2008年2月28日木曜日

サンティアゴ・デ・キューバ到着

2008.2.26(火)

夜が明けはじめた6時過ぎ、目が覚める。
道ばたの看板にSantiago de Cubaという文字が見え、すでにSantiago de Cuba州に入ったことがわかる。

それから15分ほどして、右手にどでかいモニュメントが見える。道行くトラックバス(荷台に幌をかけてバス代わりにしている)は、通勤のためか満員状態。聞いてはいたが、確かにアフリカ系が多い。ぱっと見た感じで7:3くらい。

バスターミナルに着いたのが6時45分。手荷物を持って降りると、すぐに待合室の方にと案内される。リュックはいつピックアップするのかと思ったら、待合室にピックアップする場所があり、そこで係員のおじさんに荷物の半券を渡し、リュックをもらう。

待合室を出ると、チケットの販売所があり、そこでハバナに戻るバスを予約する。スペイン人とおぼしき観光客が数組いる。

15分ほど待ち、ようやく自分の晩が来て予約が済む
。その際、ぼくの前で予約していたスペイン人と思われるおばさんがスペイン語から英語に通訳してくれる。

チケット売場を出ると、例のごとく外国人観光客を狙った客引きがいる。CASA(カーサ)とタクシー、それぞれいる。

ぼくは昨日、泊まった宿の人が友人のCASAを紹介してくれ、そこの人が迎えに来てくれていたので、客引き攻めは避けることができた。

迎えに来てくれていたのは、20代くらいのアフリカ系の男性。赤いFordのアメ車に乗り込み、カーサに向かう。ここでも馬車が走っており、市民の足になっているよう。

10分ほどして到着。きれいに外壁が塗られている。ブザーを押すと中から上半身裸のアフリカ系のおじさんが出てくる。名前を呼ばれ、そうだというと中に通される。おじさんは英語を解すようで、英語は分かるかと聞かれる。

車のにいちゃんは、ここまでの移動のために雇われていたようで、ぼくに5cucを請求してくる。移動距離はサンタクララと同じくらいだからせいぜい3cucくらいだろうが、朝が早かったし、まぁいいかと20cuc札を取り出すが、お釣りがないという。

そこで、宿主の人に両替してもらおうとするが、その場では両替ができないようで、あとで払えばいいから大丈夫というようなことを言われ、そのタクシーのあんちゃんは帰された。

今回のカーサはなかなかの豪邸。中庭は小さいけれども手入れされた植物があふれ、カフェでも使われているような机や椅子がある。別の部屋にはパソコンもコンポもある。

奥から出てきたこの家の奥さんと思われる人は、髪の毛を赤に染めており、なかなか立派な体格をしている。

部屋を案内される。ダブルベッドに小さな子ども用くらいのベッドが一つある。鏡台に観音扉式の洋服ダンスもある。昨日の宿にあった冷蔵庫や扇風機はない。窓が中庭に向いてあるので、空気はいい。カビ臭くはない。シャワーやトイレは宿泊者専用のようで、プライベートシャワーなんて言って案内される。風呂桶らしきつくりになっており、なかなか豪勢。そうとうな金持ちのよう。

荷物を置くと、宿泊の手続きを中庭のテーブルでする。宿の奥さんは宿帳のようなものを持ってきて、そこにいろいろ書き込む。パスポートを見せ、ぼく自身のサインもする。値段を聞くと食事なしで25cuc(3000円)。

事前の情報では15cucからあるということだったし、ロンリープラネットに紹介されているカーサでも20cucだったので、予定外の出費だ。昨日の宿の2倍だし。が、今更出ていくわけにもいかないので、それで我慢する。お値段は2泊するので50cuc。アメリカを入れてもこの旅の宿泊費の最高値だ。

宿帳を見たらぼくの前の人たちからは30cucとっているようなので、多少は安くしたようだが、日本でも今やネットカフェであれば2000円もあればゆったり泊まれるので高いという印象は免れない。

手続きをするときに、手元に指さし会話帳を持っていたので、それを見せると"Que bien(いいね)""Que bonito(なんてかわいらしい:直訳)”と奥さんは絶賛し、近くで植物に水やりをしていた旦那に、イントロダクションの部分(スペイン語)を読んで聞かせる。

ぼくは中庭でしばらくここの地図を眺め、今日のルートづくり。そこへお茶を出してくれる。果物とかはいらないかと聞かれるが、あとでおカネを請求されても懐が厳しいので断る。お茶はジャスミン茶のようだったが、久しぶりにお茶を飲んだ。たぶんロス行きの飛行機の中で緑茶を飲んで以来。

8時過ぎに宿を出て中心部に向かう。地図状では中心部まで200mくらい。ハバナに比べると一本一本の
路地が狭く、車一台と人が2~3人横になるといっぱいというくらい(3~4m程度)。

路面には軌道が残っており、以前には路面電車が走っていたようだ。湾に面したまちということで坂道が多い。

セスペデス広場がまちの中心になっており、その広場を囲む形で銀行や電話局、高級ホテル、大聖堂が建っている。

ジャマイカの宿の予約の返事が気になったので、ネットをやろうと、その1画にあるHotel Casa Grandeの警備の人にここでネットができるか聞いたら、ダメだと言われる。どこでできるか聞いたらあっちの方というので、そっちに行くとサンタクララでネットをしたのと電話局の店舗があったので、そこに行く。

が、閉まっている。入り口のドアに書いてある開店時間を見ると8時半となってり、時計を見るとすでに数分は過ぎている。あとから来た男性もドアが開かないのに舌打ちをする。あっと言う間に列ができ、ぼくは2番目で中に入る。ネット用のカード(1時間ぶん6cuc=720円)を書おうと20cuc札を出すが、またもや釣りがないからそこの銀行で両替してきてくれと言われる。

やれやれと思いながら、銀行に行き、”マシ ペケーニョ ポルファボール”と頼む。するとすべて5cuc札に替えてくれた。

それを持ってまた電話局の店舗に行き、カードを買う。パソコンは4台あり、ぼくのほかは誰も使っていない。カードの裏面を削ってログイン番号と暗証番号を確認し、ネット開始。日本語を読むこともできる台だったようで、ラッキー。ジャマイカの宿からはまだ返事が来ていない。

その後、海が見えていたので、そちらの方に向かって歩く。するとレタスをぶら下げて歩いている人とすれ違ったので、その人が歩いてきたと思われる方へ行く。

角を曲がると一輪車にレタスをいっぱいのっけて売っている人がおり、その近くには子豚が何やら道ばたに落ちている物をついばんでいる。

左手には青いバナナを大量に乗せた大型トラックやハンバーガーの屋台が2台見える。食らい建物の中から人が出てきているので、そこに入ってみるとそこが市場になっていた。

一見してハバナよりも種類が多いことがわかる。トマトやカボチャ、ピーマン、バナナ、マンゴー、キャベツなどハバナにあったものの他に、オクラなどもある。

野菜や果物はぜんぶで20店舗(区画)くらいあったが、肉売場はさびしく3店舗ほどしかない。例のごとく豚の頭部がぶらさがっていた。

バナナを買う。5ペソ。10本以上ついている房で、重さは2kgくらいありそう。それから声かけられた店でマンゴーを1個買う。3ペソ。やっぱり食料品は安い。

それから外の屋台で豚のハンバーガーを買う。5ペソ。皮や脂身が入っており、ちょっとしつこい。

バナナを食べながら海に向かう。歩いて5分ほどで海岸通に出る。ここは湾になっており、公園も整備されていた。そこでは小学生が10人ほどで演劇の台詞合わせのようなことをしていた。ベンチではホームレスと思われるおじさんが2人、しゃべっている。また、トランペットの練習をしている若い男性もいる。湾内には工業用らしき船が何隻か見え、その奥にはカストロたちが革命の初期に拠点としていたシエラマエストラと呼ばれる山々が見える。山々は緑がうすい。

ベンチで一休みして、適当に歩き始める。しばらくあるくと、人が多く集まっている所に出た。散髪屋や商店があり、その先には椰子の葉で屋根を葺いた店々が並ぶ、これまた市場みたいなところが見えた。

店は10店舗ほどしかないが、量が豊富だ。店の人からチーノと声をかけられ、買わないかと言われるが、料理ができる宿でもないので断り、ぶらぶら見て後にする。

来た道とは違うルートで中心部に戻る。カーサのマークを出している家が何軒もあったので、紹介してもらわずに自分で探せば良かったなどと思う。

多くの家がドアを開けはなっているので、中をちらっと見るとだいたい年寄りが椅子に腰掛け、テレビを見ている。そうでなければ、外を眺めている。

朝方は、気温が20度ちょっとと涼しかったが、だんだんと暑くなってきた。のどが乾いたので、ペットボトルの水を探すが、ガス入りばかりでガスが入っていない物が見あたらない。また、朝飯もハンバーガーとバナナだったので、何か他の物を思ったが、街角で売っているのはハンバーガーばかり(挟んでいるものは多少違うが肉ばかり)。メキシコが恋しくなる。

道には人があふれ、小さな広場のベンチもおしゃべりする人でいっぱい。専業主婦とは思えないが、生活用品(洗剤など)の店には行列ができている。

列ができていた道ばたのマンゴーのソフトクリーム屋でソフトを買う。1ペソ。これは、まずまずいい。これまでいくつか食べてきたが、どれもうまいとは思えないものばかりだったが、今回はあたり。

ぶらぶら歩きながらモンカダ兵営の博物館を目指す。途中にあったコッペリアというキューバで人気のアイスクリーム専門の喫茶店(屋外だけど)にはハバナと同じように行列ができていた。制服を着た子たちもいたが、平日の昼前に、こうしてアイスを食べられるなんて、どういう人たちなのだろうと不思議に思う。

30分ほど歩いて目的地に到着。モンカダ兵営は外壁がマンゴー色にきれいに塗られていたが、カストロたちが襲撃した時の銃弾跡は残っていた。ここは今、一部が博物館となり、その他は学校として使われているようだった。

カストロたちは100数十人でここを襲撃して、革命ののろしを上げた。展示物もそうした襲撃するまでの説明や襲撃の際に政府に捕まって拷問を受けた人の写真、当時使っていた銃や剣などが展示されている。がここは説明文がすべてスペイン語。1cucという値段なので、しょうがないか?

それから、この後に行くグアンタナモ行きのバスが出ているターミナルを探して歩く。これまた20分ほどかかったが、朝、バスが停まったターミナルと同じだった。意外と近い。

外国人は基本的にViazul(ビアスール)という会社のバスを使うことになっているが、これとは別に地元の人たちが使っている交通機関がある。グアンタナモ行きのビアスールのバスは1日に1本、朝7時45分発のみだが、トラックバスだと何本もあるようだった。

歩いていたら道ばたで弁当を売っていたので、それを買う。15ペソ(約60円)。炒めた白いご飯に蒸した豚肉のスライスがどばっと乗っていて、野菜はトマトが2切れだけ。

座る場所をきょろきょろ探すと、自転車タクシーのおじさんがここに座れとタクシーの座席を貸してくれた。

飯を食って、近くに見えていたスタジアムを見に行く。何かやっているかと期待して行ったが、さすがに平日の昼間は何もやっていなかった。

帰り別の自転車タクシーのおじさんがセントロ(中心街)まで連れていくと執拗に売り込んでくる。値段を聞くと3cuc。歩けない距離ではないので、数度断るが根負け。2cucにしてもらって乗る。

途中、おじさんは建物を指さし、あそこがビール工場だとかここがなんとか通りだとガイドしてくれる。

セントロに行くには坂を上らないといけないのだが、おじさんはギアを替え(ギアが付いているとは知らなかった!)立ちこぎで昇る。なんだか悪い気がしてきたんで、かなり近くまで来たところで降り、3cuc渡す。するとおじさんは”グラシアス セニョール”と言って去っていった。

セントロに戻る途中の店でやっとガス抜きの水を発見。1.5リットルを0.7cucで買う。

セントロの広場で一休みし、雲行きが怪しくなってきたので宿に帰る。雨がぽつぽつきた。が、宿の場所がいまいちわからない。近くまで来ているが、街路の番号の振られ方がわからず。どこに行こうとしているのかおばさんに聞かれたので、宿の住所を見せると、もう1本向こうの道だと教えてくれる。

そして、無事到着。着いたら雨が強くなった。

夜は本を読んだり、寝たり。飯はついていないから、夕食はなし。

結局、この日食べたのは、豚のハンバーガー1個とマンゴー1個、バナナ8本くらいと豚肉とご飯の弁当1個、それにソフトクリーム2個だった。

レストランもあるが、観光客向けで高いのでやめた。地元の人向けのレストランを探すが見あたらないのがつらいとこ。まぁ、聞けばいいんだけど、聞いてもたいていが観光客用の10ドルくらいのところを紹介されるのが、またつらい。日本でも滅多に10ドルなんて使いませんから。

おわり

ハバナからサンタクララへ

2008.2.24(日)
サンタクララ1日目

朝は7時前に起きて、荷物を整理する。延泊1日ぶん代15cuc(1800円)とネット計2時間ぶん代8cuc(960円)を払う。

7時半前に宿を出て、広場でタクシーを探す。歩いていた歩道の反対側では、ホームレスと思われるおじさんと若い警官がなにやら言い合いをしており、そのうち警官が殴り、顔に右のハイキックをいれたりする。おじさんの方も最初はやり返そうとしていたが、そのうち無抵抗に。そんな状態になっても警官は攻撃の手を休めない。

そこへ通りがかった若い男性が仲裁にわりこみ、同じく通りがかった軍人のおじさんが、ヘイヘイと止めに入る。なんとか収まってきているのに、別の所から若い警官が2人走ってきて、1人はいきなりそのおじさん左頬のあたりをぶったたく。

広場にいた別の人らは、警官に向かってなにやら言っている。おそらくそこまでしなくてもということなのだろう。ぼくが見ても明らかにやりすぎだ。特に後から駆けつけた警官がいきなりぶっ叩いていたのには、目をむいた。それだけ警官の力が強いのか、それとも・・・。

通りがかりのタクシーを手を挙げてひろう。料金を聞いたら4cucという。OKして乗り込む。10分ほどでViazul(ビアスール)のターミナルに着く。非常に小さく最初はどっかの事務所かと思ったほど。

昨日、行ったのはAstroというキューバ人用のバスターミナルだったが、こちらは外国人用。

昨日、Cubaturで予約していた紙がてっきりチケットかと思っていたが、どうも違っていたよう。待合室に入ろうとすると、入り口にいた荷物預けの人に止められ、それを見せるとそこの窓口でチケットに替えるよう言われる。

その窓口で予約の時の紙を渡すと、レシートのような紙(日本で言うと路線バスの整理券に近い)を渡される。どうもこれがチケットのよう。印字された文字も薄く、すぐになくしてしまいそう。

それを持って、荷物を預け、待合室に入ると今度はOK。
待合室には50人ほどぶんの椅子があり、売店ではゲバラなどの絵はがきや本、英語の本も売っている。2階はカフェになっていたが、選択肢は少ない。

バスの発車予定は8時40分。しばらく待つ。いつもどおり8時40分になっても案内はない。40分過ぎになにやら案内があり、人が並んでいたのでぼくもそれに並んだが、これは違うバスだとチケットをチェックしていた人に言われる。

結局、バスは予定時刻の1時間後に乗車が始まり、発車。

車窓からは平原が見える。一面サトウキビ畑。景色を眺めていたかったが、無性に眠く熟睡。

乗車から約3時間後、目的地のサンタクララに到着した。バスターミナルの周りは何軒かの店舗が見えるが、それ以外は住宅ばかり。

待合室は白いタイル張りできれい。待合室の中にチケット売場があり、人が並んでいるところにぼくも並ぶと、ここじゃないと言われ、別のボックスのところを案内される。そこで、明日サンティアゴに向かうバスの予約をする。

出入り口付近には、このバスの客を狙って待っていたカーサやタクシーの客引きが20人ほど。まっさきにアフリカ系の体格のいいおばさんがきらきらした目で、売り込みに来る。値段を聞くと10cucというので、それで決める。

しわくちゃのおじいさんが運転手のようで、そのおじいさんの車に案内され、荷物を乗せ、いざカーサへ。

車道には車と並んで馬車がひっきりなしに走っている。どれも10人乗ればいっぱいくらいだが、だいたい席は埋まっている。

車で3分もすると、右手にチェ・ゲバラの巨大な像が見える。ここがゲバラの霊廟のよう。

それから5分ほどでカーサに到着。タクシー代は別料金のようで2cuc請求され、払う。

鉄格子のドアと木製のドアを開けるとリビングだった。入って右側に20インチくらい(?)のサンヨーのテレビがあり、その周りに黒のソファーがある。

キッチンとテーブルを抜けて奥にある部屋に案内される。そこが部屋のよう。部屋のドアを開けると大きなダブルベッドがあり、冷蔵庫、扇風機もある。さらにエアコンもあり、電源を入れてくれる。

ただ、開けられる窓がなく(あったのは道路に面している)、しかも部屋がカビ臭い。

自分たちようの冷蔵庫はきっちんにあったので、宿泊客用に冷蔵庫を用意しているよう。さっそくぼくが持っていたペットボトルの水を中に入れてくれるが、ぼくは水は冷えてなくてもかまわないので、宿主が部屋を出たところで電源を切る。あとエアコンのも。

それからリビングにある食卓で手続き。ハバナの宿では宿帳に自分で名前とパスポートナンバーを書くだけだったが、ここでは専用の記入帳(市販されている)に宿主のおばさんが記入する。パスポート見せ、最後にぼくのサインをして、領収書のようなものをもらう。

それが終わって外に出ようとすると、今、おカネを払ってもらえないかと言われるが、まだ完全には信用できないので、両替して来るという理由を付けて明日払うと伝え、ふらつく。

ぼくがもっているガイドブックにはサンタクララの地図がなかったため、適当に道を聞きながらふらつく。

まずはゲバラの霊廟に。宿から歩いて15分くらいでモニュメントが見える。そのモニュメントの下にゲバラの博物館と霊廟がある。そのまま入ろうとすると警官に止められ、荷物を預けるよう言われる。売店と思っていたところが荷物を預けるところだった。

博物館も霊廟も見学は無料。博物館の方は、ゲバラの幼い頃の写真から日本に来たときに耕運機を押している姿の写真もある。その他、着ていたものや身につけていたものが展示されているが、説明はすべてスペイン語。

館内には他にドイツ語をしゃべっている観光客が4~5人ほど。

霊廟は、ゲバラのみならず同じくゲリラ戦で命を落とした38人ぶんのレリーフもある。この辺りは旧ソ連と違ってキューバらしいように感じる。

霊廟を見て、中心部に行こうと思っていると、馬車づかいのおじいさんが売り込みに来る。道がいまいちわからなかったので、馬車もいいかと思い、いくらか聞くと2cucという。タクシー代並みなので、高いのでそんなのないと言い、20ペソ札だけ見せると、じゃあそれでと言うので、馬車に乗る。

一般に馬車は1ペソという話なので、1人で20人ぶんの稼ぎだ。案の定、途中で乗る合図をしている人たちは無視して、ぼく以外は乗せずに走る。パッカパッカと心地いい馬の蹄の音を聞きながら5分ほどで中心部に到着。20ペソ払う。

ジャマイカの宿をまだ予約していなかったので、サンタクララリブレという一番高そうなホテルにインターネットをしに行く。しかし、ここではできないいわれる。どこでできるか聞くと道を教えてくれる。

が、その近くに着たはずなのにわからない。3人くらいに聞いてやっと電話局にたどり着いた。これまではカーサでネットをやっていたので、外でやるのは初めて。ネットをやりたいというと、時間を聞かれたので1時間というと、6cuc請求され、テレフォンカードのようなものを渡される。

パソコンは4台あり、適当に座る。カードをつっこんで使うのかと思ったが、それらしきところもない。画面を動かしてみるとログイン番号とパスワードを記入する画面になったので、やっと要領がわかる。カードの裏面にある番号を見て、それを入力すると画面が代わり、右下に残り時間が表示される。

ネットのスピードはそこそこ。ダイアルアップよりは早いがADSLよりやや遅いくらい。ジャマイカの宿を探し、予約のメールを送る。ジャマイカも安い宿が少ないので、早めに予約しておこうと思ってのこと。

それからまちをふらつく。休日なのに昨日のハバナと違って人通りは少ない。メインストリートと思われるところもカフェが2軒開いているだけ。

そのカフェで売っているピザに行列ができていたので、そこでぼくもピザを買う。10ペソ。めちゃくちゃ熱く、口の中をやけどする。

ハバナでもそうだったが、ほんとにキューバ人はピザが好きなよう。ここのピザはけっこう分厚いパン生地で、それにチーズが乗っていたりハムが乗っていたりする。直径が20センチくらいあるので、生地が厚いこともあり、けっこう腹が膨れる。

このまちの地図がないか、ホテルや売店をまわるがない。しょうがないので、ぶらぶらと適当にあるく。ここも中心部は石畳の道路に石造りの家とヨーロッパ調の街並みが残っている。建物はハバナよりも状態はよさそう。家の窓やドアを開けはなっているところが多く、歩道を歩いていると中が見える。

中を見るとたいてい年寄りが1人、あるいは2人で椅子に腰掛けテレビを見ていたり、外を眺めていたりする。ほとんどの人が見た目70歳以上。

また、ここのまちはヨーロッパ系が多い印象を受ける。ここだと7:3でヨーロッパ系が多いと言われてもうなづける。

町外れに行くと、幹線道路以外は舗装されていない。小道を入ると、金網で家同士の敷地が区切られ、敷地内には鶏や豚がいたりする。なかにはきれいに畑を作っている家もあり、トマトやレタスなどが植わっている。

