることなく、タイを出ます。

次はマレーシアです。今夜の夜行でバンコクを出れば明後日にはマレーシアのクアラルンプールに着くようです。

では。

2009.4.10
Bangkok、Thailand

2009年4月5日日曜日

[その他]タイ情報

まだコンケーンです。

明後日あたりから以下の記事に載っている人に会いに行ってきます。
参考までに記事等をリンクしておきます。

「バムルン・カヨターさんに会う」
http://www.ngo-jvc.net/php/jvcphp_epdisp.php?ThreadName=t03&ArticleNo=22

「ムラは問う」 1
http://www.chugoku-np.co.jp/tokusyuu/mura/070623.html

「ムラは問う」 2
http://www.chugoku-np.co.jp/tokusyuu/mura/070425.html

「タイの農村から見える資本のグローバリゼーションに対抗する農家のグローバリゼーション」
http://www.ruralnet.or.jp/gn/200707/fta.htm

2009年4月3日金曜日

[速報]コンケーン(タイ)いり

現在、4月3日(金)の午後6時50分です。

昨日、バンビエンからラオスのビエンチャンに移動し、今日の午後にビエンチャンを出て、タイのコンケーンというまちに来ました。メコン川を越えてタイに入ったのですが、通ってきた地域はすっかり平地でラオスではまったく違う景色でした。

タイではこのあたりを中心に1週間ほどふらつく予定です。

ではでは。

2009.4.3
KHONKAEN、Thailand

[diary]ダルエス着かず、きりん、ゾウ、シマウマなど(タンザン鉄道3日目)

ダルエス着かず、きりん、ゾウ、シマウマなど(タンザン鉄道3日目)

08/09/14(日) 晴れ
[Zanbia→Tanzania]

・とろい列車
・国立公園、野焼き
・きりん、象、シマウマ

ザンビアのカピリムポシからタンザニアのダルエスサラームに向かうタンザン鉄道3日目。

車内で配られたブランケットにくるまって寝ていた。夜と朝方はやや冷える。

明るくなった6時すぎに起きだして、窓を開けて外を眺めてみる。なんだか景色が流れていく速度が遅い。体感時速では30km程度。山がちな地帯を走っており、線路もくねくねと曲がっている。眼下(進行方向左手)は急峻な谷になっている。地形的に厳しいところを走っているから遅いのだろうと思うのだが、それにしても遅すぎるように感じる。

地図を取り出し、現在地を確認してみる。地形と線路の曲がりくねりや昨日通った駅などからおおよその位置は見当がついたのだが、もしこれが当たっているとすれば今日中にはとてもダルエスサラームに着きそうにない位置にいる。まさかと思いながら地図をおく。

時刻表では目的地のダルエスサラームには今日の9時頃に着くとあった。どうせ遅れるであろうことは計算に入れていたのだが、それにしたってせいぜい数時間程度、遅くとも今日の夕方くらいまでには着くだろうと、根拠はないのだが思っていた。昨日も地図で居場所を確認し、遅れていることはわかっていたのだが、一晩経てばけっこう近くまで行けるかもしれない、などと淡い期待を持っていた。が、どう見ても今日中にはとても着きそうにない位置にいる。

とは言え、ぼくの見込みが外れている場合もあるし、これからギューンと加速して目的地に着いてしまうようなこともなきにしもあらずだから、今日中には着くであろうという希望は捨てずにいることにした。

昨日同様、外を眺めることに時間を費やす。

停車した駅ではこれまでと同じように乗客をあてにした物売りの人たちが窓下にやってくる。アジ程度の大きさの焼き魚を売っている人がいたので、2尾買う。なかなかうまい。

そのほかバナナやトマト、鶏の唐揚げなどを売る人がまわってくる。バナナは一房なんてケチな量だけでなく、一軸とでも言うのだろうか、房がたわわにぶらさがっている軸(木で言えば枝というか幹というか)ごと売り歩いている人もいる。重さで言うとおそらく20kgくらいはありそう。どれも緑色をしているから調理用のバナナなのだろう。