路上やちょっとした空き地では男の子たちが野球をしている。

歩いていると小学生くらいの子から白髪のおばあちゃんにまでチーノと声をかけられる。人数で言えば10人くらいか。

ハポネと言われて、珍しいなと思って振り向くと、家の前でしゃべっていた見た目70歳前くらいのおじさんが自分を指さしながらフィリピーノという。

フィリピン人には見えなかったので、首を傾げると横にいた別の人が、この人の父親の父親がフィリピン人だったというようなことを身振りを交えながら教えてくれる。水を飲まないかといわれるが、あいにく持っていたので、断りまたぶらぶら。

夕方頃、中心街に戻り、晩飯を食える場所を探すが、地元の人が使っているような食堂が見あたらない。しょうがないので、cuc払いで地元の人(ちょっとした金持ち?)が並んでるファーストフードのようなレストランに行く。

メニューはピザやスパゲッティなど、どれも5cuc以下。定食のようなものはないようなので、試しにスパゲッティを注文する。お値段は2.2cucくらい。味はレトルトのスパゲッティのようだが、量が多い。

それで宿に帰る。満腹だったので、部屋にもどって寝ていたらドアを叩く音がして、食事だという。

着いたときには晩飯はお願いしなかったつもりだったが、ちゃんと伝わっていなかったよう。だが、料理に興味があるので、いただく。

そーめんみたいなものが入ったスープがまず出てくる。味はコンソメ? まずまずうまい。それから鶏のもも肉と白米。キャベツの千切りとトマトのスライスが出てくる。キャベツが塩気が強かったので、ご飯と混ぜて食べる。これで5cucとのこと。

この旅、初めての1人部屋。カビ臭いのが難だが、ゆっくり眠ることができた。

おわり

もろもろの手続きで1日つぶれて。

2008.2.23(土)
ハバナ4日目

予定では、今日、ハバナを東に向かうつもりだったが、ジャマイカ行きのチケットを買っていなかったので、そのためにもう1泊することにした。3泊一緒だった日本人はみな今日出ていく。

9時頃宿を出て、クバーナ航空に向かう。ハバナでは毎日クバーナ航空に行っている。やっとバスのルートがいくつかわかったので、バスで近くまで行く。1ペソ。安いし、早い!。

バス停からクバーナ航空に行く途中に国際線のチケットを扱っている旅行社があったので、もしやそっちの方がもっといいチケットがあるかもしれないと思い、そこに立ち寄る。しかし、国際線のチケット担当の人が1人しかおらず、何かしていて30分待ってもダメなんで、出る。

エアジャマイカに行って、クバーナ航空とは違う便がないか調べてもらおうと思ったが、あいにく今日は土曜ということで安み。

キングストンからハバナに戻る便が朝7時発とあまりに早いので、エアジャマイカでいい便があればと思っていたが。しょうがないので、先ほどの旅行社に戻り、チケットを聞く。エアジャマイカのチケットの情報が知りたいと言っているのに(英語は通じる)、出してきたのはクバーナ航空ですでに予約しているものと同じ。

これで予約するかと聞くので、エアジャマイカのを知りたいと再度言うが、こっちの方が安いなどという。そんなことならと断り、店を出る。

それで諦めてクバーナ航空に行く。土曜は12時まで。11時に店に入ったから大丈夫かと思いきや、あとから来た人がぼくが売場のカウンターに入ろうとした瞬間、先に割り込み。

まぁ、まだ時間があるから大丈夫だろうと待っていたら、その人の手続きが終わった11時半前になって、今日はこれで終わりなんてことを言われる。おいおい!来週は東の方に行くので、ここに来ることはできない。

それで、各窓口の人の所に行ってみると、アフリカ系のやさしい顔をしたおばさんが、そこに座ってと受け付けてくれた。そこへ、もう終わりと言ったヨーロッパ系のおばさんが、その人に向かってなにやら文句らしきことを強い口調で言っている。

どうなるんかと思ったが、無事受け付けてくれる。ただ、この人は昨日、一昨日と対応してくれた人と違って英語がほとんどわからないよう。加えてぼくは予約したときにもらった紙を忘れてきたので、片言スペイン語で既に予約はしており、おカネを払いに来た旨を伝える。

が、予約をとるような手続きをしているので、"No"と言い、予約はしていると伝える。そして、パスポートを見せるとそれを見て、パソコンでぼくの名前を検索しはじめる。

心配なので画面を見ているとsatoと入力するところをsantoと入力している。当然、関係ない人の名前が出てきているのだが、自分では間違って入力したことにしばらく気づかず2~3分パスポートと画面を交互に眺める。

Santo domingoなどSantoはスペイン語ではよく使う言葉なので、その習慣なのだろう。

やっと気づいて名前を修正。ぼくの予約状況が画面に出て、ことの次第がわかったよう。値段を言われ、紙幣を用意する。すると窓口の人は席を立ってしばらく帰ってこない。

5分ほどまっただろうか、その人はチケットを持って出てきた。おカネを払い、やっとチケットの支払い終了。時間は12時を過ぎていた。

クバーナ航空の後、Cubatur(クーバツール)という国内専門の旅行社で明日のサンティアゴ・デ・キューバに行くバスのチケットを手配する。

ここも英語が通じる。前日の予約で大丈夫だろうと思っていたが、サンティアゴ行きは満席でとれないという。週明けの月曜はあるというが、それまで待ってられないので、急遽行き先を変更し、サンタクララにする。こっちは一発でok。
代金は18cuc。

その後、ジャマイカとドミニカに行く前日に泊まるホテルを手配する。この旅行社はホテルも紹介しているので、ここで予約できるだろうと思ったが、紹介しているのは観光スポットである旧市街ばかりの宿だけのようで、ぼくが予定していたホテルはリストにないと言われる。

そのリストを見ると28ドルくらいの宿もあったが、空港から遠いので却下。自分でホテルに向かうことに。予定していたホテルはバスターミナル近くの宿。歩いて30分ほどで着いたが、改装中でやっていないとのこと。がっくり。

近くまで来たのでバスターミナルを見学。こちらはキューバ人が基本的に使う長距離バスの発着ターミナルで、メキシコにはかなわないが、それなりに大きい。食堂も本屋もある。

本屋に行くと、すべてペソ払いの本で、カストロが載った絵入りの子ども向けの本があったので買う。5ペソ(約20円)。安い。

第1候補だったホテルがダメだったので、第2候補のホテルに行く。今、泊まっている宿でもいいのだが、朝が6時発など早いので、気を使ってホテルに泊まることにした。

第2候補のホテルに着いて受付の人に予約したい旨を告げると、担当を呼ぶので待ってと言われる。ロビーはクーラーがきいており涼しい。居眠りをする。

その担当の人に起こされて予約を頼む。値段を聞くとハイシーズンということで1泊46cucだという。高い!でも、しょうがないと思い、予約番号をもらい、宿に戻る。これでもろもろの準備ができた。

バスに乗って宿がある中心部に戻る。試しにバスの終点近くまで乗ってみると、ハバナの鉄道駅近くに来たので、そこで降りて鉄道駅を見学。ものすごいひとだかりだった。構内にはゲーム機があり、子どもがこれで遊んでいる。機械にはSEGAの文字が。

その後、駅のすぐ隣にあるホセ・マルティの家に行く。2階建ての小さな家だが、きれい。本棚などがなかったのが、残念。

歩いて宿に戻ると、また新たな日本人客が入っていた。男1人に女2人の3人連れ。やはりこの春大学を卒業する人たちらしい。キューバにはメキシコシティに2泊した後、来たらしい。

終わり。

2008年2月26日火曜日

サンタクララ到着とサンティアゴでキューバへ

昨日(2/24)、ゲバラが眠る町サンタクララに来ました。
1泊して今日(2/25)の19時半のバスでさらに東のサンティアゴでキューバに行きます。

ラム工場、街角の音楽、ジャマイカのチケット

2008.2.22(金)快晴
ハバナ3日目

午前中はネット、日記の整理。ジャマイカ行きの件と予算の調整。

昼前、11時頃に宿を出る。ジャマイカ行きのチケットを買うために両替をしに行く。途中、地元の人が使っている食堂があったので、先にそこで食事。アフリカ系の女性が、壁に掛けてあるメニューを指さし、どれがいいか聞いてくる。するとそこへ、やはりアフリカ系の白髪交じりのおじさんが、早口で何やら言ってきて、ちょっとこっちに来いと合図する。

案内されたのは厨房で、鍋に入った黄色いスープとフライパンみたいな鍋に入っていた炒め料理を見せてくれる。これとこれと指さすと、わかったというようにうなづく。

テーブルに座る。蠅が気になる。メキシコでは蠅が気になることはまったくなかったが、キューバに来てからは野菜売場やこうした簡易食堂などでは、気になるほど蠅が多い。

食堂の内部は工事中なのか、ただの物置として使われているのか、50cm四方程度のコンクリートのタイルが店内の奥の方に何十枚も立てかけられている。

まずジュースが出てくる。オレンジジュースのような味がするが、薄めてあるのかあまりうまくはない。

料理を待っていると、隣のテーブルに座ったアフリカ系のグループの中の一人の女の人が声をかけてくる。そして、写真を撮ってくれというので、写真を撮る。写したのを見せてというので、見せると、写真を撮らせてあげたんだけど、いくらくれるの、というようなことを言う(単語と口振りから)。

同じグループの人はそれを聞きながら笑っているので、冗談のようだったから、わからないふりで首をかしげたりする。すると、店のおばさんがその人たちに何やら言って、気にするなというようにこっちを見て、首を横に振る。

そんなことをしているうちに、料理は出てくる。料理は二皿さっきの黄色いスープと大盛りの白飯にフライパンに入っていた炒め物が出てくる。

スープは塩加減も良くうまい。ひよこ豆に鶏肉などが入っている。炒め物の方は塩気がきつく、食べた感じはシーチキンのような感じ。塩辛いのでご飯と混ぜて食べる。

食事後、代金を支払う。CUC払いで2CUC(240円)。ご飯の量が多いので満腹になる。

それから、Havana Vieja(ハバナビエハ)地区にあるラム酒の博物館(Museo de Ron=ムゼオ・デ・ロン)に行く。ちなみにキューバではラム酒のことをロンと呼ぶ。

工場に着こうかというところで、道ばたで遊んでいるふうの女の子が声をかけてきて、写真を撮ってくれというようなことを言う。言いよ、と言うと、一緒にいた10歳くらいの女の子と2人で写真に収まる。そしたら、その小さい子が「Un peso(1ペソちょうだい)」と言い出したので、おいおい、そういうことかよ、と思いながらも博物館のすぐ入り口まで来ていたので、無視して博物館に入る。

入場料は6cuc(720円)。高い。受付でスペイン語と英語とどちらのガイドがいいかと言われたので、英語でお願いする。

博物館を入るとすぐに喫茶コーナーがあり、そこで試しにラム酒のオレンジジュース割を飲む。2cuc(240円)。やっぱりラムはきつい。

10分ほど待っていたら館の人が呼びに来てくれ、ガイドの人を紹介してくれる。ぼくの他にイギリス人夫婦も一緒だった。

イギリス人夫婦は60代にはなっているだろうという年輩の夫婦。どこから来たのかとか、ラムはよく飲むかなど、何度か話しかけてくる。イギリス英語は聞きやすいので、大変よろしい。

ラムの説明は、まずコロンブスと奴隷貿易の話から始まった。展示物にもコロンブスの肖像画とアフリカ奴隷の様子を描いた絵がある。

ラムの原料であるサトウキビは、コロンブスがカリブ海にもってきた。そして、大規模プランテーションが作られ、キューバでは一大産業となる。

スペインを中心としたヨーロッパからの入植者(侵略者)は、カリブ海の島々に住んでいた先住民をほぼ絶滅させたため、労働力を確保するためにアフリカから奴隷を連れてきた。

こうして連れてこられた人の子孫が、現在、カリブ海に暮らすアフリカ系の人々だ。キューバ音楽をはじめ、カリブ海の音楽にアフリカの影響が色濃くあるのは、そうした背景があってのことだ。

博物館には18世紀くらいの工場のモデルや使われていた道具などが展示されている。作り方は、だいたい他の酒と一緒のよう。圧搾から発酵、寝かせるまでの説明を聞く。そして、最後は試飲をして終わり。もちろん売店もあり、安いのでは8cuc(960円)程度から高くても3000円くらいでハバナクラブのラムが買える。もちろん、ぼくは素通りしたが。

博物館を出て、両替所に行き、両替。チケットを買いにクバーナ航空に行きたいが、ここからオフィスまでは歩くと40分くらいかかるので、何かの交通機関を使うことを考える。

バスがけっこう走っているのだが、どれがどこに向けて走っているのかがわからない。それでどうしようかと思っていたときに人力三輪自転車タクシー(bicitaxi=ビシタクシィ)のお兄さんが声をかけて来たので、値段を聞いてから乗り込む。

値段は6 cuc(720円)。日本の感覚からしても高いが、けっこう遠いのと、途中、坂もあるので言い値でOKする。

車体は見るからにボロく、チェーンもちょっとゆるい感じ。お兄さんは最短距離を走るが、幹線道路じゃないので道が悪い。穴ぽこをよけながら、坂では体を左右に揺らしながら、汗をふきふき走る。

ハバナには路線バスやタクシー、乗り合いタクシーのほか、球形のココタクシー(cocotaxi)、馬車など細かく分ければ10種類くらいの交通機関がある。

そんななかで、三輪自転車がやっていけてるというのが不思議だ。地元の人がどれくらい払っているかわからないが、バスよりも高く(バスは1ペソ)、どれよりも遅いだろうに。おそらくタクシーよりも安く、目的地ぴったりには行けるので、そうした場合に使っているのだろうが。

20分ほどでクバーナ航空のオフィス前に到着。するとお兄さんは、10cucだと言い出す。そんなの日本でも高すぎるわ。それで、あなたは6cucと言いましたと言って拒否し続けると7cucに落ちる。じゃあ、おまけということで7cucに。たぶん、タクシーを使えば半額で済んだところだが、肉体労働なので、まぁ、いいかと。一度、乗ってみたかったし。

クバーナ航空でジャマイカのチケットを買う。そしたらパスポートが必要とのこと。コピーを持っていたが、それではダメというので、予約だけして帰る。

来週、ジャマイカに行こうかと思っていたが、来週の便はすでに埋まっているとのことで、さらに3月にずらす。ジャマイカはキングストンを往復する飛行機は毎日飛んでいないので、航空便の都合上1週間いることになった。

一応、今日、やらなければいけないことは終わったので、まだ歩いていないところをふらつく。海岸通沿いを歩くと、広場で子どもたちが野球の練習をしていたので、しばらく観戦。試合形式でやっていたが、バックネットがないのでキャッチャーが後ろにそらすボールが道路に転がっていってしまう。ボールは2個用意されているようで、そうして転がっていくともう1つのボールで再開し、指導者らしき大人の男性が転がっていったボールを取りに行く。バックネットをプレゼントするとけっこう喜んでもらえるんじゃないか。

それからしばらく歩く。今日は配給の日のようで、道すがら配給所らしき店を見る。中に入ってみると、みんな配給手帳のようなものを係りの人に見せて、持参した袋にあれこれ詰め込んでいる。

そうしてぶらぶらして、帰る。適当にバスに乗る。すると、途中、小さな広場でミニコンサートをしていたので、そこで降りる。スピーカーのボリュームが大きすぎて、少し音がわれているような感じがあったが、複雑なリズムでいかにもキューバという音楽。地元の人や通りがかりの人も50人くらい聞いている。立ったまま聞いている人の中には、踊っている人も。2曲ほど聞いたら、どうもそれが最後だったようで、コンサートは終わってしまった。公園にはドンキホーテらしき作りものがあった。

よくキューバの旅行案内に、街角から音楽が聞こえると描かれてあるのを見るが、基本的にあれは観光地にある店から聞こえてくるもので、そうでないところを歩いているときにはまず音楽を聴くことはない、というのが昨日、今日感じたこと。

聞くことがあるとすれば、CDかラジオを大音量でかけているとき。メキシコでは楽器を持って流しで歌って稼いでいる人もいたが、ここではそういう人は見ない。

宿に帰り、食事。夜はジャマイカ行きに合わせてキューバ国内での旅程の再設計。だが、異常に眠く、いつのまにか寝る。

革命のまち、野球のまち

2008.2.21(木)快晴
ハバナ2日目

朝は6時半に目が覚める。夜は明け、トラックの走る音が聞こえる。昨日は夜景しか見ることができなかったが、こうして明るくなって窓からまちを見ると、想像以上に建物のボロさが目立つ。ほとんど壊れかけと言っていいような建物があちこちにある。地震がないからもっているのだろうが、これは地震があれば全壊だろう。

7時半頃、宿の人がドアをノックし、朝ご飯と教えてくれる。朝ご飯も簡単なものだ。

9時すぎに宿を出て、まずオビスポ通りというメインストリートにある両替所に行く。そこで日本円を両替。1cucが約120円。ドルは1cuc=0.8ドルくらい。

ペソクバーナでアイスを買う。1ぺソクバーナ(以下、ペソと省略)。安い。外国人が一般に使うcucとのレートは1cuc=24ペソ=120円だから、1ペソだと5円。

ペソクバーナは基本的に外国人は使えず、両替所でも観光客が多い地域にあるところでは両替してもらえない。メキシコのカンクンで、キューバに行った人の話では空港で替えられると言っていたが、昨日、空港の両替所で聞いたら断れ、入手できなかった。

しかし、同宿の人で両替した人がいたので、宿で替えてもらった。その人の話では、空港の2階にある両替所では両替できるらしい。

さて、両替も済んだところで早速、革命博物館に行く。宮殿みたいな建物で入場料は5cuc。

入り口を入ってすぐ右には売店があり、先にそちらを見る。ゲバラやカストロに関する本が20種類ほどあり、しかも英語版もあった。どれか買おうかと値段を聞くがどれも15cuc(1800円)以上。キューバでの予算はけっこうぎりぎりで予定しているので、キューバ最後の日にカネがあれば買うことにする。

本の中にはCIAがキューバに仕掛けたもろもろの工作に関する本もあり、中を見ると一部黒塗りにされている。店の人に聞くと(店の人は英語ができる)、たぶん秘密にしたい情報が載っているところだろうという。

さすがに観光に力に入れているだけあって、メキシコと違って、展示物には英語での説明が逐一ついている。

1959年のカストロたちによる革命だけでなく、それ以前の独立のための運動やホセ・マルティらの運動も紹介されている。展示物は写真や当時使われていた物、新聞記事など。

建物の中には、重要人物の彫像もあり、シモン・ボリバール、ホセ・マルティなどと並んで、なぜかアメリカのリンカーンの彫像もあった。

外国からの観光客もパラパラいて、新入りの警官なのか、あるいは徴兵訓練中の人なのか、白い制服を着た若い男性グループ(30人ほど)が解説を聞きながら展示物に見入っている姿もある。

1時間ほど見てから海岸沿いに出る。クバーナ航空を目指して歩く。メキシコのカンクンでは1日あれば簡単に日焼けをするくらいの日差しだったが、ここはそんなに強くない。

海岸沿いは幹線道路になっており、防波堤ではカップルが座っておしゃべりしていたり、釣りをしてる人の姿もある。

40分ほど歩いてクバーナ航空に到着。セキュリティの人がドアを開けてくれる。クバーナ航空のオフィスがある一角にはすべての航空会社が入っていて、メキシカン航空やエアジャマイカなどもここのビルに入っている。

しばらく待って券売窓口に行く。どうもここは先に座った者勝ちのようで、何人かぼくより後に来た人に先を越された。

この女性(40歳くらいでヨーロッパ系)は、英語を解す。まずキューバからカンクンに戻るチケットの変更を頼む。当初、ドミニカからジャマイカに行こうと思っていたが、ドミニカからジャマイカにはどうも飛行機がないようだし、チケット代も高くなると聞いたので変更することにしたのだ。

変更手数料は25cuc。なかなか高い。1泊ぶんだ。それからジャマイカ行きのチケットについて聞く。値段は360cucくらい(約4万5千円)。値段だけ聞いて帰る。

それからまた歩いて宿に戻る。途中、行列ができている店があり、除くとジュースを売っていたので、そこで買う。ハバナにはコップでジュースで売っている店が多々ある。牛乳スタンドのように、その場で飲んでコップは店に返す。たいていのコップは、1センチ近くあるガラスでできておりしかも飲み口はスパッと切ってあるだけで、普通のコップのように加工されていない。だから、下手したら唇を切るんじゃないかと思うようなコップもある。

ただ、そうしたジュースは安く、1杯150ccくらいで1ペソ。10杯飲んでも10ペソなので、1cuc=24ペソするペットボトルの水を買うより安上がりだ。

ただ氷が入っているので、それが気になったのだが、その後、何もなく終わっているので、どうも安全な氷のよう。もっともこれは人によるだろうが。

適当に歩いていたら野菜の販売所を見つけた。ハバナにはメキシコにあったような巨大な市場はないようで、街角に小さな店があるのしか見ない。

野菜や果物の種類も少なく、人参、米、なす、トマト、キャッサバ、パパイヤ、みかん、バナナなどせいぜい10数種類しかない。また、メキシコでは欠かせいトウモロコシをほとんど見ない。魚も売られているのを見ることはなく、豚や鶏肉を見るのみ。

道ばたにはいろんな物売りの人もいるが、持っているのがライター10本とか、ボールペン4本とか、ピーナッツが入った小さな紙筒20本とか、新聞とか物量としてはほんとに少量。針を1本ずつ売ってたり、糸一巻ずつ売ってたりする。

また、車椅子に乗っている人が、CDやDVDを売っているのも見た。政府からの証明書みたいなものを首から下げているので、障害者にはそういう仕事があてがわれているのかもしれない。ちなみに値段は35ペソと45ペソと書かれている。多分、前者がCDの値段で後者がDVDだろう。

野菜売場でバナナを買ったところ1kgが5ペソだったので、CDが一枚売れれば、3日ぶんくらいの野菜は買えそう。

その他、片足のない人が物乞いをしていたり、服の汚れ具合や様相からホームレスと思われる人もいる。見た範囲ではそういう人はたいてい年輩の男性。ただ、メキシコで見たように家族で路上にいるような人たちは見ない。

国の理想としては、そういう人がいないような国を目指しているのだろうが、ソ連崩壊後の90年代の厳しい時代の遺産なのか、やはり路上で生活をしている人はいるようだ(夜に確認していないのではっきりとは言えないが)。

ただ、ハバナが200万人都市ということを考えれば、非常に少ないことは確かだろう。

電化製品や服屋など、店もあるが、店内は薄暗く、外から見ると開いているのかどうかもわからないくらい。また、店内に入っても、物は少ない。選択肢も限られているが、陳列されている物自体が少ない。

店のガラスや建物の外壁にはときおり革命に関するポスターや絵が張られたり、描かれたりしていて、大きな通り沿いにはやはり革命に関する言葉が書かれたどでかい看板などがある。これは社会主義の国ならでは。ベトナムにもあったし、ロシアにもあった。その代わり、日本であふれてるような商業系の看板はまず見ない。

まちを歩いていて印象に残ったのが、とにかく年寄りが多いこと。道ばたで物売りをしている人の中にも白髪のおじいさんと見える人もいる。メキシコではとにかく子どもが多くて、若い人が多いという印象だったが、ハバナでは年寄りの方が目に付く。

杖をつきながら歩いているおばあちゃんもいるし、家の入り口で椅子に座って外をを眺めているおじいさんもいる。キューバでは医療制度が非常に整備されていることは、マイケルムーアが作ったシッコという映画でも取り上げられていたし、日本でもキューバの医療制度を取り上げた本が出版されている。

キューバでは医療費は基本的に無料で、まちの各地区に薬屋があり、かかりつけ医の普及しているらしい。その結果か、平均寿命も70歳を越えているとどっかで読んだことがある。

こうしてまちを歩いて年寄りが目に付くのも、その結果なのかもしれない。

一度、宿に戻り、変更した航空券を置き、また夜に行く野球場の道順を確認する。

ちょうど今、キューバでは野球シーズンで毎日試合はやっているらしい。試合開始は20時半からだが、早く行けば練習も見れるだろうと思い、18時前に宿を出る。

歩いて球場までは30~40分ほど。幹線道路を歩いていくと、右手に球場が見え、路地を入ると目の前にスタジアムが見えた。

球場の外にある練習場みたいなところでは大人たちが草野球をしている。

早速、チケットを買う。外国人専用の切符売り場があり、そこで買う。選択肢は1cucと3cucのふたつ。高い方がバックネット席で、安い方は内野席。迷わずバックネット席を買う。

入り口でチケットを見せると、警備官から金属反応をみる棒(?)で簡単な身体検査があった。中にはいると、見た目70歳くらいのおじいさんが、にこにこしながらスペイン語で解説してくれる。その仕草からどうもぼくの席はあの階段を昇って左の方の座席のよう。

階段を昇ると一気に視界が開け、球場全体が見渡せる。バックスクリーンには今日のチーム名が入っており、一塁側ではすでに選手が練習を始めている。

左のバックネット側に行くと係りの人にここだと言われる。真後ろではなかったので、向こうの席がいいと言うと、ダメだと言われ、その1画に座ることになる。ほかは柵などないのに、ここだけはあるので、どうも外国人専用の席のよう。後から来たカナダ人のグループも同じ1画に座っていた。

日が暮れようとしていた19時頃、パッと球場のライトがつく。さすがに国技だけあってここの電気はケチっていないよう。明るさは日本の球場と変わらない。

20時20分に試合開始。先発は両チームとも左。黄色いユニフォームの方は、左のサイドスロー。珍しい。さすがに肩は強く、送球も早い。あと打球も日本のプロ並みに早い。ただ、ピッチャーの球の速さはだいたい130km台くらいで、球種も3種類くらいしかないよう。

試合はピッチャーがあまり安定せず、遅いペースで進む。2回を終わった時点で時間は21時半を過ぎる。押し出しやホームランなどがあり、22時半の時点で4回まで終わって7対6。さすがにあまり遅くまではいられないなと思い、試合と中だったが帰る。帰りは適当にバスに乗って帰る。宿の近くの道には行きそうになかったので、適当に降りて歩いて宿に帰る。帰り着いたのは23時半頃だった。

同じ宿の人たちは、バーに酒を飲みに行っていて、そこでぼくが見ていた野球の中継もやっていたらしい。次の日、聞いたら夜中12時を過ぎてもテレビ中継をやっていたらしいから、最後まで見たら帰りは1時くらいになっていたようだ。

おわり

2008年2月23日土曜日

メキシコ出国とキューバ入国

2008.2.20(水)
キューバ1日目

目が覚めたのは5時半頃。さすがにこれくらいの時間だと少しは涼しいが、徐々に蒸し暑くなってくる。

8時くらいになると、じっとり汗がでてくるくらい蒸し暑い。葉書を出しに外に行き、戻ってきて荷物の準備。ここの宿はただで荷物を預かってくれるというので、キューバなどに行っている間には必要なさそうな本を別途かばんに整理する。

それからメキシコにいるときはバスの車中などで役立った冬用の上着も置いていくことにする。

9時になってから近くの銀行に行き、あまりそうなメキシコペソをユーロに両替。キューバではユーロが断然に両替率がいいらしい。ただ、日本円があれば、日本円でもいいらしい。日本円からユーロにする手数料を考えると、あまり変わらないらしいから。

10時前に宿をチェックアウトする。持ってきた本のうち20~30冊ほどを宿に預けたので、荷物が軽く、気分がいい。

空港までは、宿のすぐ近くのバスターミナルからシャトルバスが出ているが、空港行きと書いてある路線バスを昨日見たので、それに乗ることにする。そっちの方が圧倒的にやすいから。

が、バス乗り場と思われるところで待っててもなかなか来ない。乗り場が違うのかと思い、昨日、そのバスを見かけた道路沿いまで歩いて行き、待つがやはり来ない。

きちんとは確認していなかったのが、まずかったかな。

バスターミナルからは15分や30分に1本の割合で、空港へのシャトルバスが出ているから、そこに戻る手もあったが、戻るにはちょっと面倒なくらい離れてしまったので、タクシーで行くことに方針を変更。

道ばたにあるタクシー乗り場に行って、空港に行きたい旨を伝えると、運転手のおじさんは15ドルと言い出す。おいおい、出たよ、15ドルってどんだけとるんじゃと思い、No、と言う。タクシーだと早くつけるなんて言うが、無視。

別のタクシーに聞こうかと向きを変えると、別のおじさんが40ペソと言う。いきなり4分の1になった。まぁ、それならとそのおじさんの車に行く。

すると、助手席の所では空港のマークが胸に入っている女の人が、携帯でなにやら話しており、後部の座席にはジャケットはないがスーツ姿の男の人が、1人すでに座っている。安くなったのは、これが乗り合いタクシーだからだった。

例のごとく乗客が4人集まるまで発車しないから、当然、予定は立たない。ただ幸いなことにあと1人だから、そんなに待つこともないだろう。そんなことを思いながら、5分ほど待つ。

空港には出発の3時間前にチェックインするよう言われていた。空港まではバスで30分と聞いていたので、順調にバスに乗れれば4時間前くらいに着くように宿を出た。具体的には飛行機の時間が14時半なので、10時に宿を出ていた。

しかし、すでに宿を出てから30分が過ぎている。もしあと1人が、あと15分たっても来ないようであれば、自分が2人分払うから車を出してくれと頼もうか。そんなことを考えはじめたときに、30代くらいの男性が登場!

これで4人そろい晴れて車は発車。ぼく以外の人は、車中で携帯でメールをしたりどこかと連絡取ったりしている。

車はときに80km/時までスピードを上げながら走る。一緒に乗っている人たちが空港の方面だけど、別のところで降りる予定をしており、車があちこち寄り道したらどうしよう、という若干の不安はあったもののそれは杞憂に終わった。

20分ほどで、寄り道することなく無事に空港に到着。

40ペソだったが、50ペソ札しかなかったので、それを渡し、「お釣りはとっていて」とスペイン語では言えないから、お釣りを探すおじさんにNoとだけ言って、去る。ちょっとかっこいい。

空港にはいると各航空会社ごとのチェックインカウンターが50mほどにわたって並んでいた。ぼくが乗るクバーナ航空の名前を探して歩くが、見あたらない。

なので、空港のインフォメーションで聞くと、3つ向こうにあるという。たしかにクバーナはあったが、そこはチケットを売る窓口だった。でも、同じ会社の人だからわかるかなと思って、どこでチェックインできるか聞くと、スペイン語でべらべらとなにやらいいながら、すぐそこを指さす。

そこには、20人くらい列ができているが、列の先頭が並んでいるチェックインカウンターには会社名の表示がない。他であれば会社名とそのマークが壁に貼られているのだが、そこは空白。

う~ん、ここでいいんだろうかと思いつつ、でも、キューバだからさもありなん、と思いながら列に並ぶと、すぐにぼくの後ろに並んだヘミングウェイみたいなじさんが、前に並んでいた人にこの列はハバナ行きかと聞いて、”Si”と答えていたので、ようやく確信できた。

ぼくの前に並んでいたのは、親子と思われる成人男性2人組で、どでかいボストンバック4つとさらにちいさなリュック2つを持っている。かぶっている帽子にはMiamiとあるから、キューバを脱出した親族なり知り合いなりがアメリカのマイアミにいるのかもしれない。まぁ、帽子だけでそんな判断はできないけど、何年構えからキューバ政府はそうしてキューバから出ていく人たちに対し、以前よりは慣用になったとどこかで聞いていたので、可能性としてはありえるだろう。

その前に並んでいる人たちも何キロあるんだろうというくらいの大荷物。ちなみにぼくの前に並んでいた人たちの荷物は計量しているところを見たら1つ22kgほどあった。だから計100kgはありそう。

列で待つこと30分。ようやくチェックインが始まった。電源が入っていなかったチェックインカウンター上部の電光掲示板にはちゃんとクバーナのハバナ行きと表示が出た。

チェックインカウンターの前には、日本でもある列の誘導ポールが蛇の目に張られているが、並んでいる人がポールポールの間を結ぶひもを勝手にいじって蛇の目を解除し、まっすぐにする。そして、こうしたらいいじゃん!、みたいなノリで盛り上がっている。

しばらくは、そのままでみんなまっすぐに並んでいたが、さすがに並ぶ人が増えたところで、係員が元に戻す。

チェックインカウンターでは、航空券とパスポート、メキシコの入国カードとキューバのツーリストカードを手渡す。対応していたおじさんの隣に断っていた若い男性社員の人がなぜかそのおじさんにちょっかいを出しており、おじさんの胸ポケットにあるボールペンをさっと抜き取ったりしている。

おじさんは真面目に接客しているだが、そんな男が横にいるから、ボールペンを取り返してはまた取られるということを2回ほど繰り返して、おじさんが少し強い口調で何やら言うと、やっとその若い男はそのじゃれあいを止めた。さすがキューバだ。

それ以外は手早く、さっさと手続きは終わる。パスポートとメキシコの入国カードが裏にホッチキスで止められた航空券、それからキューバのツーリストを渡され、それに加えて関税申告書とA4の紙を渡される。

A4の紙には、スペイン語でのみ注意事項が書かれており、英語と共通している単語を見る限りでは税関申告に関する注意事項のよう。

それらを持って、手荷物検査場へ。日本と同じように用意されているプラスチックのケースに手荷物と金属性のものを入れ、X線検査がある。

人間は問題なく通ったものの、ウェストバックがひっかかる。10代にも見える係員の女性が、中を開けろとうので、チャックを開けると、ぼくに手袋をしている手の甲と手のひらを見せ、何も持ってませんよと断った上で、中を調べ出す。

チャックが付いているものや袋に入っているものすべてをチェックして、もう1度機械を通す。そして、サンキューと言われ、終わり。

中に入ると税金無料の店や食事できるファーストフードコーナーがある。ファーストフードはメキシコ料理系とハンバーガー、ピザ屋、それからバーみたいなところがあった。

ちょうど時間は12時なので、飯を食うことにする。ファーストフードコーナーにあるメキシコ料理系の店には客がほとんどいない一方、バーガーキングには10人くらいの列ができている。しかも、次々に並ぶので列が消えることがない。バーガーキングが一人勝ちの状況。あちこちから英語が聞こえてくるので、バケイション帰りのアメリカ人なのだろう。

バーガーキングなどはドル表示だが、メキシコ系はペソ表示。バーガーキングは一番やすいのを見ても7ドル台と高いので、やめる。

メキシコ系のファーストフードにするが、やっぱりこっちも高かった。85ペソ(900円くらい)のパイみたいなののセットを頼む。パイの中身は黒豆とチーズ。ファーストフードなので、たいしてうまくはないが、ヘルシーなぶんだけよい、ということにする。

飯を食った後、搭乗口の待ち合い席で関税の申告書を記入。すべてスペイン語なので、辞書をひきひき、うとうと居眠りしながら記入。

そうこうしているうちに2時間経ち、搭乗が始まる。見たところ同じ飛行機に乗る日本人は8人。女性2人組が2組と、男性2人が1組、あとぼくと女1人旅風の人。いずれも20代と思われる人ばかり。

他の国の人で言うと、カナダやアルゼンチン、メキシコの人がいる。

バスに乗って飛行機へ。

機体の入り口にはロシア語でなにやら書いてある。機内にも案内板は英語とロシア語で書かれている。噂ではかなりひどいと聞いていたが、そこまではひどくない。新しくはないし、緊急時のパンフレットも席によって置いてあったりなかったりだし、テレビもないが、ひどくはない。

ただ、緊急脱出用の浮き道具はかなり古そうで、これは必要になったときにはちょっと怖そうなくらい。

14時半の予定が、空港が混んでいるのかなかなか離陸せず、結局離陸したのは15時15分。

機内では、カナダ産のスナック菓子とジュースなどの飲み物が出される。飲まなかったが、もちろんキューバを代表するラム酒であるハバナクラブも用意されていた。

離陸してから50分ほどして窓の外に陸が見えてくる。そして1時間後には着陸。無事着陸すると拍手がわいた。着陸時に拍手なんて、アルメニアに行った時以来。あのときもロシア製の飛行機だった。

飛行機を降り、入国審査に行く。キューバの入国審査では泊まる場所を聞かれるので、ホテル名と住所を控えて置いた方がいいと事前情報にあった。他にもあれこれ聞かれるのかなと思い、すんなり入れそうな人のよさそうな顔の人を捜す。が、わりと若い人ばかりで似たような感じ。空いたところに入る。

20代くらいの女性で、最初スペイン語で聞かれるが、スペイン語は話せないと断ると英語に切り替わる。

パスポートとツーリストカードを渡すと、どれくらい滞在するのか、目的は何かと聞かれる。ぼくは一度ドミニカに行って、また帰ってくるので、それを説明するとなんだか難しい顔をするので、飛行機の予定表を見せる。すると、、いくらおカネを持っているかと聞いてきて、ドルでは10万円相当と言うと、なんか疑うような顔をし、ちょっと待っててと待たされる。

その人は年輩の職員の人を呼んでなにやら相談している。こんなことになるならドミニカに行くなんて言わなければ良かったと思いながら待つこと5分ほど。

呼ばれてまた行くと、キューバは初めてと聞かれ、OK
となり、"Welcome to Cuba"と言われ、通される。なので、ドアの方を向いて、歩き出すとなぜか名前を聞かれ、答えると笑顔でうなづく。なぜ聞いてきたのか謎。もしやマークされたか?

さて、次は荷物。無事、届いておりピックアップ完了。空港から中心地までのタクシー代が3000円くらいするので、その辺にいた日本人に同じ方向か聞くが、違うところばかり。しょうがないので、一人で乗ることにする。

関税の申告コーナーはあったが、素通りできるような作りだったので、素通りし外にでる。よって、メキシコの空港での翻訳作業は不要だった。

外に出たら、まず両替。45ユーロぶん替える。それからインフォメーションで地図を書う。4.9cuc=550円くらい。

タクシーは客引きがいて、英語で話しかけてくる。聞くと30CUC(クック)と言う。事前情報では25CUCまで落ちるというので、高いというと25CUCまで落ちる。

タクシー代に3000円なんて日本でも使わないけど、しょうがない。

タクシーに乗ると客引きのにいちゃんが、自分にチップをくれという。1CUCのコインを渡そうとすると、No coinという。札は5CUCしかなく、チップで500円超なんて払うかいな、と思うも、このにいちゃんもこうして何も知らなそうな客につけ込んで、あの手この手で稼いでるんだろうなと思い、5CUCを渡す。笑顔でサンキューと言って、にいちゃんはまた次の客を探しに行く。結局、30CUC払ったわけだが、おカネに余裕がなければチップなんて断っても大丈夫だし、客引きを無視して、自分でタクシーと直接交渉することもできるだろう。

あと、実はバスで市内まで行けるという情報もあったが、バス停までけっこう歩かないといけないらしく、ちょうど雨が降っていたので、これはやめた。

こっちはCUCではなく、人民ペソと訳されているキューバ人が一般に使っている通貨で1ペソなので、格安。ちなみに1CUC=24ペソ。

どういうことかというと、キューバは今、二重通貨制をとっていて、観光客=外国人が使う通貨と一般のキューバ人が使う通貨を分けている。以前は、アメリカドルとの二重通貨制だったが、それを2004年から現在のかたちにした。

ちなみにペットボトルの水1.5リットルが1.5CUC、安いホテルでも50だが、ペソが使えるところだとソフトクリームやキューバ式ハンバーガーが1ペソなど。なので、観光客向けの店で買い物をするなら、日本と物価はほとんど変わらないが、ペソを入手して、キューバ人が通常使っている店で買い物をすれば、かなり安く済む。

タクシーの運転手は40歳くらいの気のよさそうなおじさん。車はわりと新しく、音も静か。外の気温は23度となっている。空港の周りはきれいに整備されており、ちょっと那覇空港に似ている感じがした。

先ほどまでの雨はあがった。

車窓から見ての第1印象は、とにかく木が多い。人はメキシコではまず見なかったアフリカ系の人が多く、あと白人系の人も多い。アジア系の人は見た範囲では皆無。メキシコでは宮崎の友達に似ているような人が時折いたが、ここでは見ない。

古いアメ車や壊れかけのバスが、黒い排気ガスを出しながら走る。30年くらい使っているんじゃないかというなチャリに乗っている。一方でメキシコの1等クラスのきれいなバスも走っており、これは意外だった。

道路もよく振動は少ない。運転手は一言も話さない。2人のバイクがちょっとふらふらして進行の邪魔になると、右手を挙げてなにやらぶつくさ文句を言う。

葉物が植わっている畑やぼろぼろのアパート見ながら走ること20分超。ホせ・マルティのモニュメントが見え、右手に古いヨーロッパ式の街並みが見え出す。

宿の住所を運転手に渡していたので、すんなり行くかと思っていたが、細かいところがわからなかったようで、近くまで来たときに何人かに道を聞く。同じ所を2回まわる。

建物の間の道では子どもたちが上半身はだかのまま野球をしている。道ばたで野球をしている国なんて、これまで10数か国まわった中で初めて。もちろん、バットは木切れのような棒で、ボールも手作りのようなボール。まさしく日本の昭和30年か?