売り子の人は鮮やかなアフリカンデザインの腰巻き式のロングスカートをはいた女性から、Tシャツにジーンズ姿の10才に満たない男の子まで年齢層は広い。

途中、沿線に見える集落の中には、草(藁?)葺きの屋根に木造の家ばかりが並ぶ集落もあれば、ブロックや煉瓦を積み上げてトタン屋根にしている家が並ぶところもあり。

鬱蒼とした熱帯雨林などは見えず、サバンナ的な草がさらさらした風景が多い。川があればそこで泳いで遊んでいる子どもたちや洗濯をしている女性の姿を見たりする。

外の景色を眺めているうちにあっと言う間に昼は過ぎる。

午後になって草っぱらに木がポツポツ生えているという典型的なサバンナ地帯に入る。どうも国立公園に入ったらしい。同室のおじさんや若い男も窓際に座って動物探しが始まる。

そこへシマウマを発見。あっと言う間に見えなくなる。おじさんは部屋の窓から進行方向左手を見張り、ぼくは通路の窓から進行方向右手を見張る。それで何か見つけたときには教えあうのだが、その声を聞いて窓辺に行ったときにはすでに遠くに小さな姿が見えるだけということもしばしば。なので右の窓から見るか左の窓から見るかが重要な別れ道になる。

最初は左手の方が比較的よく見れた。シマウマや鹿みたいな生き物などはわりと見ることができる。と言っても20~30分くらいに何かの動物1群(だいたい数頭)を見るといった程度。

ぼくは右手の窓をずっと張っていたのだが、ときどき食べられた残骸なのか、何かの動物の頭骸骨や大腿骨らしき太い骨が転がっているのを見る。

公園内では野焼きもやっていて、一部では煙がもうもうと立っていた。

最初のうちはおじさんは何か見つけると呼んでくれたのだが、そのうち飽きたのか教えてくれなくなる。ふとおじさんの方の窓を見たときキリンが数頭歩いているのを見たが、おじさんはこちらにはまったく教えてくれず。

しばらく何の動物も見えない時間があった。もう日もだいぶ傾いてきていたから動物もどっか寝場所にいったのかと思っていたところへ、象を発見。列車に驚いたらしく尻をこちらに向けてドタドタと走って逃げていく後ろ姿だけが見えた。キリンはときどき見える。やっぱり首が長い。キリンが走る姿も見たが、これが意外に速かった。ライオンの類はまったく見ることはなし。

そうして動物ウォッチングをしているうちに暗くなる。

夕方になってもダルエスサラームには着かず。暗くなると外には何も見えなくなるので、ベッドで横になり、到着を待つ。そのうち居眠り。寝てしまう。

Fin

[diary]タンザニア入国(タンザン鉄道2日目)

タンザニア入国(タンザン鉄道2日目)

08/09/13(土) 晴れ
[Zanbia→Tanzania]

・タンザニア入国
・説教(?)をされる

中国が手がけたタンザン鉄道の列車内。

夜は窓を開けたまま寝るには寒かった。車内で配られたブランケットをかぶって寝る。結局、昨日はこの部屋についてだけ言えば、新たに乗り込んでくる人がいなかったため二人部屋として使えた。

ちなみに入り口のドアは鍵がきちんとかからない。昨晩寝る前に同室のおじさんが鍵がちゃんとかかっているか試したところロックしたにも関わらずドアが開いた。おじさんはこれでは危ないと言うので、ぼくが持参していた細いロープなどでドアが開かないように固定してから眠りについた。

体を起こす。おじさんが起きたところで窓を開ける。外は既に明るかった。

しばらくして添乗員のおじさんがまわってきて朝食の注文をとっていく。当然、ぼくはカネがないのでパス。

外は相変わらず低い草木が生い茂る空き地のような景色が続く。

時々集落が現れ、そこの子どもたちが線路沿いに走りよってきて列車に手を振る。どの子も着古した伸びたTシャツに膝下まである短パン、それに裸足という格好。

家々は煉瓦を積み上げた壁にトタンの屋根だったり、たまに藁葺きの屋根だったりする。トタンの屋根がここまで行き渡っていることが意外だった。

10時30頃、列車はザンビアとタンザニアの国境地点に到着。いったん列車は止まる。

車内にいたらイミグレの係官が回ってくる。まずはザンビアの出国手続き。係官がパスポートを集めていき、しばらくして出国スタンプを押したパスポートを返してくれる。

それからタンザニア側。こっちも係官が回ってきてパスポートを集めていく。ここでビザ代50米ドルを払う。列車はすでに動き出していたが、パスポートはちゃんと返ってきた。スタンプ式のビザなので、あまりありがたみがない。50米ドルも払うんだからもうちょっと記念になるようなものを作ってくれればいいのに。