どうもぼくが渡していた住所の道路名がちがっていたようで、迷った末に宿があるビルに着く。運転手に25CUCを払う。

さて。入り口のドアを押したり引いたりするが、開かない。そこへ10代後半くらいの男の子が来て、開けてくれる。そして、自分はCASAの人間だという。どうもこの人の家らしい。

エレベーターに案内される。日本と違って、エレベーターのドアは二重になっていて、エレベーターそのものに付いているドアと各階の入り口のドアとがある。見た目は倉庫の入り口のようで、一瞬ほんとに動いているのだろうか疑ったが、ちゃんと動いているようだった。

押しても反応しそうにないボタン。非常ベルもあるがいざというときに使えるのかかなり怪しい。

10階に付き、エレベーターを左に出て突き当たったところが、これから泊まる宿だった。ドアが開いて、男の子の母親と思われる人が中へと案内してくれる。

ここは日本人の人が仲介している宿ということで、食卓では3人の日本人が食事をしていた。春に卒業する大学生(女)2人組と休みをとって来たという31歳の男性。

荷物を置くと、宿帳に記入するように言われる。この家の人は日本語はまったくできない上、英語もほとんどわからないよう。宿帳には日本語で記載事項が書かれてあり、番号を見るとぼくは252番目のようだ。

想像していたよりも家はきれいで広く、ものがある。奥の部屋にはパソコンが見える。部屋に案内されるとそこは日本人ばかりが泊まる部屋のようで、普通のベッドが2つと二段ベッドが一つ。計4人が泊まれ、今日はすべて埋まっている。本棚にはキューバに関する本などが20冊ほどある。

荷物を置いたら食事。これまでメキシコで多様で豪勢なものばかり食べてきたから、その質素さには少し驚く。ご飯はメキシコと同じく粘りけはなく、パサパサしている。バナナチップはポテトチップと同じように塩味になってり、最初はポテトチップかと思って食べていたほど。

食事後、部屋に戻る。10階ということで、部屋の窓からはハバナのまちが見える。見える明かりはアパートの部屋の明かりとライトアップされた教会らしき建物など、200万都市の中心部ということを考えれば、食らい方だろう。

シャワーはユニットバスのようになっていて、風呂桶の中で浴びる。メキシコでも宿によってはお湯がにくかったが、ここはお湯らしいお湯がでない。はっきり言えばそんなに冷たくない水。水量もメキシコと比べると少なく、弱い。石鹸は付いていたので、それを使う。

時計を見ると、9時。今日、着いたばかりという男性は寝てしまう。

部屋にあった情報ノートを読むと、あるわあるわ被害事例。バスに乗ってたら、背中に背負ってたリュックのチャックを開けられて何かを取られたとか、親しげに話しかけてきたキューバ人に第3の通貨があって、それを使った方が得だと言われ、その言葉を信じて両替したらただの人民ペソで、それで5万くらい損したとか。やっぱり日本人はやらかしています。スリにやられるならともかく第三の通貨なんて・・・、相手方もよく考えましたなぁ。そんなことでだませると見切られているのが、なんとも悲しいところで。

ここの宿はこの家のパソコンを使ってネットができる。日本語の読み書きができる環境も整備済み。料金は1時間4CUCとメキシコの5倍。日本のネット喫茶よりも高い。スピードはダイアルアップで遅いと聞いていたが、そんなこともなくADSLよりちょっと遅いくらい。最初に使用時間を聞かれ、その時間に合わせて手動式のタイマーがまわされる。だから、ネットをしている間中、チッチッチと時を刻む音が聞こえてくる。そして、時間になったらジリリリンとなり、その音を聞いて宿主が止めに来る。代金は最後に払うようだ。

ネットをした後、本を読んだり、部屋の人としゃべってたりしたら夜中まで起きていていた。カンクンと違って、気温も26度ほどと眠りやすい。窓は全開だが、蚊もいないので、久しぶりに気持ちよく眠ることができたのでした。

2008年2月21日木曜日

キューバ到着

どうも。

キューバはハバナの宿です。
詳細は別途書くとして、とりあえず到着のご報告です。

現在、ハバナは2月20日の夜8時20分。先ほど食事しましたが、
リビングのテレビではカストロの引退に関するテレビ討論みたいな
番組をしていました。

ちなみに、泊まっているのは政府公認の民宿でCASAと一般に呼ばれて
いるものです。

到着時、雨が降っていたこともあってカンクンよりもこちらのほうが
涼しいですね。タクシーの温度計は23度でした。

メキシコと違って、やはりアフリカ系の人が多く、キューバに来たって感じですね。

写真は乗った飛行機と空港から宿までのタクシーの中で撮ったものです。





着いたばかりの空港の景色


カストロのバッティングフォーム



今晩のご飯。
黒豆ご飯(塩味つき)、バナナフライ(ポテトチップとほぼ同じ味)、豚肉のソテー、ニンジン、サラダ

2008年2月20日水曜日

これからキューバへ

今、カンクンは2月20日の朝の8時です。

今日の14時半の飛行機で、キューバはハバナ行きます。
1時間30分ほどのフライトで、今日の夕方17時くらいにはハバナに着きます。


ところで昨日、カストロが政治的な地位から退位したというニュースがありましたが、
キューバから帰ってきた人の話では、キューバ人の何人かがカストロが死んだと言っていたそうです。

別のキューバ人はそんなこと知らないとも言っていたそうで、真偽は怪しいです。
一般に流れているニュースを見る限りではまだ死んだというニュースはないですよね?

2週間ほどキューバにいる予定なので、もしかしたら何かがあるかもしれませんね。

では。

キューバへの準備の日

2008.2.19(火)
カンクン2日目

昨夜は夜中まで日記を書いていたのに、朝は7時前には目覚めた–やっぱり蒸し暑くぜんぜんさわやかじゃない。

外に干していた洗濯物を見に行く。これまでのまちだったらだいたい一晩で乾いていたが、こっちではかなり湿っている。

1階に降りていくと何人か既に起きていて、これから行く場所の下調べをしている。ある人はイスラ・ムヘーレスというドルフィン’アーやシュノーケリングで有名な所に行くという。

彼はここに泊まっていった旅行者が書き残していった旅の情報ノートから使えるものを自分の手帳にメモしている。

彼が見おわったところで、ぼくはそのノートを借り、キューバ情報などをメモする。めちゃくちゃまめに書いている人もいて、自作の地図状に宿の位置やおいしい料理屋の位置など、事細かに書かれているページもある。

そのノートを見た後、本棚にあったカリブ海関係のガイドブックを見る。自分の不要な部分のみこの宿に残していったようで、どのガイドブックもキューバのページは抜かれていて、日本語での情報収集は困難。けっこう当てにしていたのだが。

9時をまわったところで外出する準備をして、外に出る。まずはカネをATMでおろし、ベリーズの大使館でビザを取ろうと思い、ロンリープラネットの地図にあった辺りをうろつくがなかなか見あたらず。

4人ほど聞いて、ここらのビルかと思い、入るとあたり。ベリーズの国旗が窓に貼られている。入口には開館時間は9時から15時とあるのにドアは開かないし、人がいる気配もない。

また後で来ることにして、先にキューバなどに行くための航空券の発券をしてもらいに旅行会社に行く。メキシコシティでチケットを買った会社の支店がこちらにもあるので、こちらで発見してもらう予定をしていたのだ。

ビルの外に出ると、昨日同—暑い。昨日よりも雲が多いので、若干日差しは弱いい気がするが、歩いてると額から汗がしたたり落ちてくる。ズボンを厚手のジーパンしか持ってきていないので、そのせいもあるだろうが。

歩道を歩いている人は少ない。ふらふらと15分ほど歩いて旅行会社に到着。チケットを発券してもらう。

それから一旦ベリーズ大使館に戻る。やはり人がいる気配はない。隣の事務所の人に、ここが大使館か確認すると、そうだという。

ドアの前でどうするかなと思っていたところへ、その事務所の人が出てきて、あっちにこのビルの管理人がいるから、そこで聞けばいつ開くか教えてくれるだろう、というようなことをスペイン語と英語を交ぜながら教えてくれる。

その教えに従って、管理人に聞くといつ開くかはわからないという。それでなんで大使館を探しているんだ、というようなことを言われたので、ビザがほしいというと、ここでは入手できない、といったことを言われる。

ベリーズ(これは国名ですよ)のビザはメキシコとの国境でも取れるが、キューバからの帰りの時にメキシコ以外の国に出るチケットを求められたときには、そのビザを代わりに見せてみようという魂胆だったのだが、どうもそれはできないようだ。ビザを事前に入手しすることによって、メキシコ以外の国に出ますという意志を示す証拠にしようと思っていたのだが。

まぁ、しょうがないので、これでベリーズビザの入手はあきらめ、しばしまちの探検。屋台や市場で食い物を買ったときに使うための自分用のスプーンとフォークが欲しかったので、それも探す。

中心部からバスで5分ほど南に行ったところにはプラザアメリカというショッピングセンターがある。まずはそこに行ってみたら、いわゆるブランドショップばかりで、スプーンやフォークは見あたらない。一角に巨大なワンフロアのみのスーパーがあり、そこにはあったが、フォークだけ4本とかという売り方しかしていないので、ここで買うことはやめる。

それにしてもメキシコの金持ち向けのショッピングセンターなのだろうが、見たことがある有名店ばかりで、結局、カネがあると同じようなものを買いたくなるのかと不思議に思う。もちろん、ものがいいというのもあるかもしれないが。

ちなみにそこにはニンテンドーDSやWiiも売ってました。客はいなかったけど。

そこを後にして、今度は地図に載ってたウォルマートに行く。アメリカでは典型的な大型スーパーに行くことができなかったので、フォークのこともあるし、行ってみることにしたのだ。

カバンを持ったまま入ろうとすると、入り口にいた係員の人に英語で止められる。そして、持っていた口が開いているカバンの口を、何やら赤字で書かれた用紙と一緒にホッチキスで留められる。おいおい、直接カバンの口をホッチキスで留めるかよ!

さらにウエストバックはチャックもプラスチックの留め道具で開かないように、留められる。やれやれ。小さいスーパーだったらカバンを預けておしまいなのに、こっちの方がカネがかからないということなのか? 

ウォルマートは想像していたよりもはるかに雑な店だった。倉庫のように商品が積み上げられ、店のレイアウトもくそもなく、まるで卸売り市場に来たような感じ。ここにはスプーンなどは見あたらず、ま、あってもかばんにそんなことするような店では買いたくないから、店内を一回りして出る。

店内には寿司をのコーナーもあり、メキシコ人らしい人が何人か寿司を注文していた。どこかの宿で一緒になった人が、アメリカにいたときに自分は太巻きを作り、アメリカ人がカリフォルニアロールを作ったところ、太巻きばかりが残ったという。太巻きが残った理由を彼は、外に海苔が付いていると、その海苔がのどにひっかかりアメリカ人にとっては飲み込むのが大変だから、と説明していたが、たしかに太巻きのようなものは売られていなかった。でも、海苔がのどにひっかかるって、ただ単にちゃんと噛んでいないか、口に入れすぎているだけだと私は思うのですが・・・。

ウォルマートを後にして、すぐ向かいにあるPlaza China Townに行く。ここならスプーンはおろか箸が売っている“ろうと思っていっ”ら、な”てことない中華料理の店と土産品みたいなものが売っているだけで、日用品はなかった。あわよくば箸を’ットし—う—思って“たのだ“、この•点で完全にあきらめる。

それから地元のスーパーに行く。そこにばら売りのスプーンとフォークがあったので、そこで買うことに。まぁ、これからどれだけ使うかわからないけど。ちなみにお値段は1本90円ほどで‚Made in Brazil。

そのスーパーの近くにはアメリカンエクスプレスの店があったので、ドミニカのためにトラベラーズチェックを現金に換える。アメリカと違ってサインとパスポートを見せるだけでOK。ぼくはドルでもらいたかったのだが、ペソで換算してそれから再度ドルに両替する仕組みのようで、その為替差額ぶんで14ドルぶんが消える。ああ、一泊分の宿代が・・

その後、郵便局で切手を買い、例の観光地—されている市場に行き、早い夕食をして夕方前には宿に帰る。

腕や首周りが赤く火焼けており、日差しの強さを改めて感じる。

夜はキューバ行きの荷物の用意。ここの宿は無料で荷物を預かってくれるので、キューバなどには持っていかない本を一つの袋にまとめる。

宿には新たな宿泊者が何人か登場。アラスカから自転車で南下しているという人や南米からチャリで北上してきてベネズエラから飛行機でカンクンに入ってきたという人、キューバに2~3日ちょっと行ってきたという人等々。

というわけで、明日(2月20日)はキューバへ移動です。

おカネの話ーロス、メキシコ中間決算

2008.2.19(火)カンクン(Cancun)、メキシコ

旅が始まって20日間が経ちました。
明日(20日)からキューバなどに行くということもあり、ここまでの宿代と交通費(長距離)だけ披露します。

【宿代】
1.アメリカ合州国
ロサンゼルス 18ドル×2泊=36ドル

2.メキシコ合州国
・グアダラハラ 125ペソ(1ペソ=9円)×4泊=500ペソ 
 ※ユースホステル会員割引10ペソ差し引き済み
・グアナファト 8ドル×2泊=16ドル ※ドル払い
・メキシコシティ 9ドル×4泊=36ドル ※ドル払い
・サンクリストバル・デ・ラスカサス 
 1軒目 45ペソ×2泊=90ペソ
 2軒目 70ペソ×1泊=70ペソ
 ※ユースホステル会員割引10ペソ差し引き済み
・カンクン 8ドル×2泊=16ドル

計17泊 1万7380円
(1ドル=110円、1ペソ=9円で換算)
※バス3泊分は除く

というわけで、1日1000円程度ということで、まずまずですね。

宿は基本的にユースホステルと日本人宿で、一人部屋にはまだ泊まっていません。いわゆるドミトリーというやつで、最低で3人部屋ですかね。最高で7人くらい。

交通費の方はやっぱりけっこうかかっています。

【交通費】
1.成田→ロサンゼルス航空券 約7万(燃料代込み)
2.ロス空港→宿 25ドル(※もっと安くできた)
3.ロス→サンイシドロ(メキシコとの国境の町)
 ・宿→ロスUnion Station(20分) 1.25ドル
 ・Union Station→San Diego(Santa Fe)(2時間45分) 29ドル
 ・Santa Fe→San Ishidoro(1時間20分) 2.25ドル
4.ティファナ(メキシコ側の国境の町)→グアダラハラ(33.5時間)
 86.44ドル
5.グアダラハラ→グアナファト(4時間)
 261ペソ
6.グアナファト→メキシコシティ(5時間)
 282ペソ
7.メキシコシティ→サンクリストバル・デ・ラスカサス(13時間)
 788ペソ(1等)
8.サンクリストバル・デ・ラスカサス→カンクン(18.5時間)
 760ペソ(デラックス。でも、1等と変わらず。しかも隣の人がでかくてこっちまではみ出してるし、夜いびきかいている人もいるし、寒いし・・・やれやれ)
 
計 約78時間、約3万2122円
(1ドル=110円、1ペソ=9円で換算)
※飛行機代除く

よって、ロスに入って以降の宿泊費と交通費は合わせて約5万円。

これに1日の食事代が入ります。ぼくはよく食べるので、1日1500円くらいでしょうか。

あと美術館とかは1カ所500円くらいするので、たくさん行くとたくさんかかります。

カンクン到着とその 第1印象

2008.2.18(月) カンクン1日目

けつが痛くなる度に目が覚めた。幸いなことに、通路を挟んだ反対側の椅子が空いたからそっちに移り、2席分座っていたが、夜中隣に乗ってきた。でも、最初のおじさんよりかはまし。車内ではだれかいびきが聞こえる。

夜が明けてきた頃、目が覚める。
すっかり低地に下りてきたようで、景色が平べったい。

中央分離帯には実をつけた椰子の木が立ち並んでいる。ときおり、観光用かと思える椰子の葉で屋根を葺いた建物が見える。建物の中を見ると、レストランだったり、表にホテルの名前が書いてあったりする。

いよいよリゾート地に入るんだな、と思ってたら、車内に案内が流れ、Tulumというバスターミナルに着くという。ガイドブックを見ると、カンクンとは違って静かにのんびりしたい人に最近人気が出ている地域で、ここの海も絶品らしい。

それから3時間。道ばたの標識にCancunの文字が見え始め、10時半にはカンクンのバスターミナルに着く。ここもメキシコシティ並みに大きいのかと思っていたが、たいしたことはなく10台ほどしか一緒には入れないくらいのターミナルだった。

バスから降りると、これまでになかったムンとした熱気に包み込まれる。暑い!

ありがたいことに、ここのターミナルは町中にあり、宿までは歩いて数分で行ける。グアダラハラで一緒の宿だった人に教えてもらった安宿に向かう。
地図を見ながらうろちょろしていたら、突然、白人の男性が英語はできますかと話しかけてくる。何かと思ったら、ここを探しているんじゃないですか、とユースホステルのビラを見せてくる。

いやいや、行きたいところがあると、その宿の名前を言うと、「Oh,Japanese hostel」と言われ、これから向かおうとしている宿が日本人宿ということをはじめて知る。

バス停から10分足らず歩いたところで、宿発見。たしかに入り口に日の丸とカタカナでホステルと書いている。

予約なしでも空きがあり、無事チェックイン完了。
いつもなら早々に出ていくのだが、あまりに暑いので、睡眠不足もあってか体がだるい。

キューバの宿を予約したサイトからの返事がまだだったので、それを確認がてらネットをする。

その他、本棚にあった情報ノートなどを見る。

1時間ほどしてようやく出られそうになったので、外に出る。とりあえず海の方に行こうとバスに乗り、ホテルゾーンと呼ばれている地域に向かう。

次々と大型のホテルが現れ、その隙間から海が見える。

海の色はほんとにエメラルドグリーン(?)。今まで見た海の色とは違う。

それに比べてケバいのが、その街並み。ヒルトンなどの有名どころがぼかぼか巨大なホテルを建て、ゴルフ場もあるわ、ブランド品のショッピングセンターはあるわ。そんなもん自分の国で買えや、と言いたくなるような店ぞろい。

しかもバスで走っていて、建物が邪魔で海が見えない!

20分ほどしたら一般に解放しているらしいビーチが見えたので、そこで降りる。

いやいや海の色といい、波の具合といい、たしかにいいところですなあ。(リンク欄のfotosの写真参照)

浜辺をずっと歩いて戻ろうかと来た方向に歩いていくと、浜辺から海にかけてロープが張っているではないか。向こうにはヒルトンホテルの客らしき人々が、パラソルの下でのんびりしていらっしゃる。見張り役みたいな人もちゃんといて、こっちを見てるので、素直に引き返し、バスに乗って帰る。

あまりに暑く、のどが渇いたので、ショッピングモールで下車し、水を買う。

店を見て回るとドル表示が基本のよう。聞こえてくる言葉も英語ばかり。

手元の温度計を見ると気温は36度で、湿度が60%。これまでのまちは湿度が40%程度だったし、気温もせぜい28度くらいだったから過ごしやすかったのに、さすがにこれでは長袖ではきつい。

日差しも強い。真っ白な浜辺では目を開けるのにすら苦労するくらい。

水を飲んで、体を冷やす。

宿がある中心街に戻り、飯でも食おうかと思ったら、なんということか屋台がない。首都のメキシコシティでもあれだけ狭い歩道に所狭しと並んでいた屋台が、ここでは10人が横に並んで歩けるくらいの歩道にもない。

ちょっと歩いてもあるのは果物屋さんの屋台が2軒ほどでタコスなどまったくない!

これはどういうことだ? 観光客受けするようにアメリカの路上のようになるように、もともとはあった屋台を排除したのか。それとも、ここの人たちには屋台を使う習慣がなかったのか。それとも、別の地区には屋台がたくさんあるのか。これまで行ったまちはいずれも植民地時代に都市計画がなされ、ひとが まちを歩けるような設計がなされていたが、ここはそういうこともなく、車が優先。そもそも人があるいていないからそのようなことが起きているのか。

それから、ここでは屋台もさることながら、サンクリストバルにはうじゃうじゃいた犬もいない。

体がなんだか火照った感じになってきたので、適当な店で飯を食い、メルカドによる。

メルカド(市場)は、野菜などは売っておらず、完全に観光客向けの土産品ばかりと何軒かの食堂があるだけだった。よせばいいのに、ここでまた食事。

これで宿に帰る。

結局、カンクン1日目は、海以外はがっかりするばかりで、大変つまらないまちだなというのが、第1印象だったのでした。

サンクリストバル・デ・ラスカサスからカンクンへ(詳細)

2008.2.17(日)

昨晩の早寝のおかげか6時半には目覚める。外は半袖ではちと寒い。昨日までの宿と違って、犬の鳴き声もなく、外は静か。

昨日の無茶食いが聞いたのか、腹の調子が悪い。そういうわけで、バスは高いけど1等に決まり。

11時のチェックアウトまで日記の整理等。

11時前にチェックアウトする。ここも部屋に鍵がなかったので、グッバイするだけ。

思いザックを背負い、15分ほどおお汗を書いて、バスターミナルに到着。この時間になると、既に暑い。

12時半のバスに乗ろうと思っていたが、窓口(昨日と同じ女の人)で聞くと15時45分のバスが2席空いているだけだという。う~ん、と考えてしまうと、窓口の人はあっちを向いて、昨日と同じように、まったくこいつは、みたいな態度をする。

そこへ隣の窓口で対応していた男の人が、入ってきて英語で聞いてくる。それで、これしかないことを確認し、しょうがないので、それを頼むと760ペソ(約8000円)と言われる。予定していた金額(630ペソよりも高い。切符を見ると1等よりもさらに上のクラスだった。

グアダラハラーグアナファト間のように水500mlとお菓子とパンが付くならいいかと思っていたが、実際は水のみ。後部でいつでもお湯がとれるが、コーヒーの粉などは自分で用意していないとダメなよう。

15時45分まで4時間ほどあるので、中心部に戻る。中心部の広場の椅子に座っていたら、この間、断ったストラップなどを売っている女の子ふたりが近づいてくる。そして、ひたすら売り込まれる。2人なので、1本ずつでも試しに買うかと思っていたら、そこへやはり同じものを売っている別の女の子2人が様子見なのか寄ってくる。

さすがに4人からそれぞれ買うのはちょっとと思い、断ると、後から来た2人は早々に別のところへ消える。

いなくなったところで、最初の2人から1本ずつ買う。一本が20ペソ、もう一本が25ペソ。いらないと言っているうちは二本で30ペソと言っていたのが、最後はもっとということになった。あるいは最初にこれとこれで30と言っていたのを、指定したもの以外をぼくが選んだから、そうなったのか。とにかく言葉がわからないからようわからん。

選んでいる間も、2人でハポネス(日本人)は、なんとかと言っていたが、それがどんなことを言っているのかはわからなかった。

おカネを払ったら、くるっと向こうを向き、アディオスと一人の子が言って去っていった。

場所を変えて、その広場を別のところから見ていたら、やっぱりストラップを売っている別の女の子がこっちに寄ってきた。さっきの子らよりも小さいから7~8歳くらいだろうか。

さっき買ったのははちまきくらいの幅のある編み物だったが、今回は小さなストラップのみ。いくらか聞くと4本で10ペソと言う。そんなに安いのかと思い、4本、いいと思う柄のものを選び、10ペソコインを渡す。
にこりとすることもなく、彼女は方向を変え、また別のところへ行った。

ぼくはバスターミナルに戻り、1時間ちょっとの間待つ。

15時45分の発車時刻が来てもなんの案内もない。同じバスに乗るのであろう人たちが、係員に聞くと、もう少し待ってくれ、みたいなことを言われている。

遅れるなら遅れるって案内を出せばいいのにと思うのだが、それはメキシカンスタイルなのか?

そうして遅れること15分、無事乗車開始。
これまで乗ったバスとは乗っている人が違う。観光地に行くということで、年輩の白人の旅行者が5~6人ほどいる。

ぼくは便所の2つ手前の通路側の席。そこに行くと、でかいおじさんがすでに奥に座っていた。あいや!

椅子に座ると、やっぱりおじさん、はみ出している。肩をすぼめていないとおじさんに当たるので、非常に窮屈。デラックスだからどんなに乗り心地がいいかと思えば、結局、乗っている人間も体積がデラックスな人が多いから、運が悪いと逆に窮屈にな思いをすることになる。

しかも、みんなカーテンを閉めてしまっているので、外すら見えない。なんてこったい。これまでで最悪のバスの移動だ。

見たいものも見れないので、乗ってすぐに寝る。しばらくして、目が覚めると、そこは山の中だった。

山腹をバスが上っており、細い道路をくねくね走る。さっきまで閉まっていたカーテンが開いていて、外を見ると、山の斜面などにバナナを植え、家を建てて暮らしている人たちの集落が見える。山は樹種も多様。

日が昇っている間中、外を眺め、暗くなってきたらまた寝る。

バスが止まった感じを受け、目を開けると軍服を着た人が2人バスの中に乗り込んできていた。適当に乗客の荷物をチェックしている。こりゃなんか聞かれるだろうなと思っていたら案の定、ぼくの席のところで立ち止まり、低い小さな声で「Como se llama usted(コモ セ ジャマ ウステ=名前はなんですか?)」と聞いてくる。

名前を答えれば良かっただけなのかもしれないが、スペイン語であれこれ聞かれてもわからないので、パスポートを見せると、それをしばらく眺めた後、ぼくに戻し、足下にあったにカバンの中身を見せろというような仕草をする。

それでカバンのチャックを開け、中を見せるとゴソゴソと中をいじくりまわし、何もないとわかると元に戻し、グラシアス(ありがとう)と言って、バスから出ていった。

この後、23時半頃、今度は、前にもあった荷物検査所でバスが止まる。寝ていたぼくは何だと思い、座席で背伸びをしていたら、旅行者らしい若い男の人が、外に出ないといけないと英語で教えてくれる。

預けていた荷物が、すでに外に出されており、検査用の台に並べられている。検査員の一人の人が大きな声で「??ポルファボール(お願いします)」というと、他の人がカバンのチャックを開けだしたので、ぼくも倣ってチャックを開ける。

係員は、カバンの中に手を突っ込み、あれこれといじくりまわす。時間にすれば数十秒ほどいじくり回した後、ちゃんと係員が自分でチャックを閉める。

そのチェックで20分ほどかかり、またバスの荷物置き場に係員たちが荷物を戻し、バスは発車。

これでこの日は終わり。

ナチーグ+宿をかえる

2008.2.16(土) サンクリストバル・デ・ラスカサス3日目

今朝も犬たちのけたたましい吠え声で目覚める。外はまだ夜が明けきっていない。気温は16度くらい。

昨晩、サパティスタの自治区に行くか悩むも、やはり準備が足りないと思い、断念。同じ宿の学生は、自治区に行く予定をしており、昨日は1日中サパティスタの人に聞く質問を辞書をひきひきスペイン語で作っていた。英語は禁止とのことで、彼はスペイン語ができるわけでもないので、質問に対する答えを紙に書いてもらい、それを訳するつもりらしい。日本にいるときからいくつかの本も読んできたらしいので、まぁ、それくらい準備しているなら、その若さもあり、向こうは受け入れてくれるだろう。

ある本によれば、その自治区は今でも(その本が書かれた当時だが)政府の準軍事組織との低強度戦争を継続しているらしい。基本的に行っても問題はないと思うが(日本人のバックパッカーが観光気分で最近、行ったというブログをネットで見たことがある)、そういった先住民の権利等を獲得しようとする運動に共感を覚える身としては、そういう人たちのところに行くなら、こっちも本気で準備しないと失礼だろうということがあり、結局、今回はパスすることにした。

サパティスタURL
http://enlacezapatista.ezln.org.mx/

部屋を出て、日の光が入るリビングみたいなところで、メキシコ関係本を読む。

昨日、宿を変えたいと思ったので、部屋の人等が起きたところを見計らって、荷物をちょっと整理し、13時のチェックアウトまでに帰ってこれる程度の村に行くことにする。

壁にあった地図におすすめの市として紹介してあったNachig(ナチーグ)に行くことにする。

これまた4人ぐらいの人に聞いて、ようやく乗り合いタクシーのターミナルを発見。乗車してから20分。まだ乗客が集まらない。このまま待っていたらチェックアウトに間に合わなくなるなあ、と思っていたところで、やっと乗客が4人になり、発車。

ぼくは後部座席の左端。隣には先住民の服を着たおじいさんとおばあさん。みかんを食っている。

車は、人混みの中をゆるゆると進む。助手席の客と運転手は友達かのようにしゃべっている。みかんを食べていたおばあちゃんは、皮を開けた車の窓からほいと捨てる。

ぼくはまたもや陽光にやられ、寝てしまう。

30分ほどで、Nachigに着いた。幹線道路沿いに陶器の置物などを売っている露店が出ている。市もこの幹線道路沿いにあるちょっとしたスペースでやっていた。ここも売り子の人は先住民の服を着ている女性ばかり。店は30店ほどで規模は小さい。

売られているのは、鶏の丸焼き(半分に開かれているが)、牛の肉、みかん、すいか、いんげん、じゃがいもなどの野菜、タコス、毛糸のように見える様々な色の
糸、爪切りなどの日常雑貨などなど。

お客はほとんどいない。もう市のピークは終わったのかもしれない。宿の情報でも市はだいたい8時くらいがピークとあった。着いたのが10時過ぎだし、帰っている人たちもいるからそういうことなのだろう。

幹線道路から横に延びている道は、舗装はされていない。その道に沿って家々が立ち並んでいる。ぼくは少しだけ、その辺りをふらふら。

宿がある中心街ではどの家も3mはある壁で囲われていたが、ここはすっかりオープンだ。一応、金網はされているが、入り口は開いている。

ここでも庭先で編む道具を使って一枚の生地を織っている人がいる。舗装されていない道の中でも幹線になっているところだけ歩いたが、どこの家も鶏を飼っており、中には豚もいるところもいる。畑は枯れたトウキビが目立つ他はあまり作物らしきものは見あたらない。

しばらくふらついたら市に戻り、昼飯。タコスの露店で炒り卵などの3種類の具材でタコスを3つ食べる。値段は1つ2.5ペソ。

ただ、これだけでは腹はふくれず。鶏好きのぼくは鶏の丸焼きが気になる。一羽が半分に裂かれて炭火で焼かれており、ここに着いた瞬間から非常に気になっていた。

小さな子ども3人を連れ、売っていたお母さんに値段を聞くと40ペソと言う。値段を聞いた以上は買わなければいけないだろうと、半ば勝手に思い込み(ただ食べたかっただけだが)一羽ぶんを買う。

これを買いますと伝えると、きれいに焼けた鶏をまな板に乗せ、刃渡り10cmくらいありそうな出刃包丁で、モモやムネなどをぶつ切りにする。包丁の切れ味はよく、1発で骨まで断つ。6つほどの固まりに切り分けたものを厚手の灰色の紙(ざら紙と学校では読んでたような紙)に包み、ビニール袋に入れ、そこにサルサソースが入った小さい袋も入れられ、渡される。

この鶏、ここまで大きくなるのに1年近くはかかったろうに。こうして焼かれて40ペソ(約500円=通常の食堂で定食1人分くらい)って、安すぎるだろうに。確かに40ペソあれば、1週間ぶんのじゃがいもは買えそうなんだけど(1kg5ペソくらいなので)、どういうふうに値段を決めているか気になるなぁ。

宿で読んだ本には、アメリカから小麦で作ったトルティージャが入ってきて、地元のトウキビから作る本物のトルティージャは価格競争で苦戦しているという。都会ではスーパーも台頭しているからそことの競争関係の中で、こうした市でも値段を決めているのだろうか? それともご近所の経済状況を勘案して、だいたいみんなが変える値段にしているのだろうか?

ちなみにこの日も、この市にはぼくがいた時間は、外国人らしき人は一人もいなかった。

市をやっている広場の一角で鶏を食う。食い始めて、鶏を一羽ひとりで食べるなんてみんなするのかな、と思い、ちょっと躊躇するが、なかなかうまいので結局完食。少しだけ肉が付いた部分を残し、それは辺りをうろついていた犬にやる。

そこには1時間経らずほど滞在し、帰りのタクシーを拾う。ちょうどサンクリストバルの方に向かうタクシーが通ったので、手を挙げると乗せてくれる。すぐに発車したので、おお、これは珍しい、一人でも乗せていってくれるんだと感動したのも束の間。車は100mほど行ったところでUターンし、市をやっている広場に戻る。

そこでおじいさんくらいの人と窓越しに話し、その人を乗せて、サンクリストバルとは逆方向に車を出す。広場から200mほど行ったところでおじいさんはおカネm払わず降りていった。どうなってるんだろ?

運転手は無線でなにやら話し、また市のある広場に戻る。そこでやっぱりぼくの他に3人拾い、ようやくサンクリストバルに向けて走り出す。

今度もぼくは後部座席の左側。隣には80kgはありそうなおばさんが乗る。このおばさん、完全に脱力していてカーブのときもぜんぜん踏ん張らない。おかげでこちらは鶏で膨れた腹に異常なGがかかり、うっぷ、とはいかなくても、つらい思いをする。もうちょっと踏ん張ろうよ、おばちゃん。

そんなこともあり、帰りは目がぱっちり。途中、花を栽培している畑があり、そこはビニールハウスになっていた。日本のような半円型ではないが、木材や金属性の棒を四角く組み立て、そこにビニールを貼っている。

右手にはキャベツの畑も見え、虫食いはあるものの、きれいに巻いている。

そんなこんなで30分ほどでサンクリストバルに着き、宿に急ぐ。

12時をやや過ぎており、あわててパッキング。
13時前には無事、チェックアウトし、明日乗る長距離バスのターミナルが近いユースホステルに移動。

ここがまたしゃれていて、ドミトリーの部屋に行くのに、中庭を通り、階段を下りしてようやくたどり着く。男女相部屋のようで、でかい白人の女の人ややはりでかい男の人がいる。

チェックイン後、明日のバスの下見。
ここでは1等のバスターミナルと2等のバスターミナルがすぐ近くではあるが違う場所にある。

まず1等のところに行って、窓口の若い女性に値段や乗車時間を聞く。この人はスペイン語がわからない人が嫌いなのか、対応がかなり雑だった。これまで気になる人はいなかったので、感じ悪いなと思ったのは今回が初めて。まぁ、向こうも同じように思っているのかもしれないけど。

それから2等のバスターミナルに行く。行ったらバスターミナルというかただの車庫みたいなところで、バスは道路に並んでいるだけ。誰に聞けばいいのか迷っていると、おじさんが話しかけてくれ、どこに行くのかと聞かれる。

カンクンと答えると明日、11時に出ると教えてくれる。値段は380ペソと1等の630ペソの半額。こっちの方がいいかなと気持ちが傾いたものの、トイレが付いているか聞いたら、ないという。

これはちょっとな、という気分になる。ちょうどさっきから腹の調子が思わしくなくなり、しかもこのバスの移動時間は18時間と言うから、トイレなしじゃちょっと厳しい。

明日の体調で決めることにして、バスの下見は切り上げ、まちの北にある薬草の博物館に行く。

ここはこの地域の先住民の人等がずっと使っていた薬草などを紹介する博物館で、館に入ると薬として使う草木の展示がされている。

その他にもお産の仕方などの展示やその様子を移したビデオの上映などが見ることができる。

お産の仕方が興味深く、女性は膝を床についた状態でする。格好は普段着のまま。そばには産婆に当たる人がいて、その人が取り上げ、洗ったりへその緒を切ったりする。その様子を移したビデオは残念ながらアメリカ英語だったので、ほとんど聞き取れず。しかも素人がナレーターをやっていたので聞き取りにくかったのです。

ただ、展示については別冊の説明用紙が手渡され、これは英語版もある。なので、それを読めばだいたいわかる。ここはローカルな小さな博物館だからスペイン語だけかと思っていたら違った。やっぱりアメリカやヨーロッパからの観光客が多いからか?

そんで、また市場にいきふらふら。歩きながらポップコーンを売っていたおばあちゃんからポップコーンを買う。2ペソ。

それで食堂を除いたらモーレ料理があったので、腹の調子はよくなかったものの、欲求に負けて食す。ここのも甘いようでピリッとからく、なかなか面白い味。

こうしてようやく宿に帰ったのでした。

宿は居心地はいいものの、これまでの宿にあったような共同のロビーみたいなものがなく、22時にはネットがただでできる部屋も消灯。

部屋に戻っても、みんな寝ており、自分のところに電灯があるわけでもないので、22時すぎには寝る。

これらを考えると、グアダラハラのユースホステルが一番よかった。

ちなみにこの日、この宿に泊まっていたアジア系はぼくだけ。中国系の女の人がいたが、英語で友達としゃべっていたので、アメリカ人かも。最近、韓国人旅行者とも会わない。

おわり

テネハパ

2008.2.15(金) サンクリストバル・デ・ラスカサス2日目

目が覚めたのは7時前。
けたたましい犬の声で目覚める。同時に何匹もが吠えており、やかましいわ、と言いたくなるほど。しかも、ずっと吠え続けている。

犬がいる敷地とは3mほどの壁で隔てられているので、何匹いるか確認できず。ちなみにその隔ててる壁の突端にはガラス瓶を割った破片が建築用の接着材のようなものを使って並べられている。もちろん鋭い方が上を向いている状態になっており、道路に面した壁にもこのような細工がされている。たぶん有刺鉄線よりも安いのだろう。

朝起きて、また昨日と同じスープを作る。ここは朝飯が出ないこともあり、また野菜を食ってしまわなければいけないこともあってね。

さすがに朝から1リットルも食べる気はせず、テーブルにいた男1名、女1名にお裾分け。いりこだしのスープは超久しぶりなんて言いながら食べてくれる。

男の人の方とはちょっとしゃべって、昨日、グアテマラから着いたらしい。見た目30は越えていそう。女の人とはあまりしゃべらずどんな旅をしているかわからず。一人で旅をしているのは確かのよう。見た目20代。

さて、今日も近辺の村に行こうと壁に貼られているサンクリストバル周辺の地図を見る。

土日には各村で市がたつようで、それがおすすめとあるが、残念ながら今日は金曜日。サパティスタの自治区に行くことも考えるが、あまりに事前学習が足りないのでパス。

とりあえず今日はテネハパというところに行くことにする。

またメルカドに行き、あたりでテネハパ行きの乗り場を探す。最初の人に教えられた場所にはタクシーしかなく、タクシーじゃ高いしなと思って、昨日と同じコレクティボを探すが、見あたらない。別の人にコレクティボで行きたいんだがと聞くと、タクシーコレクティボと行って、最初にきいた人と同じ場所をおしえてくれる。

それでしょうがないので、一度は素通りしたところに行く。さっきと同じように客待ちをしている運転手たちが「テネハパ?」と聞いてくる。「Si」と答えていくらか聞くと20ペソとのこと。そんなに安いんかと思い、タクシーに乗ると運転手は乗り込んでこない。

しばらくして、2人連れの人が乗り込んできて、これで座席が埋まったから発車するかと思いきや、まだ運転手は外で客を待っている。

やはり待つこと15分ほど。助手席に1人、後部座席に3人乗った状態で発車。ぼくは後部座席の左側に座る。

運転は荒くないが、カーブでもそんなにスピードを落とさないので、体が流される。日本でのくせで窓の上についている手すりをつかもうとすると、それがない。車内を見渡すと運転席にも助手席にも反対側のドアの方にも付いていなかった。

よって、足で踏ん張る。

ちなみにこうした乗り合いタクシーに使われている車は日産のものがほとんど(それ以外はここでは見ていない)。後部にNISSANとあり、車の名前が通常書かれている部分には"TSURU"とある。なんかアルファベットで"TSURU"と
書かれていると間が抜けているようで気持ち悪い。

このときも外からの暖かい日差しにやられ、寝てしまう。

1時間とちょっとで目的地のテネハパに到着。やはりここにも教会があり、その前は広場になっている。その広場には民族衣装を着た人たちがずらっと10mほど列をなしておいた。

何事かと思い、あとから列の先頭にあった建物を見たら病院(というか日本で言うと診療所程度)だった。

ここの広場は昨日行ったララインサールよりも広い。ララインサールの方は15mラ15mほどだったが、ここは30mラ30mくらいはありそう。教会の建物もでかい。

またふらふらと歩く。

ここも山に囲まれた村だが、中心部は3本ほど平行に道路が整備されており、そのうちの1本が市場と化していた。

先にあたりをふらつく。奥の方は山の間を道路が通ってるだけで一見した限りでは人家は見あたらない。

10分ほどその道路沿いを歩いてまた広場に戻る。
途中、すれ違った男の人に「ケチュン(と聞こえた)」と挨拶される。

ここチアパス州には5つ以上の民族がおり、それぞれがそれぞれの言葉をしゃべるから、先の言葉はそのうちのどれかの一つかもしれない。それともただのスペイン語?

市場となっている通りを歩くとジャガイモやトマト、ピーナッツ、柑橘系の果物などのほか、ボールペンや爪切り、服、鍋、鉄板など生活用品がさまざま売られてる。

昼も近かったので、ここで食事をしようかと思ったが、カフェは見つかるものの、食事できそうなところが見つからない。みんなゆでたトウモロコシとか例のマヤ伝来のものとかを食っている

。ぼくは前にサンクリストバルの市場でも買った笹団子のトウキビ版だけ2つ買う。1つ1ペソ。ちょっと安すぎると思うんだけど。それを売っていたおばちゃんに2つくださいと言うと、はぁ、2つだけ?みたいな顔をされる。そりゃ2ペソじゃ、たいして儲からないでしょとは思うものの大量に食べられるものではないし。

あと地元の人が集まっていたところで柑橘系の果物(夏みかんに似ているが、あまりすっぱみはない)を買う。道ばたにトラックを止め、荷台に積んだそのみかんを袋詰めしている。

10ペソ(約100円)ぶんで20個。これまた買い過ぎかな。と、あとで後悔。

道ばたでそれらを食う。

見ていると、ここは男の人でも民族衣装を着ている人が多い。赤を基調にした服で、なかなか格好いい。

それからコーラを飲んでいる人がやたらと多い。
この日の晩に読んだ本によれば、どこかの村では炭酸飲料を飲んで出るゲップが、悪霊が出ていっているものと信じられているそうで、教会の祭壇にもコーラが捧げられているところもあるという。

もしかしたらここの人たちもそういうことで飲んでいるのかもしれない。あるいはただのコーラ好きなのか。

ここも1時間半ほどふらついて帰る。

サンクリストバルに着いて一度、宿に戻り、みかんを置く。

それからまだ行ってなかった中心部をまわる。
歩行者天国となっているところはほとんど観光化されていて、英語でメニューを書いている店もある。

観光客はほとんどがヨーロッパ系で、英語やドイツ語、フランス語がときおり聞こえる。若いバックパッカーの人もいるが、白髪交じりのかなり年輩の人もいる。

ここは安全そうなので、ATMでカネをおろす。無事キャッシュカードが使えた。

ここは小さいまちということもあってか、インターネット屋が多い。中心部だけで30軒はありそう。

料金も1時間5~6ペソ(60~70円)とこれまでのまちの半額。安い。

まちの店先ではサパティスタ民族解放軍のポストカードなども売っている。

サパティスタ民族解放軍のグッズを専門に扱っている店やキューバの本やグッズを扱った店もある。キューバの店の中はゲバラグッズがいっぱい。

そのほか映画館もあり、そこではチアパスを題材にしたドキュメンタリー映画を見ることもできる。毎月上映するものは違うようだが、この日はちょうどサパティスタ民族解放軍の映画を19時からやるようだったので、夜に行くことにする。

歩行者天国の椅子に座って休んでいると、鮮やかなストラップなどを売り歩いている女の子のターゲットになる。一人の子と目があったら、ストラップ1本25ペソと寄ってきて、もう一人同じように売っていた女の子も寄ってくる。さらに7歳ぐらいの女の子も寄ってきて、あれこれ勧められるが、はっきり言って使わないし、すぐに日本に帰るならともかく、1年もカバンの中に入れていてもなと思って、しばらく断り続けてもずっと勧めてくるので、椅子から離れる。

中心部には何軒か本屋があったので立ち寄るとアニメの雑誌や一部の本屋にはマンガもあった。

雑誌が40ペソ(500円くらい)で、マンガは浦沢直樹のモンスターが55ペソ(600円)、デスノートが65ペソ(700円)。もちろんスペイン語版。当然のことながら高い。また、マンガの帯には18歳以上対象と書かれてあった。

新聞はスペイン語の新聞が6紙ほどあり、チアパスで出されているローカル紙もあるようだった。グアダラハラにもメキシコシティにもメキシコの英字新聞があったが、ここでは見あたらない。

また、宿に戻り、夜の映画に備えてサパティスタに関する本をざっと読む。

19時より、映画館で"A Place called Chiapas"というドキュメンタリー映画を見る。25ペソ(300円)。アメリカ人が撮ったようで、当然ながら英語がよく聞き取れない。ただ、サパティスタ民族解放軍の武装蜂起など、一連の出来事を映像を見られたので、どんなものだったかはわかる。

映画が終わったのは20時半頃。
宿まで15分ほど歩く。歩行者天国となっている通りの店はまだまだ開いていて、店からはいろんな音楽が聞こえてくる。

ストラップを売っていた女の子たちもまだいる。

夜空には星はあまり見えない。まちが明るすぎるからか。

おわり

2008年2月19日火曜日

カンクン到着

現在、2月18日正午です。

昼前10時半ごろ、ここカンクンに着きました。
さすがカリブ海に面しているだけあって暑い!