またこのとき両替屋も車両を回ってくる。同室のおじさんは両替屋のレートは悪いからダルエスサラームで換えた方がいいと言うのだが、なんせカネがないし、ダルエスサラームに着いて駅から中心部まではタクシーしかないらしいので、そのぶんは用意しておかなければならない。おじさんが交渉してくれるがぼくが20米ドルほどしか両替しようとしなかったため、両替屋はレートを渋る。両替屋は1米ドル=1000タンザニアシリングだと言うが、1050タンザニアシリングにしてもらう。

タンザニアに入った途端、かなり大きな集落が現れる。集落ではなく、もはやまち。ただまちというには、それらしさを演出する建物がなく、とにかくトタン屋根の家がたくさん並んでいるだけ。でも、おそらく数千人が暮らしているのではというくらい大きい。                                                                                                                                                                         

またこれまたわけがわからないのだが、線路が枝分かれしている先に貨物列車が何両も重なって落っこちていたりする。ちょうどその線路はジャンプ台のように滑らかに反り上がっていて、その先にジャンプに失敗したかのように車両が転がっている。これはいったいナンなんだ? 故意にしたものなのか、それとも何かの手違いでこうなったのか、現場の風景からはどっちともわからない。

貨物の車両は、その後も沿線に転がっていた。これは脱線したものらしく、線路のすぐ下に転がり落ちていたりする。貨物車なんて重機がなければ動かせないだろうから、その重機がないためそのまま放置しているのだろうか。

今日もときどき駅に止まる。タンザニア側に入ってからも新たに乗り込んでくる客がいたが、例の戦法で部屋のドアは開けず。おじさんも説教師のクセして心が狭い。というか、用心深いと言った方がいいのだろうか。しかし、夕方に停まった駅でついにこの部屋にも来客がある。若い男性二人。一人はダルエスサラームで学生をしているらしい。

駅に止まる度に物売りの人が車両に寄ってくる。例のごとくぼくがいる車両にはあまり人が回ってこない。タンザニアに入って新たに現れたのが、チャパティ。売り子のおばちゃんが「チャパティ、チャパティ」と連呼しているのを聞いて、また違う文化圏に入ったのだと実感する。買ってみるとインドのチャパティと同じくクレープ状のものだった。

他に売られているのはペットボトルのジュースは言うまでもなく、他に鶏の唐揚げ、魚のあげたもの、沖縄のさーたあんだぎーのような球型のドーナツ(これがうまい)、それからちょっとした具が入った揚げパン、バナナ、アボカド、焼きバナナのトマトサンドなどなど。それからぼくの車両には回ってこなかったが、駅から離れるときにホームに何かご飯とスープ系(たぶんカレーに似たようなものの類)のものを売っているおばちゃんもいた。ぼくはこっちが食べたかったが縁がなかったな。

焼きバナナサンドは大して甘くなく、どっちかというと芋のような味。挟まれているトマトは輪切りにされており、唐辛子入りのドレッシング何かで味付けされている。

また列車が着くと子どもたちが寄ってきて乗客からペットボトルを集めて回る。ぼくも顔を出していたらペットボトルがないかと言われた(というか、彼らの仕草でそのように言っていると感じた)ので、持っていたペットボトルをある男に投げてやる。子どもたちはぼくを見ると「ムズング、ムズング」と言う。なんのことかと思っていたら同室のおじさんが、スワヒリ語で「外国人」という意味だと教えてくれる。

同室のおじさんは朝から昨日と同じように書き物をしていた。何を書いているのかと思ったら、聖書かなにかに関する英語の文章をザンビアのなんとか語(忘れてしまった)に翻訳しているとおじさんが教えてくれる。翻訳した文章は教会に来る人たちに配るらしい。

そうした話をしていたらおじさんはぼくに宗教は何かと聞いてくる。当たり障りのないところで仏教と答えておくが、もちろん仏教のことなんて学校の倫理か何かで習った以上のことは知らないし、まぁ、知っていたとしても都合のいい部分しか信じないので実際には無臭今日(※勝手に変換された文字が面白いのでこのまま記録しておく)じゃなくて無宗教が実際のところ。