夜の到着かと勘違いしてましたが昼でしたね。

ちなみに手元の湿度&温度計によると湿度70%、気温30度です。
室内でこれですから、外はもっと暑かろうもん。

これから昼飯がてらぶらぶらしてきます。

では。

2008年2月18日月曜日

カンクンへ

今(2/17.Sun.13:20)、サンクリストバルです。

これから15:45のバスに乗ってカンクン(Cancun)に向かいます。
12時半のバスに乗るつもりが、今朝、バス会社に行ったら満席で、
上記の時間のバスしか空いていませんでした。

しかも値段も770ペソ(約8000円)と予定したいた額も高くなってしまいました。
というのも、この空いていたバスが、1等ではなくデラックスにあたるもの
だからのようです。1等は630ペソくらいだったんですけどね。
まぁ、しょうがないです。いきあたりばったりでやっているので。

乗車時間は18時間で、明日の夜の10時ころ着く予定です。

あとリンクの欄に写真のサイトを加えました。
photosってのがそれですが、ブログの中にアップするのよりもこっちのほうが
早いようなので。でも、早いといっても充分遅いですが。5枚くらいアップするのに
15分くらいかかります。

では。

サンアンドレス・ララインサール--サンクリストバル 1日目 その2

2008.2.14(木) その2

メルカドの周りには周辺の村々に行くためのターミナルが6~8か所くらいある。それぞれ駐車場みたいなところもあったり、ただのバス停みたいになっているところもあったりで、どれが自分の行きたいところに行くのか、最初は探すのが大変。

道ばたで運転手が、大きな声で行き先を言っているのだが、なかなか見つからない。4人ほどに聞いてやっと目的のターミナルに着く。その入り口に着くと、運転手のような人が、どこに行くのかと聞いてくるので、行き先を告げると車を案内される。

車はコレクティボと呼ばれている車で、後部座席が8席あるバンだ。何時に出発するかは決まっていないようで、座席が埋まったら出発するスタイルのよう。

ぼくが乗ったときにはすでに6人ほど乗っていた。15分ほど車の中で待って、ほぼ座席が埋まったところで出発。車は新調したばかりなのか、とてもきれいだ。

外は快晴。ぽかぽかした陽気に誘われ、寝てしまう。

1時間後、急な坂道を登り終えたてっぺん部分で車は止まった。教会のような建物が見え、その前は小さいが広場になっている。

その広場では、野菜や果物を売っている人やジュースを売っている人、ここで解体したのかと思ってしまうような肉の塊を売っている人などがいて、店舗数として数えると20店くらい露店が出ている。

女性はほとんどがいわゆる民族衣装を着ている。

ぼくはまわりをぷらぷら歩く。
あちこちから鶏や牛などの鳴き声が聞こえてくる。

そう言えば、サンクリストバルに来て初めて見たのが、緑がいっぱいの山々と川らしい川。

これまで通ってきたメキシコでは、ほとんどの山に木がなく、川も細いものしか見たことがなかった。

ここは木々も豊富で、遠くから見ているぶんには日本の山を見ているのと変わらない。そのせいか、家の造りも石や煉瓦だけでなく、木材を使った家がある。また、燃料として使うのであろう薪が家の壁の外に積み上げられている。

家はいわゆる掘っ立て小屋のようなもので、外から見た限りでは2部屋か3部屋くらいしかなさそうな大きさがほとんど。畳でいうと9~15畳くらいか。その中に台所から何からが全部つまっている。たいてい子どもが3人はいるようなので、5~7人でそこに住んでいるよう。

畑には枯れたトウキビの茎(?)が立っており、その中を鶏がうろちょろしている。見た範囲では、あまり葉物などを植えている家はなく、バナナなどの果物の木も見かけない。

市場では柑橘系の果物やバナナ、マンゴー、スイカなど果物が豊富に売っていたが、それらはまた別の畑で、あるいはもっと奥地で栽培されているのだろうか。

昼飯を食っていなかったので、広場に面して立っていたタコスの店で食べる。グアダラハラなどのように、タコスの選択肢はあまりないようで、具は1種類ほどしかないよう、何個かと聞かれるので3つ頼む。これで6ペソ(70円くらい)。安い。

織物がきれいなまちということで、来てみたのだが、どうも辺りには見あたらない。一人だけ庭先で織物をしている人を見た。

道を歩いていると子どもがじっとをこっちを見るが、話しかけたりはしてこない。大人の人たちもじっとこっちを見ることがあるが、見ているだけ。

ガイドブックには村々に行くときは単独行動はしない。ツアーに参加すると安全が増すとあったが、あまり危険な感じはない。かといって、フレンドリーでもなく、そう言われると大人の人はちょっと警戒しているのかな、という程度。ただ、サパティスタのことはあるが、ただふらつくだけだったら大丈夫そう。

1時間半ほどふらついて、サンクリストバルに戻る。帰りも行きと同じ車。運転手は客が集まるまで、おしゃべりをしている。

やっぱり車の中で20分ほど待って、発車。
そして、やっぱり車の中でうとうと。

サンクリストバルに戻って、メルカドで買い物をする。旅行中は基本的に自炊はしない主義だが、売られている野菜がどんな味か知りたくなった。

一番単純な塩味のスープにしようと具材を探す。葉物は虫や農薬が気になるのでパスし、根菜類ばかりにする。母親と一緒に10歳くらいの女の子が売ってたトマトに、たまねぎ、じゃがいも、人参、にんにくそれからいりこ。あとデザートにマンゴー。他にもいろいろ買いたかったが、ここにいる間に食べきれそうにないので、それだけ。

にんにくは、日本では小さすぎて売り物にならないとされるようなものだったが、5玉(?ニンニクの数え方がわからない)くらいついて5ペソ。トマトやその他の根菜類もだいたい1kgくらい(個数でいうと8個程度)でやはり5ペソ(60円くらい)。

マンゴーはちょっと高く、やはり8個くらいで10ペソ(100円)。いりこは300g程度で10ペソ。

計45ペソ(500円程度)だったが、これで10人ぶんくらいのスープは作れそうだ。

宿に戻り、早速調理。火が弱そうなので、野菜は薄く切る。台所にはマッチで火をつけるタイプのガス台があり、そこに水と大量のいりこを入れた鍋をかける。

火力は以外に強く、日本のものとあまり変わらない感じを受ける。ただ、宿主によると不完全燃焼しやすいらしい。

20分ほどでできる。

トマトを入れたので、トマト+塩味のスープに。

じゃがいもなどの味はたいして変わらないが、トマトの味が明らかに違う。形も日本で一般に売られてるものより縦に長いので、品種が違うのだろうが、程良い酸味がある。これでトマトソースのスパゲティを作れば絶対うまいと思う。

そんなで1リットル近く作ったスープを一人で完食。その時点で18時頃だったのだが、その後、8時頃になて、泊まっている人たちは次々と食事を作り出す。居酒屋などでバイトをしていたという人が中心になってやっているよう。

ぼくは満腹になったし、面白そうな本があるので、それを読んだり、ここに泊まった人たちが書き残していった各地の情報ノートを読むが、朝が早すぎたこともあり、早々に寝る。

同じ宿に泊まっている人たちは、台所にある円形のテーブルに集まって、何やらしゃべっていた。

おわり。

2008年2月17日日曜日

これまでとは違う世界--サンクリストバル1

2008.2.15(木)
サンクリストバル・デ・ラスカサス

宿に到着したのは7時。
まだ起きてないだろうなと思ってブザーを押す。
すると30代後半かと思われる日本人男性ガ出てくる。

予約してないんですけど、今日泊まれますか?
と聞くと、ああ、そういう方ですか、と言って、実は宿の世話人は
8時くらいにならないと起きてこないんですよ、と続ける。

まぁ、中に入ってと促され、中に入ると右手の壁に巨大な地図が目に入る。

しばし待つ間、リビングをふらつく。壁にはサンクリストバル周辺の情報が書き込まれたタイプの違う地図が3枚ほど。
その奥には中米と南米の観光情報が緻密に書き込まれた、これまた巨大な地図が貼られている。

例えば南米の地図には一般的な観光情報のみならず、ゲバラが殺されたボリビアの村まで書かれている。すごい。

この地図はこの宿を経営していた人が作成したものらしい。
廊下にはメキシコに関する日本語の本が並び、中には三里塚闘争の本も混じっている。

マンガもあれこれあり、マスターキートンや手塚治本、ワンピースなどが並ぶ。

メキシコシティで泊まった日本人宿にはメキシコ関係の本がなくて驚いたが、ここには入門書の『メキシコを知るための60章』や新書本、ナショナルジオグラフィックのメキシコ特集号、ジェトロが出している経済関係本、そしてサパティスタに関する本などがそろっている。

ぼくがサンクリストバルに来たのは、ここがメキシコでも最貧州と言われているチアパス州の中心地(州都ではないが、元はそうだった)であり、先住民と呼ばれている人たちが独自の文化を守りながら生きている地域だと数年前に知ったからだ。

ただ、なかなか日本にいる間には、ここについてのことを調べる時間がなく、上記のような本を持って来ようか迷い、結局持ってこなかった。

そこで、この宿のHPにサパティスタのことが書かれていたので、ここに行けば関連の情報があるのではと皮算用をしていたら、狙いは的中した。

だが、日中に本を読むのはもったいないので、勉強は夜にして、早速出かける。

まずはお決まりのメルカド(市場)に。

宿を出て最初に目を奪われたのが、瓦の屋根。瓦と言っても、日本のような瓦ではなく、材質は煉瓦のよう。オレンジ色で半円系の瓦を上下に組み合わせて(U字にしたものをまずは並べ、その並んでいる継ぎ目の部分に逆U字にしたものを乗せて)水が入るのを防止している。

屋根も日本と同じように傾斜している。これまで見てきたメキシコの家は豪邸をのぞき多くがコンクリートや石造りの四角い家で、屋根が傾斜したものは見た記憶がない。

また歩いていて思ったのが、野良犬がやたらに多いこと。kれまでのまちでは見てもせいぜい1日に2~3匹だった。それが10分ほど歩くと5~6匹見る。ただ総じておとなしく吠えたりしてくることはない。これには安心。狂犬病の注射はしたとは言え、犬には噛まれるのはおろか追っかけられたくもない。だいたいここは標高2163m。走って逃げても犬に追いつかれる前に高山病でぶっ倒れそうだ。

メルカドには10分ほど歩いて到着。
人口規模は13万人とグアナファトとほぼ同じこともあって、メルカド自体の建物の大きさはほぼ同じだが、野菜などの生鮮品を売っている人の数がこちらの方が断然多い。

それも売り手に先住民系の人が多い。光沢のある鮮やかな色の上衣に赤や紫、青などこれまた鮮やかな色の刺繍が縫い込まれたスカート、そして帯。こうしたいわゆる民族衣装を着ているのは女性ばかりで、男性はまず見かけない。母親と一緒になって野菜や果物を売っている子どもも、女の子はそうした民族衣装を着ているが、男の子はジーパンにTシャツなど、日本のこと変わらない。ただ、かなり着古していることを除けば。

先住民の女性たちの髪型は、いわゆるひとつ結び(ポニーテール)か、2つ結び’(おさげ?)。2つ結びの人は3つ編みになっており、中にはリボンに使うような3cm幅くらい生地を一緒に編み込んでいる人もいる。

その昔、ベーリング海を渡って来たと言われているだけあって、顔はアジア系にそっくり。身長も150cm程度。

これまで見てきたまちの光景と違うのは、スカートをはいている人の率の多さ。先住民の人たちの格好をスカートというには、言葉が違うと思うが、便宜上スカート系ということにしたとして、そのスカート系をはいている人が多い。

これまで見てきたまちでは、スカート系をはいている人は制服を着ている高校生等を除けばごくまれだった。どういう理由によるかはわからない。

話を戻して、一目見てこれまで見てきた光景と違うのが、子どもたちが働いていること。

親と一緒に声を張り上げて野菜や果物を売っている女の子もいれば、ガムなど小さいお菓子が詰まったボックスを持って売り歩いている子もいる。また子ども用のリュックザックを腕に20も30もひっかけ抱いて売っている男の子もいる。あるいは小さな妹だか弟だかを布でハンモックのように包んで自分の体に結びつけ、おもりをしている女の子もいる。

ティファナでもグアダラハラでもグアナファトでも、路上で物売りをしている先住民の親子がいたが、これだけたくさん集まった状態で見るのは初めて。もちろんたくさんと言っても数千とかじゃなくて、市場周辺で言えば100人や200人くらいだと思うが。

これまでメキシコでは3つのまちで市場を見てきたが、ここで初めて見たものがあれこれあった。

まずは、生きている鶏や七面鳥、子豚。これらはメルカドの中ではないが、その周辺の路上や簡易テントのような店で売られている。鶏は肉付きがよく、重さもかなりありそう。雄鳥も売られている。

道ばたで鶏を売っているおばちゃん(見た目はおばあちゃんだが)は、鶏の二本の足をひもで結び、そのつないでいる紐を自分の腕にかけ、鶏を逆さにした状態で持っている。細い腕には逆さになった鶏が3羽。1羽3kgとしてもけっこう重いはずだ。その状態で道行く人に声をかけている。が、なかなか簡単には買い手がつかない。

さて、ここではじめて見たものの2番目は、ろうそくの専門店。回った限りで10店舗ほどあり、色も様々なろうそくが店頭にぶら下げられている。大きさは日本で通常使うものよりも遙かに大きい。きっとこれは先住民の儀式で使うものなんだろう。

またメルカド近くのサントドミンゴ教会では先住民の人たちが作った服やポシェットなどが売っている。近くの道ばたでは黒い毛を売っている(黒い羊みたいなものを午後に行った村で見る)。その毛を売っているおばちゃんは、客が来ない間はひたすら刺繍をしている。

一通り市場を見て回ったところで、メルカドの入り口の広場に戻り、そこで朝飯代わりに売られているものを買う。名前を忘れたが、まずは笹団子のとうきび版みたいなもの。トウキビの粉に小豆のような豆のすりつぶしたのを蒸して作ったようで、笹やとうきびの外側の皮(葉)に包まれている。

食べてみるととうきびの味が強烈。味は特についていないようで、ただとうきびの味に、若干の弱い小豆のような味がする。ただ、水分が蒸発したのか、これが普通なのか、団子を食べる気分で食べると、パサパサしている感じを強く受ける。これが1つ1ペソ。あまりに安いので驚いた。これまでの感覚では1つ5ペソ位かと思っていたのだが。

それからガイドブックにも載っていて気になっていたものにやっとありつく。他のまちでも見かけたが、満腹状態だったりでこれまで食べてなかった。

それはタマレスと呼ばれるもので、ガイドブックによれば古代マヤ伝来の食べ物らしい。市場のある店で食べている人がいたので、自分も頼むとトウキビの葉に包まれた枕の形をしたものが出てくる。

葉をほどき、フォークで枕状のそれの真ん中を開くと中には牛肉が。チリソースがかかっているようで、赤い。食べてみるとトウキビの味はさっきのよりも弱いが、肉の味がしっかりしている。それからチリソースが効いていて思ったりも辛い。

これに飲み物も同じ店で食べていた先住民系の人と同じものを頼む。すると発泡スチロールのコップに薄いピンク色の飲み物が出てくる。飲むとどろっとしていて、甘い。が、お代わりをしたくなるような味ではない。甘さがイチゴっぽかったので、イチゴが入っているのか聞いたところ、それも入っているようだが、それ以外にいろいろ説明され、当然のことながら意味がわからず、真相はわからず仕舞。この後、読んだ本によればトウキビの粉を溶かして飲む飲み物があるとあったので、たぶんそれなんだろう。両方併せて20ペソ(約250円)

それから、魚をその場で揚げて売っている店があったので、それも食べてみる。魚の名前を聞いたが、???ピラティアと言われ、後半しか聞き取れず。お値段は10ペソ(100円)。一人で食べるには大きいくらい。

魚は紙に包まれ、それにリモ(かぼすみたいなもの)の半分とチリソースがつき、袋に入れられ、渡される。

さっそく、教会の端っこの座れるところで賞味する。またもや箸があればと思うのだが、まだ入手できていない。よって、頭としっぽを握って食う。

味は淡泊で、ときに泥臭さを感じる。どっかの川か沼かの魚なんだろう。揚げられているので、大きな骨以外は頭からしっぽまで食べられるが、あたりをうろうろしている犬がいたので、あまり身の付いていないわき腹辺りをくれてやる。

犬はボリボリと骨も食らい、こちらを向き次を待つ。しょうがないから頭の半分だけあげる。残り半分は自分で食べる。魚はやっぱり骨がうまい。

ここで一旦宿に帰る。朝行ったときは部屋はいっぱいだった。が、誰か出るのでその後に部屋に入れることになっていた。荷物も外にだしっぱなしだったし。

宿に戻ると部屋が空いていたので、そちらに荷物を移動。3人部屋。ここも鍵はない。

また市場の方に戻り、今度はコレクティボという乗り合いタクシーを探す。ユニークな刺繍や織物がみれるというサンアンドレス・ララインサールという先住民の村に行くためだ。

つづく

2008年2月15日金曜日

メキシコシティからサンクリストバル・デ・ラスカサスへ

2008.2.13-14

7時起床。
昨晩、宿の水が出なくなるハプニングがあったため、今朝シャワーを浴びる。
日本を出てからはずっとシャワー。

午前中、宮殿のような郵便局で葉書を出し、宿に戻りパッキング。
13時にチェックアウトする。

ここも部屋の鍵がないので、チェックアウトするむねを伝えるだけ。
その際、薬を紛失したので、メキシコの薬の名前を教えてもらう。
宿主は、日本語ぺらぺらのメキシコ人女性なので、頼りになる。

13時15分に宿を出る。
昨日とは違うが、中心部へ南下してから行くルートでバスターミナルに向かう。

乗り過ごすことなく、13時40分にターミナル着。

試しにバスチケットの総合カウンターでチケットを買う。
値段は800ペソ。昨日、バス会社に直接聞いたときは788ペソだったので、えっ?
と思ってパソコンの画面をのぞき込むと、12ペソは手数料として換算されている
ようだった。

今回も1等のバス。バスターミナルからして豪華。空港と同じように、荷物を
預けるカウンターがあり、そこで乗る前に荷物を預ける。

待つ事1時間足らず。出発予定時刻の14時30分になって乗車が始まる。
あまりに乗車開始が遅いので、待っている場所が違うかと思い、近くにいた
バス会社の人に聞いたがあっていた。なんと行っても飛行機で言う搭乗ゲート
のようなものが20くらいあるので、不安になる。

一応、乗車開始時には館内に放送が流れ、行き先もアナウンスされるので、
それで確認できる。

客は少なく10人ほど。
前回、グアダラハラからグアナファトに行ったときのバスでは、飲み物とパン、お菓子
のサービスがあったので、それを当てにしていたが見事に外れる。それを期待して、
昼飯食ってなかったのに・・・。

予定時刻よりも5分送れて発車。

ぼくはすぐに寝てしまう。

車は徐々に高度を上げ、というか、高度の高い地帯を走っていく。
17時半にはあたりは霧で、50m先が見えないくらいの濃霧。
気圧の変化に敏感なぼくの耳がおかしくなりだす。

途中、乗客を乗せるためのターミナルに停車。
そこで水を1.5リットルペットボトルで買う。値段は18ペソ。街の露店で買うよりも6ペソ高い。

20時にはレストランに停車。
30分間、食事休憩。乗客はほとんど降り、食事をしていた。
ぼくは毎日食いすぎていることもあり、この晩は断食。

バスは、乗車当初は例のごとく冷房がききすぎて寒かった。
別の乗客のおばちゃんも毛布をかぶっていた。

それが夜になると冷房が止まったようで、徐々に暖かくなる。
それでも途中で停車したところで外に出ると外気の方が暖かかった。
このへんはどうにかならんもんやろかね。

車内ではメキシコ映画、ハリウッド系映画、スペイン映画(?)が立て続けに流れる。
ハリウッド系の映画は、どこかの国で反政府勢力が大統領の首をとろうと
画策するのをアメリカ軍とCIAが食い止めるという内容で、なんだか中米で見ていると
リアリティが違う。

1970年代から80年代にかけては中米の多くの国で内戦状態になっていた。
その背後には、アメリカがおり、アメリカに都合のいい政権を後押ししていた。

そんな国々の中で、こういう映画を見ると日本で見るのとはなんだか気分が違う。

そんなこんなしているうちに寝る。

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日付が変わって2月14日

バスのスピードが落ちてきた事を感じ、目が覚める。
客が次々と降りていく。

時刻は夜中の3時。

ぼくの右となりに座っていたおばちゃんがスペイン語で、ここが
サンクリストバルかと聞いてくるが、当然のことながら分からない。

念のため降りて、荷物を乗客に渡していた人に聞く。
すると、まだのよう。

それにしてもこんな夜中にバスターミナルでバスを待っている人(バス会社の人だけど)は、
大変だなぁ。

ただ、「チアパス」と言っていたので、かなり近くまで来ている事がわかる。

それからバスに戻り3時15分、バスは再度発車。

それから1時間後、またバスのスピードが落ちた事を感じ、目を覚ます。
残っていた乗客の人が次々、降りるので、運転手に確認すると、
こことがサンクリストバルと答える。