するとおじさんはキリスト教のことを知っているかと聞いてくる。そしてなぜキリスト教を信じないのかというようなことも言う。ぼくは”なぜ神がいると信じられるのかがわからない”と答えると、おじさんは”まず神がいると信じることから始まるんだ”と答えになっていない答えを言う。信じるものは救われるということらしい。やっぱりそこを飛び越えられるかどうかが宗教を、というか一神教を信じられるかどうかの境目なのだろう。

日本に教会はあるのかと聞くので、多くはないがあることはあると答える。すると日本に帰ったらぜひ教会に行けとのたまう。思い返してみるとぼくは日本では教会には行ったことがないような気がしてきた。入り口前を通ったことはあったような気がするが定かでない。もしかしたら中学生の修学旅行で長崎に行ったときに、観光でそれらしきところに行ったかもしれないけど、それも定かでない。日本の教会の存在感はその程度だ、と言ってしまうと日本のキリスト教関係者に怒られそうだが、自分の実感としてはその程度だ。教会と言われても自分が住んでいるまちのどこにあるのかまったくわからないもんな。

話は変わっておじさんは、ぼくのリュックを指さし、これはいくらしたのだと聞いてくる。なのでちょっと安めに「300米ドル(約3万円)した」と言い、加えて「高かった」と言うと、”300米ドルならそんなに高くないじゃないか”と言う。ぼくはこの反応に驚く。リュックに3万円もかけるなんて、一生に一度あるかないかの一大事なのに、それをたいして高くないなんて、このおじさんはもしや金持ちかと思ってしまう。

さらにおじさんは”日本に帰ったら同じタイプのリュックを買って送ってくれ”と言い出す。しかも、真顔で言う。今、現金でカネを預かるならともかく、こっちのカネで買ったあとでおじさんからカネを送ってもらうなんてのは当然信用できない。それにこうして言っているのもただの思いつきかもしれないし。しかし、そうはっきりとは言えないので、”このタイプのリュックは古いタイプのだからもう売っていない”と言って逃げる。それ以上は深追いしてこず。

昼を過ぎた頃だったか、途中の止まった駅には駅名を書いた看板があったので、自分が持っていたアフリカの地図の上でその名前を探したりする。おじさんはぼくの地図を見て、見せろというので見せる。そして、だいたいこの辺りにいると言う。

その地点を見るとまだ全ルートの半分も行っていないことがわかる。おじさんは、”この列車は遅れている”と言う。列車の時刻表では明日の午前中には着くはずだったのだが、地図で見た残りの区間の長さからすると時刻表通りに着かないであろうことは明白だった。ただ遅れると言ったって到着予定日内にはなんぼなんでも着くだろうと多少楽観していた。が、この期待は翌日大いに破られることとなる。

夕方泊まった駅でついに新たな客が乗り込んでくる。おじさんは渋い顔をして迎える。そしてぼくに荷物には気をつけるよう忠告してくる。またどっちかが部屋から出るときにはどっちかが部屋にいるようにしようとも言われる。新たな客は二人でどちらとも20代に見える若い男性。一人の方は学生であることが後にわかる。二人ともおとなしく、取り立てておしゃべりもせず、自分のベッドで何かしていたりする。

日が暮れるまでぼくは外を眺め、暗くなるとスワヒリ語の会話帳を眺めたりする。

夜食は途中で買ったもので済ませ、列車内で出している高い飯は食わず。

適当に寝ておしまい。

Fin

2009年4月1日水曜日

[速報]バンビエン(ラオス)いり

3月29日に中国からラオスに入り、現在ラオス4日目です。今いるのは首都ビエンチャンに近いバンビエンという小さなまちです。

ラオスに入ると人口密度が低くなったからか急に目にするヨーロッパ人観光客の数が増えました。日本人観光客もけっこういます。昨日いたプランパバンという世界遺産に登録されているまちもここもいかにも外国人受けするようなレストランや宿、本屋などがあって、なんだか妙な気分ですね。ここまで観光地化されているとは思っていなかったし、事前に情報集めなどもしていなかったので、ちょっとしたカルチャー(?)ショックを受けています。これが東南アジアなのでしょう。

明日には首都のビエンチャンに移動し、その次の日にはタイに入る予定です。タイではイサーンと呼ばれている東北部を回った後に、バンコクに移動し、その後はマレーシアのクアラルンプールに一気に行く予定です。

こちらは現在乾季、夏ということで日中は30度はあります。なんだか春をすっ飛ばしたような気分ですね。

では。

2009.4.1
VANGVIANG,Laos


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