こうして朝の4時15分にサンクリストバル・デ・ラスカサスに到着。
メキシコシティを出て約14時間だった。
ほんとはもっと遅れて7時くらいに着く見込みだったのに、早すぎた。
16時半のバスがあったから、そっちにすれば良かったなんて着いてから後悔するのでした。

外は真っ暗。グアダラハラのように大きな待合室があるのだろうと思って
いたらベンチが8席ぶんしかない。

うち4席は英語を話す若い旅行者が占めている。

夜が明けるまで待つ事にする。かなり冷える。温度計を見ると16度くらい。

しばらくして別のバスが到着。
日本人らしきバックパッカー一人とヨーロッパ系のバックパッカー二人組が待合室に入ってくる。
が、すぐにどこかへ消えて行った。

ぼくは夜が明けた6時半に、宿に向け歩き出す。
まちの中心部をとおり、歩く事30分、宿に到着。

今回も日本人宿。例のキューバ情報を仕入れるためだ。

おしまい。

2008年2月14日木曜日

メキシコシティのきれいな街並み?-メキシコシティ4日目

2008.2.12(火)

昨日降っていた雨はあがり、すっかり快晴。朝方の気温は15℃程度だが、日中には28℃くらいまで上がる(持参している温度計によれば)。

実質、今日が最後のメキシコシティ滞在の日。明日はバスでここから見て東南にあるチアパス州のサンクリストバル・デ・ラスカサス(以下、サンクリと略)に行くので。

そのため、今日はまずは明日の予行演習。9時過ぎに宿を出て、サンクリまでのバスが出る東バスターミナルに行く。メキシコシティには東西南北の4つのバスターミナルがあり、それぞれ中心部からは地下鉄でだいたい20~30分くらいのところにある。ちなみにグアナファトからメキシコシティに来たときは北バスターミナルに着いた。

東バスターミナルには2本の地下鉄が乗り込んでいるので、ここからは大きく2通りのルートがある。一つは一旦中心部に南下してから東に行く地下鉄に乗り換えて行くルート。もう一つは北上してから東南に下る地下鉄に乗り換えて行くルートだ。

地下鉄のルート地図を見た限りでは南下した方が早そうだが、9時といえば通勤時間。きっと満員電車だろうと思い、北上ルートにする。

地下鉄の駅に着いてチケットを窓口で買う(2ペソ)。ホームに入るとやはり中心部に向かう方は、満員電車だった。待っている人にも1本見逃している人もいる。

北方面の行きは十分空いていて思惑が的中。へへ、と思いながら、これから行くキューバなどに向けての準備についてあれこれ考える。

そしたらいつの間にか乗換駅を2駅も通り過ぎていたことに気づき、あわてて降りる。結局、満員電車に乗る羽目に。

満員の程度は隣の人と体は接触しないものの、体を動かせばぶつかるくらい。

乗換駅で降り、東に行く地下鉄の路線に乗り換える。こちらはほんとにすかすか。ぼくが乗った車両は、3人ほどしか乗っていなかった。

10分ほどでバスターミナル最寄りの駅に着く。バスターミナルと地下鉄の駅は通路でつながっており、案内表示に従って行けば、すんなりとバスターミナルの待合室に出る。

ここもでかい。北よりも新しいのかきれいで、バスの待機台数もちょっと数えただけで100台はある。

地下鉄の改札を出て3分ほど歩くと、バス会社のカウンターがあるところに出る。円形になっており、真ん中にはファーストフードのコーナーがあり、その周り取り囲むように360度各会社の窓口がある。

バスのチケットを買う方法も大きく3種類ある。一つは、直接バスターミナルに行ってそこでバス会社を選び、買う方法。それから、主要なバス会社をカバーしている総合窓口で買う方法(ネット上で予約可)。それから、市街地などにある旅行代理店で買う方法。この3つ。

ぼくは一番目の方法ばかり。旅行会社は手数料がかかるから時間があれば交通費を考えても高くなる。

各会社とも行き先の表示はそこそこしているが、目的のバスが見あたらない。1社サンクリストバルとあったので、聞くとデ・ラスカサスではないらしい。そこの人が別の会社の名前を教えてくれたので、そっちに行く。そこの会社の掲示板(というかテレビ)を見ても、それらしき行き先が描いていないので、窓口の女性に聞く。

するとパソコンで検索してくれ、それをメモに書き移してくれた。一番早い便が12時半。乗車時間は13時間で788ペソ(約8000円)。けっこう高い。日本と同じくらいじゃないか?

それだけ聞いて、今度は日本大使館に向かう。例のメキシコ再入国の件を確認するためだ。

最寄りの駅でおり、途中、バス代を払うために両替する。昨日よりもいい1ドル=10.63。昨日とは違う銀行だったが、ここはIDの提示は求められなかった。

地図を見るとアメリカ大使館と日本大使館は隣同士のようだった。アメリカ大使館は星条旗が見えたので、すぐわかったが、日本大使館の方は旗も出てなく、地図上の位置にはただビルがあるだけ。

ビルに入ってすぐに入館者をチェックしている人がいるので、英語でここに日本大使館があるか聞くと、そのおじさんは日本語で「タイシカン?」と聞いてくる。「あ、そうです」と言うと、「ココニカイテクダサイ」と入館者記録表みたいなものを出す。

それに目的地(大使館)と自分の名前、人数、日付を書き、最後にIDをと言われたので、パスポートを見せ入る。「ヒダリ エレベーター サンカイ」と言われ、右のエレベーターに乗ると3階には止まらないエレベーターだった。なんだエレベーターを降りて左じゃなくて、左のエレベーターに乗れってことだったのね。

エレベーターを降りると右に日本大使館の入り口があった。自動ドアが開き、メキシコ人にしてはでかい180cmくらい年輩の守衛の人が、笑顔で迎えてくれ、「ニモツヲオネガイシマス」と言われる。

荷物を渡すと空港にあるのと同じ機械でチェックされ、ぼくも金属反応をチェックする例の機械を通る。

入って右側に窓口があり、20代くらいの日本人女性がいた。ことの次第を話し、キューバからメキシコに入るときにチケットは必要かを訪ねる。

すると「(なくても)大丈夫じゃなですか」とあっさり言われる。あんた「じゃないですか?」って何よ。と思いながら、問題になった例がないか聞くと、首をかしげる。まぁ、大丈夫そうなので、それだけ聞いて出ようとすると守衛さんに止められる。

なんだか窓口の方に手を向け、「ドウゾ」と言うのでもう用事は終わったと言うが、また「ドウゾ」と言うので、窓口の方を見ると、すみませんって感じでこっちを見てる。

窓口に行くと、さっきの人が「やっぱり問題になるときがあるそうです」と言う。やっぱり・・・

その人の上司らしき女性が、代わりに説明してくれる。キューバで登場拒否されることはないと思うが、チケットを持っていないとメキシコを出国する意志がないと見なされ、入国審査のときにもめることがあります、と彼女は言う。

陸路で出ることを言えば、クリアできるのかと聞くと、実際に陸路で出られるので、ちゃんと説明できれば大丈夫だと言う。

入国審査の人は英語は通じるのか聞くと、それは人によるらしい。そうなんだよねぇ、けっこうああいう審査は人によるんだなぁ。

ま、これで2500ドルの日本行きのチケットは買わないことに決定。あとは英語とスペイン語で説明できるよう準備するだけだ。

一件落着したので、腹が減ってきた。中心部に向けてぷらぷら歩いている途中にあった屋台で飯を食う。23ペソ(約250円)。

それから革命博物館に行く。ここも説明はスペイン語のみ。トロツキーもいいけど、こういうところに英語を付記してほしいと思うのは、言語帝国主義になるだろうか。

ここも親子連れや高校生くらいの子が来ている。ぼくがいた時間で20人くらい来館者がいる。親子連れもいて、子どもはしっかりとノートと筆記用具を持ってきている。

それから中米の地図を買いに市街地の本屋を回る。アラメダ公園近くの本屋はスペイン語の本ばかりで、かつ地図はメキシコのばかり。

ただスペイン語ー日本語辞書が100ペソ(約1000円)だったので買う。日本の辞書と比べると作りはおもちゃみたい。

ちなみに本屋やスーパーに入るときはかばんを入り口で預けなければならない。かばんと代わりに番号札をもらうので、帰りにそれと荷物を交換する。これはベトナムでも一緒。

本を買った本屋はかなり厳重で、買った本を店のビニール袋に入れ、袋の口をホッチキスで留め、そのときにレシートも一緒に留めた。ここまでやるところは初めてだった。

ちなみに日本に関係しそうな本は、パッと見た限り『GEISYA』と書かれた単行本が一冊目に入った程度。マンガはおいていない。キオスクみたいなところではアニメに関する雑誌があったが。

その後、ヨーロッパ的な街並みが残る通りに行く。同じ宿に泊まっていた人が、そこに行ってこんなところがメキシコにあるのかと驚いたと言って、ぜひ行けとすすめられていた。

ぼくはグアダラハラで衝撃を受けていたので、彼らほど驚かなかったが、それでもこれほど広い地帯をここまで造りこんでいるとはと驚く。

しかもメインストリートは宝石街になっていて、なんとも複雑な因果を感じる。中米の金銀を求めて当時のスペインが入ってきたわけだが、中心街のまんなかにこれらの店があるのは、当時のなごりなのか? ここにある金銀はどこから来たものなのだろうか?

その後、1681年から100年以上かけて作られたというメトロポリタン・カテドラルを見る。天井まで15mはある巨大な建物。

ガイドブックによれば、この地にはアステカ最高神をまつった神殿があったという。それをコルテスが破壊させ、その石材を使ってこの神殿を作ったという。しかも実際の労働はいわゆる先住民の人々がやったらしい。こうしたことはメキシコ全土、それからグアテマラのマヤ民族の地でもなされたらしい。

グアダラハラにしてグアナファトにしても、その街並みなどをみて、ヨーロッパみたいできれいだった、なんてことで済ませていいものか。

これだけの街並みやこれだけの建築物が残っているということは、それだけ植民地として支配されていた期間が長かったということであり、それだけ1つのこと(教会の建築など)に人やカネをつぎ込める力を持っていたということだろう。

しかも、いまやメキシコは90%の人がカトリックだという。宿の近くの教会でも毎朝ミサが行われており、教会を通り過ぎるときに立ち止まり十字をきっている人もいる。

多くの人(約60%)が、先住民とスペイン系白人の混血=メスティソだから、これらの人々は先祖にカトリック教徒がいたのであろうが、90%ってのはほんとか?

いずれにしてもそれだけスペインの支配が徹底していたということだろう。

この後、例のごとく適当にふらつく。やはりメキシコシティはでかい。この間とは違う地域に行ったが、やっぱり服屋ばかり。あと建物の中はひたすらウェデイングドレスとスーツの店が集まっており、軽く100店は越えている。

渋谷や原宿にある服屋をぜんぶ地上に並べたらこんな感じになるんじゃないか、と思うくらい多いし、そこそこ選択肢もある。

この他、歩いた範囲では車の修理屋や部品屋が集まっている地域などもあり、いわば専門店街がメキシコシティ内のあちこちにあるようだ。

晩飯はこれまた食堂が集まっている一角で食べる。Pollo(=鶏肉) en Mole(モーレ=ソースの名前)を食べる。

モーレソースは唐辛子や木の実、チョコレートなどを使って作ったもので、メキシコ特有というので、気になっていたものだ。

見た目はイカスミのように黒い。食べる日本で言うとカレーに近い。よく長時間にこんで焦げ茶色になったカレーを出すレストランがあるが、あんな感じだ。ただ、何かがちょっと違う。うまい。35ペソ(約400円)。

それからネットカフェに行き、キューバの宿とジャマイカの宿の検索。キューバについては明日予約することにする。

おしまい。

チケットを買いに-メキシコシティ3日目

2008.2.11(月)

今日はいわゆる観光はなし。ウォーキングともろもろの調べもの、キューバ行きのチケットの手配などで1日が過ぎる。

まずは金欠をなんとかしなくてはならなかったから、店が開く9時に宿を出て、両替屋や銀行を探す。

グアダアラハラでは、泊まっていた宿の周りが両替商街で10軒以上あったため、各店が出しているレートを見比べて両替できたが、メキシコシティでは今のところそのようなところを見ない(後に発見)。

グアナファトでも両替商は1軒しか見なかったので、あまり地元の人が使わないだろう。あるいは、観光地に両替商はふさわしくないと排除したのかもしれない。メキシコシティはグアナファトと同じく両替ができそうなところは銀行ばかり。

しかもグアダアラハラよりも0.2ペソ悪い。今日、見た限りでは一番よくて1ドル=10.6。ただ、ぼくはその銀行を見つける前に10.57で両替してしまった。10.5というのが多かったので、まぁ、そんなものかと数軒見て両替したのだが、ちょっとはやまってしまった。

今回、両替した銀行でもIDの提示を求められたので、パスポートを渡し、その後、領収書みたいなものにサインをする。これで金欠解消。

それから旅行会社を探して歩く。

適当に地図を見ずに適当にある鋳ていたら、完全に迷う。途中、通った政府機関の建物の前では、路上でコピーサービスをしている露店があった。歩道にコピー機を2台置き、客の注文を受け、コピーしている。値段は未確認。

元来た道を戻り、最寄りまで地下鉄で行く(2ペソ=約30円)。

目的の旅行会社(日系)は通りに看板も何もないので、ガイドブックにあった住所で建物を確認する。一つ一つの建物に番号がふられてあるので、建物はわかりやすいのだが、その建物の何階にあるかがわかりにくい。

一旦入ったが、よくわからず、この建物じゃなかったかと、また通りに出てきょろきょろしていると、道ばたで話をしていたおじさんが6階と教えてくれる。

ドアを開けると入って右側にカウンターがあり、日本語で「いらっしゃいませ」と言われる。いずれも20代と見える日本人男性。ぼくの他に客はいない。

キューバとジャマイカ、ドミニカ共和国に行くチケットがいくらか聞く。「ただ今、お調べいたします」とパソコンで調べてくれる。すると「あいにくこの3都市は乗り継ぎが悪く、かなり高額になりますけど」と言われる。値段は確認しなかったが、おそらく1000ドル(約11万)くらいするのだろう。

出発の前に、メキシコにある旅行会社に、キューバ、ジャマイカ、ドミニカ共和国(注:カリブ海にはドミニカ国という国があるが、以下はすべてドミニカ共和国のことをドミニカと略す)、バルバドス、トリニダード・トバゴのカリブ諸国の飛行機のチケットを聞いたら、合計約1900ドル(約21万円)ときた。しかも経路がマイアミなどアメリカを行ったり来たりするルートになっていた。

カリブ諸国をまわるチケットは高いとは聞いていたが、これほど高いとは・・・。カリブ諸国にはフランス領やイギリス領の島もあり、そういう国はヨーロッパから行った方が安いというような話もある。ただし、行っても今のシーズンだとヨーロッパからの観光客がいっぱい、物価もほぼ同じという話だ。

なので、トリニダードなどはヤメにして、主要な3国にしたのだが、それでも相当するらしい。

じゃあ、2カ国はということで、キューバとドミニカ共和国で調べてもらうと、これが700~800ドルするという。事前の情報では2カ国で500ドルくらいと見ていたのだが、予想以上に高い。

しかも、3日後とか4日後に取れると思っていたのに、この旅行会社では1週間後のしかとれないという。それで一旦考えることにして、その会社をでる。

宿近くまで乗り合いバスで戻り(2.5ペソ:10分ほど)、飯を食い、安いネット屋さんでカリブ海を飛んでいる航空会社のサイトや『ロンリープラネット』のカリブ海版に載っていた格安チケットの比較サイトを見る。

空港の名前を入力しなければ、検索できないサイトもあり、面倒くさい。都市名を入れれば候補となる空港名が出てくるが、複数の空港がある場合は候補がいくつも出てくる。都市名を覚えていればいいかと思っていたので、空港の名前を確認するのに時間がかかる。

結局比較サイトはあまり使えず航空会社のサイトで調べる。調べたところ旅行会社の出した値段は適正のようだった。

とりあえずキューバとドミニカだけ行って、ジャマイカにはパナマから行こうかと思い、調べてみたらチケットは片道200ドル以下だったものの、燃料代などもろもろ入れると1000ドルという結果が出た。ドミニカだとまだ安いが似たようなものだ。また悩む。

結局、キューバと2カ国だけにして、現地で自分で飛行機を探し、3つ一緒に回る方法を採ることにする。

また、1週間もここにいるのは退屈なので、今回のメキシコ滞在のもう一つのメインであるチアパス州のサンクリストバル・デ・ラスカサスに行き、カンクンまで移動して、そこからキューバに行くことにする。

旅行会社に再度行き、それができるか聞くと、できると思います、とのこと。

ただ、キューバとジャマイカのチケットをここで買って、ジャマイカ滞在中に一度ドミニカに行くというのは難しいという。

というのも、ジャマイカは入国時に滞在期間中の宿を聞かれるらしく、それを言えなければ場合によっては入国拒否されるというのだ。

これではロシアと一緒だ。2001年に日本からロシアに行ったときは、ビザを申請するのに、滞在中の宿をすべて知らせなければいけなかった。このときは旅行会社にすべて頼んだが、ビザもロシアを出国する予定日プラス5日ぶんくらいしか出なかった。

ジャマイカにはアメリカ人観光客などがけっこう行っているようなので、その点はらくちんかと思っていたが、そうではないらしい。

それならと、キューバとドミニカのチケットを頼む。ドミニカに2週間滞在することにして、うまくチケットが取れれば、その間にジャマイカに行くという算段。

クバーナ航空を使うチケットで、すべて込みで合計529ドル(約5万9千円)。これなら、予想金額の範囲内。これでOKする。

ただ、キューバに入るにはツーリストカードというのが必要なのでそれを事前に購入しなければいけないことと、かつ入国審査時には宿泊先を聞かれるので、事前に予約していくよう言われる。

ツーリストカードについては、キューバに行った証拠が残らないようにするためのものらしい。

例えば、アルメニアとアゼルバイジャンなども紛争を抱えているので、アルメニアのビザがパスポートにあると、アゼルバイジャンに入れなかったりする。その逆もしかり。

キューバの場合は、ツーリストカードを出すことで、旅行者がキューバに行った後に、キューバと国交のない国に行っても不都合がないようにしつつ(こうすることで、旅行者がキューバに来やすくしている)、キューバ政府は入国者を把握する、ということなのだろう。

このツーリストカードはキューバの空港でも取れるので(2008年2月11日付メキシカン航空で確認した人の情報)、空港で取る方法もあったが、こういう手続きは面倒で嫌いなので、ここで一括して頼む。

ぼくの場合、キューバからドミニカに一度出国して、またキューバを経由してメキシコに戻るので、ツーリストカードが2枚必要になる。1枚25ドルで合計50ドル。

結局、もろもろ込みで579ドル。支払いはドルでもペソの現金でもできたが、トラベラーズチェックでもOKとのことなので、トラベラーズチェックで支払う。さすがに2枚のIDは不要。

ただ、問題がもう一つ出てくる。メキシコに再度入国する際に、空港で日本に帰る航空券の提示を求められるというのだ。当然、そんなものは持っていない。第3国でもいいらしいが、比較的安い隣国のグアテマラでも片道が400ドルする。しかもキャンセルの払い戻しは不可。

日本行きのチケットで払い戻しがきくチケットとなると、いわゆる格安航空券ではなく、正規料金のチケットとなるので2500ドル(約28万円)すると言う。ちょっとあんた28万円って・・・。

航空会社でこれを買って払い戻しをすれば、ちょっとした手数料以外はほぼ全額戻ってくるらしい。このチケットをここの旅行会社で買い、払い戻しの手続きもしてもらうことはできるが、その場合150ドルくらいの手数料がかかるという。

これにはどうしようかと迷い、とりあえず他に情報を集めないとわからないと思い、キューバなどに行くチケットのみ買い、帰る。

すでにこの時点で17時を過ぎていた。行きたかった地図専門店や観光どころはすでに閉まる時間。

しょうがないので、宿の近くをふらつく。例の鶏の足を売っていた屋台を探すが見つからず。うまそうな汁物を出している屋台があったので、そこに入る。

メニューについてきくと、ケースに入った鶏の部位を見せながら、これはこの部位を使ったものとスペイン語と素振りで教えてくれる。見た目20代後半から30代くらいのおにいさん。ほんとに丁寧だ。

それで、ぼくはRabadilla(ラバディージャ:29ペソ)を注文。注文したら1分後くらいにどんぶりが出てくる。それもそのはず、調理は必要なく、既にゆがいていた鶏の部位をどんぶりに入れ、そこにスープをそそぐだけだ。

スープは澄んでいて、塩加減もいい。香辛料などは使っていないよう。

食事台にあるボールに入ったタマネギ(みじん切りになっているもの)とハラペーニョと葉物を混ぜたもの(めちゃくちゃからい)、リモ(すだちに近い)を好みで入れて食べる。

他にトルティージャとパンが選べて、ぼくはトルティージャを注文。

鶏が丸ごと入っているようなものなのだが、隣のおばちゃんは手で鶏をつかみ、肉を取っている。靴のひもを結びなおしたりしたぼくの手ではちょっとそれはまねできないなと思い、ぼくはスプーンで肉をこそぎ、骨が出てきたところで、骨をつかみかぶりつく。

隣のおばちゃんとおじちゃんはスープが3分の1くらいになるとスープを加えてもらっている。店主はぼくにもスープを足すか聞いてくる。それからなくなっていたトルティージャも足すかと聞いてくる。ぼくの腹はだいぶ膨れていたので、もういいと手を振る仕草をして、断る。

ぼくが食べ終わった頃には、年輩の夫婦連れが来たので、そこそこお客さんがついているようだった。

腹がいっぱいになったところで、甘い物が食べたくなったので、路上で売っていたケーキを買う。プリンのようで、味も日本で売っている濃厚プリンをもっと濃くして、もったりさせた感じ。まぁまぁうまいが、もう一度食べたいと思うほどではない。

それから、ネット屋に行って、キューバ情報やカンクンのユースホステルなどを調べ、21時頃宿に着。

メキシコシティ3日目はいわゆる観光をすることなく、終わった。

2008.2.13.
メキシコシティからアップ

2008年2月12日火曜日

金欠になる+トロツキー博物館ーメキシコシティ2日目

2008.2.10(日)午後

テオティワカンの遺跡を昼前に後にする。そのままバスで帰るのもつまらないので、適当に歩く。左に高速道路、右手奥にはサッカーをしているグランドが見える。最初道路沿いを歩いてたが、安全を考え、一段したにある草地を歩く。しばらくするとでかいトラクターの手入れをしているおじさんがいた。Hola!(オラ)=こんちわと声をかけられたので、Hola!と返す。

街にはいり、うまそうなものがあったので、買おうかと思うが、ペソがないことに気づく。テオティワカンがただのつもりでいたので、飯代と往復のバス代ちょうどしかペソは持ってなかった。その飯代が消えたので、帰りのバス代しかペソは残っていない。日曜と言うともあり、また田舎ということもあり、両替屋は開いていない。ATMはあるが、飯代を引 き出すにはレートと手数料を考えるともったいない。

財布にはドルが入っていたから、ドルでなんとかできるかと自分で納得する。

歩いていたら右手前方奥に街が見えたので、そちらの方へ。店が並ぶ道を歩いていくと、小さな広場がある中心街に出た。ここにもメルカド(市場)があったので、進入。お昼時でみんな飯を食っているので、のぞいていると総菜屋のおねえさん(というか子どもというか)が、肉の試食をすすめてくる。沖縄のラフテーのように煮込んだもので、うまい。これは醤油ではないだろうに、ほとんど同じ味だ。

店主のおばさんが何やら言ってくる。それでスペイン語でわからないと言うと、ゆっくり話してくれるがやっぱりわからない。せっかくなので、そこの総菜を買うことにする。ノパレスという食用サボテンの葉を使ったサラダと試食した肉。財布にペソがなかったので、ドルでいいかと聞くと1ドル=10ペソでOKしてくれた。

最初サラダを頼むと200gくらい適当にビニール袋に入って1ドルだった。それだけではと思い、それからちょっと間をおき肉を頼むと300gくらい包んでくれた。細かなドルがなかったので、20ドルわたすとおばさんはお釣りは100ペソ(=10ドル)でいいかという素振りをする。あんた肉料理したやつが10ドル(1100円)なんて、日本でも高いわ。と思いながらも、なんかにこやかな顔でこっちを見てるので、しょうがないボーナスじゃとOKする。予定外の出費に、このあとまた困ることになるのだが。

おばさんはさすがに悪いと思ったのか、OKしたあと、もう一つアボカドで作ったソースを付けてくれた。

広場でこれを食す。やっぱり箸を持ってくるべきだったなと思いながら、しょうがないから手で摘みながら食べる。肉は内蔵(小腸?)も混ぜてくれるよう頼んだので、いくつかの部位が入っていた。けっこう塩気があるので、ご飯かパンかがほしくなる。

サラダの味もちょうどいい。ベトナムやタイのサラダと同じようにパクチー(だと思う)を使っている。アボカドのソースは口にしたら、即舌がしびれるくらい辛い。これはハラペーニョがかなり使われてそう。完食できる量かと思っていたが、肉は塩気が強すぎてだんだん気分が悪くなってくる。できるだけ食べたが、完食できず。残りは残飯に。アーメン。

腹が膨れたので、帰りのバスに乗ることにする。道中、シティ行きのバス乗り場らしきポイントがあったので、そこからバスに乗る。24ペソ。行きよりも7ペソ安い。バスは行きよりもいいのに。会社が違うのか?

来るときとは違うルートをバスは通った。いつの間にか寝る。目が覚めたらシティの地下鉄駅のところだったので、あわてて降りる。

今度は、地下鉄で中心部から10kmほど南にあるトロツキー博物館に行く。

トロツキーは言わずとしれたロシア革命の重要人物。スターリンを批判して、各地を転々とし、晩年をメキシコで過ごし、ここでスターリンが放った刺客に殺された。

ということを、ガイドブックで知った。トロツキーは前から気になっていたけど、何も読んでいなかった。

地下鉄の駅から20分ほど歩いてたどり着く。表には2m四方はあろうかというトロツキーの顔写真の垂れ幕がかかっている。

30ペソ(約350円)で入館。チケットの肖像は野口英世に似ている。

トロツキーの博物館で一番驚いたのは、すべての展示物の解説に英語が併記されていること。メキシコではどの博物館に行っても、テオティワカンをのぞきたいていがスペイン語だけの解説になっていたので、ここもそうだろうと思っていたが、見事に裏切られた。小さな博物館なのに、それだけ外国人を意識しているのか、それとももっと他の力が働いているのか?

それから予想外だったのが、1人や2人という単位ではあるが、来館者が次々と来ること。それも地元の学生くらいの年代や中学生くらいの子もいる。メキシコも革命を経た国なので、そのお国柄なのだろうか。

1時間ほど見てまわって、次にここから歩いて3分ほどのところにある画家フリーダ・カーロの博物館に行く。ここも45ペソ(約500円)。

フリーダ・カーロという名前は前に聞いたことがあったが、この人がメキシコ女性の画家とはしなかった。そして、共産主義思想の持ち主で、トロツキーとも親交があったことも。

もっともぼくが彼女の博物館に行きたいと思った大きな理由は、あの眉毛だったのだが。右と左の眉が切れ目なく続いている彼女の肖像画や写真を見て、おお同志よ!と思ったのです。これは行かねばならぬと思い、入館料の高さにちょっと戸惑ったけど見て良かった。

彼女はメキシコを代表する画家ディエゴ・リベラと暮らしていたのが、そのリベラの絵もある。

博物館を出て歩いていくとまたメルカド(市場)に出会う。ここはCoyoacanという地区だが、この地区のメルカドがある。また進入して歩いてたらうまそうなものがある。しかし、またもやペソ切れ。あのとき100ペソでOKなんかしないで、適正価格まで落としてもらえば良かった、なんて思っても後の祭り。

しょうがないから、食事をしたい店の人に事前にドル払いでいいか聞いてchevichesという料理を頼む。

トマトソースの中に、ゆでたエビとスライスしたタマネギ、アボカドを入れた料理で、食べた感じはトマトジュース。でも、うまい。

それで4ドルを渡すと店の人は困った顔をして、上司を呼んで相談している。どうも先に話したことが通じてなかったよう。でも、すんなりOKが出て、アディオス。

市場の先には教会と広場があって、広場には露店がたちならび、大道芸が行われていた。芸人は観客の子どもを巻き込んで芸をする。子どもが芸人に促されてする滑稽な動きに周りは爆笑。

広場の別のところでは、先住民の儀式みたいなものが行われていた。

帰りはメトロバスという乗り物に乗るが、チケットの買い方がわからず苦戦。見張りのおじさんが教えてくれた買うことはできたが、なんだかICカード式になっているようで、ガイドブックに乗っていた金額の4倍のカネがかかった。未だにどういうことになっているのかわからず。

宿に20時頃帰り、近くのネット屋さんで1時間(10ペソ)ネットをして、帰着。

おしまい。

P.S.
写真をアップするのに時間がめちゃくちゃかかるので、また明日にでもアップします。

テオティワカン遺跡へーメキシコシティ2日目

2008.2.10(日)午前

昨晩、1時過ぎに寝たのに7時過ぎに目覚める。
今日は、キューバ行きのチケットを買いに行こうかとと思っていたが、日曜で会社が閉まっていることに気づき、予定変更。早く目覚めたことだし、テオティワカン遺跡に行くことにした。

『地球の歩き方』には日曜は入場料無料だが、そのぶん混むとあったが、早く行けばきっと少ないだろうし、手元のペソも少なくなっていたので、ちょうどいいだろうと思い、朝飯も食わずに8時ちょっと前に宿をでる。

宿から1分ほどの地下鉄の駅から地下鉄に乗り、終点のIndos Verdes(インドスベルデス)で降りる。地上に上がる階段が、改札を出て左右に2カ所あり、左の方にまず出る。地上に出たところにバスがあったので、ピラミッドに行くか聞いたら、Noと言い、反対側だというようなことを言う。それで反対側の出口に出て、また待機しているバスの運転手にピラミッドに行くか聞くと、もっと向こうのバスと言って(たぶん)、指さす。

そちらの方に行くと、確かにPiramidesとバスのフロントガラスにあり、車体にはテオティワカンの象徴的な
意匠があり、ローマ字でTeotihuacanとあった。

すでに乗車する人の列ができている。列で並んでいる間に、道ばたの店でメキシコスタイルのサンドイッチを買う。中身はトマトとタマネギと卵焼き(というか揚げに近いけど)。13ペソ。

バス代は31ペソ。歩き方に載っている値段よりも高い。

トウキビ畑などを眺めながらバスは行く。てっきりみんな遺跡まで行くかと思っていたら手前の停車場で続々降りて、結局遺跡まで乗ってたのは2人ほどだった。ぼくの他は英語を話す親子らしき2人組とメキシコ人の親子。

バスを降りて10mほど行くと小さな管理小屋みたいなのがあって、その前に制服を着たおじさんがいた。管理小屋には代金等が書いてあったが、歩き方に日曜は無料とあったので、素通りすればいいのかなと思っていたら、前を言ってた外国人連れがカネを払っているではないか。その次に並んでいたメキシコ人はIDを見せて、カネを払わずに入っていった。要するに無料というのはメキシコ人だけだ。おい、歩き方!

それで45ペソ(約500円)払って入る。20mほど歩くと、今度はチケット切りの人が立っていて、その人がチケットに穴を開けてくれる。敷地にはいるといきなり土産物屋。メキシカンハットや絵はがきなどが売られている。それをとおるとガイドなどの受付窓口がある。ガイドを頼むほどのカネを持ってきていなかったので、ガイドはパス。だが、地図がないか英語で聞くと折りたたみのパンフレットをくれた。が、スペイン語。英語版はないらしい。

その建物を出ると目の前奥に月のピラミッドが見え、左の奥には太陽のピラミッドが見える。思わず、おおぉ、っと声がでる。想像よりも巨大、かつ広大。サッカー場なんて20面は軽くとれるんじゃないかという広さ。20万人以上の人口を抱えていたという推測もうなづける。

早速、月のピラミッドを上る。階段の高さが30cmほどあるため、ほとんど片足でフルスクワットをしているような感じ。傾斜も45度以上はありそうなので、ちょっとバランスを崩すとまっさかさまに落ちそう。かつ階段の石はボコボコしているので足下を常に見ていないとバランスを崩しそう。年輩の人や子どもの中には手をつきながら上っている人もいる。

息もきれぎれで(ここらは標高2000m以上)上る。壮観。しかし、向こうに見える太陽のピラミッドはもっと高い。

移動し、太陽のピラミッドに上る。こちらからの景色も圧巻。テオティワカンの遺跡の敷地が360度見渡せる。やはり広大。てっぺんには50人ほどいて、なにやら手をつないで瞑想している人たち(ヨーロッパ系)やメキシコ人の団体客や家族連れ、中国人10人ほどの客、日本人3人グループなどがいる。

この遺跡で感心したのは積み上げられている石がみんなバラバラの形をしていること。どうやって60mも積み上げたのか気になる。

10分ほど眺めて下る。下ったところにはテオティワカンの置物やアクセサリー、鳥の鳴き声がする笛などを売る先住民系のおじさん、おばさんが10人ほど待ちかまえている。

あるおじさんは「安いよ、高くない」と日本語で売り込んでくる。

ぼくはいらないと手を振りながら通り過ぎ、敷地内にある博物館に向かう。博物館では入り口でスペイン語でフラッシュはダメと言われる。

展示物の中にはカカオの実を象ったアクセサリーみたいなものがあり、数千年も前からカカオがこの地で食されていた(?飲まれていた?)ことがわかる。また、内陸にあるにもかかわらず、貝殻で作ったアクセサリーもあり、当時の交易が伺える。

その他、発掘された白骨も展示されており、改めて本当に人々が暮らしていたんだなと感じる。

つづく





2008年2月10日日曜日

グアナファトからメキシコシティへ

2008.2.9(土) 19:05 メキシコシティより

今、メキシコシティです。ネットカフェというか本屋兼文具屋
の中にあるパソコンを使って入力しています。入り口に"日本語で入力できます"と日本語で書かれており、また1時間10ペソ(120円くらい)と安かったので、ここにしました。近くに日本人宿があり、今日から4泊します。 日本人しか泊まらせない宿で非常にきれいで、日本語の本もたくさんあります。外国まで来て、日本人ばかりの環境に入るなんて、あまり気が進まなかったのですが、1泊9ドルという安さとバスターミナルからの行きやすさ、それから荷物を預かってくれるサービスをしているということで、ここにしたところです。

さて、今日(2/9)のこと。
今日は、バスで2泊したグアナファトからメキシコシティに移動。

朝は寝坊し、8時40分ころに起き出し、慌てて昨日の夕方4時過ぎに行った時には閉まっていた郵便局に行く。宿の人の話では"たぶん"8時半には開くと言っていたが、本当にすでに開いていた。切手は、昨日市街地から離れた郵便局で買っていたが、どうもそこで買った切手では金額不十分だったようで、新たに買い直すことになる。昨日の窓口の
おじさんは親切だったんだけど、金額を間違えるなんて。切手は買い足せばいいと思っていたのですが、どうも差額の切手がないようで、全額買い替え。交渉できるほど言葉もできないし、時間もないので、相手の言うがママに買い直す。

それから宿に戻ってチェックアウト。
ここの宿は部屋のカギもなかったので、荷物を持ってアディオスと言ったらチェックアウト完了。

メルカド(市場)前にあるバス乗場まで歩く。石畳のまちを10分ほど。ちょうどバスターミナル行きのバスが来たので、それに乗る(4ペソ=60円くらい)。9:40

20分ほどで中央バスターミナルに到着。8社ほど並ぶバス会社の中から、適当にメキシコ行きの案内が書かれているバス会社を選ぶ。ちょうど20分後の10:20発のバスがあったので、それに乗る(282ペソ=約3000円)。

時間通りに乗車。客は6人ほどしかいない。グアダラハラから乗ったバスよりも1ランク落ちるバス会社のようで、さすがに水やお菓子などのサービスはない。しかも車内がちょっと小便臭い。座席は広々としてい良い。客もいないから2席分に陣取る。

10:25に発車。

車窓からはトウモロコシが刈られたあとの広大な畑やキャベツ畑、牧草らしきものが植わっている畑が見える。また、道路沿いには農産物を売る人が見え、特にいちごが直径20cm、高さ40cmくらいのかごで売られている。

しばらくして バスのテレビがつき、会社のコマーシャルが流れたあと、エディマーフィ主演の映画が始まる。スペイン語の字幕で、声はそのまま。ぼくはいつのまにやら眠り込む。

4時間たった15時くらいになると、車線が多くなり、車も増える。メキシコシティに入ったよう。

そして、乗車から4時間半後の15時半頃、メキシコシティの北バスターミナルに到着。さすがに首都。ターミナルもでかい。バスが50台くらい並んでいる。

今日も宿をとっていなかったので、ターミナルの建物の中にある電話屋兼ネット屋でユースホステルを探すが、日本人宿もよりも安いところがなかったので、日本人宿に行くことにする。ただ、ここもけっこう混んでいて事前に予約をしておいた方がいいとガイドブックにあったので、念のため電話してみるが、公衆電話はぼくのコインを3ペソ分のみ込んだまま、うんともすんとも言わない。

そこで、人間がかけてくれる電話屋さんで、ガイドブックの番号を見せ、つないでもらうが、どうもつながらないよう。

それでしょうがないから直接行くことに。

バスターミナルには地下鉄の駅が直結しているので、地下鉄で行くことにする。窓口で行き先を告げ、チケットを買う(5ペソ)。グアダラハラの地下鉄は自動販売機で、お金を入れると専用のコインが出てきて、それを入り口の機械に入れると回転式のバーのロックがはずれる仕掛けだったが、ここは日本と同じ紙のカード式だった。

ただ、違うのは入る時に紙のチケットを入れるとそのまま飲み込んでしまい、日本の自動改札のように出てくることはない。

改札を入ると地下道があり、タコスなどの店が並ぶ。

目的地に向かうホームに立つと人、人、人。入ってきた電車もいっぱいで、1本見送る。次の電車も混んでいたが、ぼくが乗れるくらいのスペースはあったので、乗り込む。しかし、次の駅などで新たに乗ってきて、けっこう窮屈。東京のような鮨詰めではないが、足場は気にしないと人の足を踏んでしまいそうな位だ。

宿がある中心地近くの駅で降りる。

宿を探してきょろきょろしていると、食堂のおにいさんがスペイン語で声をかけてきて、なにやら言う。その中に"ハポネス"という言葉があったので、"Si"というと、スペイン語で何やらいいながら、仕草でその先を右に曲がれと言う。

そうして宿に到着。暗くなる前に着いたので良かったわ。

ブザーを押すと、20代位の日本人の管理人が出てきて、中に入れてくれる。前金で4泊ぶん払い、6人部屋に通される。やっぱり日本人だらけの空間というのは、違和感があるなぁ。

荷物を置いて、町に出る。

やっぱり首都だけあり、また世界でも最大の人口を抱える都市の中心部ということもあり、物量はすごい。

つづく。

メキシコシティ第1印象

2008.2/9 後編



やっぱり首都は違った。物量がグアダラハラとくらぶべくもない。人口規模で言えば世界最大とも言われているから、そうことで言えば適正なのかもしれないが。

まずメキシコシティに来て初めて見たのが、鶏の足(ももじゃなく足首からつま先までのところ)を湯がいたようなものを屋台で売っており、それを歩きながら食べている人もいる。これは未体験。

それからバナナをあげたもの。インドネシアではピサンゴレンといって、それ用の小さな青いバナナを使ったものがあったが、ここは日本で通常売っているサイズのバナナを丸ごと、または斜めにスライスして揚げている。

さらにエロDVD専門の露店。おそらくアメリカのもののコピーと思われる。これが子どももみんなが通る通りで堂々と売られている。それから、スーツ屋。グアダラハラやグアナファトでも1店か2店は見たが、ここには一つの通りに10店以上並んでいる。

ちなみに今日、歩いたDolores通りは500mくらいにわたって、ひたすら店が続いていた。特に服屋と靴屋が集中してる。他の地域を見ることができなかったが、こういうふうに地域ごとに特化しているのか?

Dolores通りは、歩道に露店が並んでいて、3人並んで歩くのは難しいくらいの幅しかない。そして、人でごったがえしていて、普通には歩けないほど混雑している。露店の種類はだいたい決まっていて、DVD屋、CD屋、時計屋、工具屋、服屋というパターン。

人はグアダラハラよりも白人系や少ない感じがする。また、メキシコでは初めてアフリカ系の人を見た。

ふらふらしていたら市場につく。確認したらサンフアン市場というところだったよう。もう夕方ということで店じまいしているところもあったが、1周ぐるっと回った後に、El Angels de San Juanという店で食事をする。いろいろ聞かれるが、わからず適当に返事をして料理を出してもらう。どれもうまい。スープはトマト系の味で、具は巻貝状のマカロニみたいなものだけ。肉はたたいて伸ばした鶏肉のよう。アボカドを使ったソースみたいなものはぴりりとしていてうまい。ご飯はパサパサしているが、チキンライスみたいな味であまり温かくなくてもうまい。





中国の正月祝うイベントが開催されていて、中国系の店が並ぶその通りもまたカメラを持ったメキシコ人でごった返している。

高校生くらいの女の子ふたりが、名前を漢字で書く商売をしてて、常に順番待ちの人が並ぶくらいに繁盛している。値段は5ペソ。中国系の漢字とそこにひらがなを書き込んでいる。







中国のものがこんなに珍しいなんて、やっぱオリエンタルなんだな。

空からは雨がポツポツと落ちてくる。暗くもなってきた。その通りでは舞台が用意され、中国雑技が始まるようだったが、見ずに帰る。

終わり

2008年2月9日土曜日

グアダラハラからグアナファトへ

(あまりPCに書いている時間がないので、2日ぶんほどとばします。)

昨日(2/7)グアダラハラからグアナファトへ移動。
高級バスで4時間半。12時15分発で17時前にグアナファトの市街地に着く。予約なしだったが、昨日ネットで探した宿に泊まれる。1泊8ドル。ドル払いで、お釣りはペソ。

街は18ー19世紀にかけて銀の産出で栄えた当時に造られた。世界遺産に登録されているらしい。ここも街並みが美しい。











今日(2/8)は、その銀鉱山の跡地に行く。まわりは1面禿山。アメリカ人だかの観光客にくっつき解説を聞く。ここではだいたい7年働くと死んでいったらしい。原因は肺の病気やヘルニアなどの腰の故障、それから事故。200-300パウンドの鉱石を背中に担いで狭い坑道を移動していたという。

中学生らしき団体と一緒に坑道に入る。こちらのときはガイドがスペイン語だけだったので、何を言ってるかさっぱり分からない。それにしても坑道の階段をのぼるのがつらかった。20段ほどあがっただけで息が切れる。標高2000mちょっとだからだろうが、異常だった。